多賀谷氏に滅ぼされた豊田城の支城~石毛城(いしげじょう・下総(茨城))

城域は小貝川の近くまで広がっていた?

皆さんこんにちは。

2025年5月9日(金)。

茨城県常総市にある石毛城(いしげじょう)へやってきました。

石毛城(下総・茨城県)

◉城のジャンル

平城(ひらじろ)

◉文化遺産としての見どころ

評価 :2/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :2/5。

◉アクセス

付近に駐車場なし

関東鉄道常総線・石下駅からタクシー約3分、徒歩約10分

城跡の近くには、有料駐車場すらありません。

幸い、関東鉄道常総線の石下駅がすぐ近くにありますので、鉄道を利用するのが吉です。

徒歩でも約10分ほどの近さ。

いつものようにGoogleマップを頼りに近づいていくと、、

石毛城跡と思しき所へ。。

どうやら、裏手側のようです。

ぐるっと正面へ回り、さらに側面へ行ってみると、

ご覧のような石碑がしっかりとありました!!

現在は、八幡神社となっているようです。

こちらが石毛城跡を正面から撮影した写真です。

大層立派な石碑、案内板などが建っていますね。

刻まれた文字はところどころかすれていて読みにくいのですが、、

石毛城を取り巻く歴史について記されています。

石毛城は、ここからほど近い豊田城(とよだじょう)の支城として、

豊田氏により築かれました。

豊田氏については、同じくここからすぐの向石毛城(むこういしげじょう)にてその歴史を知ることができます。

石毛城は、この地で敵対していた新興の多賀谷氏に攻められ、

本城の豊田城ともども支配されてしまいます。。

神社の境内には、このような石碑が複数ありました。

この日、たまたま、この地の歴史・観光案内をしているという方がいらっしゃって、

石毛城などの歴史について少しお話を聞く事ができました✨

その方のお話しによると、、

この石毛城は、城域(城の占有エリア)が小貝川の近くまで広がっていたとか。。

Googleマップでご確認いただくと分かりますが、、

小貝川までというと、けっこうな広さになります。

境内には土塁跡も。

この石毛城跡には、八幡神社しかなく、

目立つような遺構はないかと思っていましたが、、

神社境内の奥に、このような土塁跡が!!

この地を訪れた多くの方々も同じようにおっしゃっていますので、

間違いないと思います。

境内の裏手にも、うっすらと土塁跡が広がっていました。

経年変化により、だいぶ崩れたと思われますが、、

戦国当時はもっとうず高く土が盛られていたでしょうか。。

裏手側から再度、土塁の跡を撮影📸

平城(ひらじろ)の規模で、これだけの土塁が見られるのは、

むしろありがたいことかもしれませんね✨

もう一度、正面に戻り、神社の本殿を📸

すぐ脇には、このようなものもありました。

周囲が民家に囲われていて、城跡としてはさして広くはないです。

まあ、平城跡の宿命、と言えますよね。。

それでは、これにて石毛城跡の検分を終わります。

近くの豊田城と合わせて巡られるのが良いかと思います。

機会がありましたらぜひ一度、立ち寄ってみてください😀

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