真里谷武田・里見との争奪の地~小弓城(おゆみじょう・下総(千葉))
近くに神社や池、寺社もあり、それなりに見どころがあり。
2025年4月27日(日)。
支城となる南小弓城(みなみおゆみじょう)を訪れたその足で、
わずか1キロ足らず北方にある小弓城(おゆみじょう)にも足を伸ばしました。

◉城のジャンル
平城(ひらじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉アクセス
付近に駐車場なし
南小弓城を訪れたその足で、向かうのがおすすめ🏃♂️
すごく迂闊だったのですが、、💦
帰宅してから改めて、Googleマップを眺め、
この付近に『大手口跡』や、『空堀・土塁跡』があったことに気づきました😓
(※機会があれば、再度訪問し、そのあたりも含めて検分したいと思います✊)
この小弓城(おゆみじょう)の支城にあたる南小弓城(みなみおゆみじょう)については、
以下の記事をご覧ください。

ここも例によって、Googleマップを確認しながら、
まずは弁財天神社やその奥にある生実池(おゆみ池)も見ていきます。

道路を渡ってすぐに、弁財天神社の鳥居が目に飛び込んできます。
その奥に見える生実池。
ここにはブランコもあり、公園化されているようです。

そして生実池へ。
写真をご覧いただいてお分かりかと思いますが、
結構な広さがある池です。

続いて、小弓城跡を目指し、道路沿いに歩いていきます。
前方、左側に案内板らしきものが見えてきました。

この寺社は、生実藩森川氏の菩提寺だとか。。
それより、かつてこの寺の境内が戦国時代の小弓城本丸の西側だったと!

ここが、その寺社になります。
戦国当時は、この地も、小弓城の一郭だったということでしょうね。。

さて、その寺社の奥に続く道を分け入り、小弓城跡を目指します。
平城の宿命か、、ほぼ遺構は確認できず。。
記事の冒頭でも述べましたが、、
『大手口跡』や『空堀・土塁跡』を検分し損ねました。。
ですので、今回の小弓城跡巡りが、”ほぼ成果なし”となってしまうのもある意味、
仕方がないことかもしれません。(防御施設を確認するという意味においては。)

小弓城跡を目指し、ひとまず、この小道を奥へ。。

と、小道の左手に、先ほどの寺社が見えてきました!
なるほど、今でこそ、石塀などが建ち並んでますが、
戦国当時は、ここも城の一郭だったでしょうから、すべて地続きだったかと思われます。

小弓城跡があるらしき、本城公園へ。

城跡が公園化されるのは、ごくごく当たり前のことで、
この小弓城跡も例外ではなく、、周囲には一軒家などが建ち並んでます。
市街地化され、防御施設などの遺構を確認できないのは、平城(ひらじろ)の宿命でしょう。

公園内に、この案内板がありました。
この小弓城は、ちょうど上総と下総の国境付近にあり、
水陸交通の要であったことから、しばしば戦国諸侯の間で争奪戦が繰り広げられたそうです。
ここを守るために、原氏がこの南側に支城を築いたのも納得ですね。。

房総半島に割拠する戦国諸侯の名前が色分けされ、敵対関係が分かりやすくなっています。
千葉氏の筆頭重臣であった原氏は、この城を奪おうとする真里谷武田氏や里見氏と激戦を繰り広げたのでしょう。

ご覧の通り、小弓城跡は、完全な公園と化しています。

もう一つ、この近くに、『小弓公方館跡』というのがあるのですが、、

近づいてみると、、何やらお地蔵さんがポツンと。。
地図上での位置からして、ここでしょうね。

周囲には民家が建ち並び、他に目立つような地点もなかったため、
『小弓公方館跡』というのは、ほぼここで間違いないと思われます。
今回の小弓城跡検分はずいぶん中途半端になってしまいましたが、、
千葉氏・原氏と真里谷武田氏・里見氏の間で激戦が展開された歴史を知ることができました✨