長大な枡形土塁を巡らした、もはや立派な城跡!~御茶屋御殿(おちゃやごてん・下総(千葉))
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徳川家康が鷹狩りの休息所として設けた御殿なのだが、、
2025年4月27日(日)。
千葉県千葉市若葉区にある、御茶屋御殿(おちゃやごてん)というところへ。

◉城のジャンル
平城(ひらじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉アクセス
付近に駐車場なし
千葉都市モノレール千城台駅からタクシー約8分
この御茶屋御殿(おちゃやごてん)というところは、江戸時代初期、
徳川家康が、鷹狩りのための休息所として建てた御殿らしいのですが、、
『御殿でしょ?どうせ大した規模感でもないだろうし。。』なんて、軽く考えていた自分。
あとで、それがとんでもない間違いだったことに気付かされます。
ここを訪れるためには、千葉都市モノレールを利用して、千城台駅で下車。
そこからタクシーで向かうしか、、。
あとは、自家用車でも行けますが、駐車できるところが、、。
まあ、城跡に向かう道の途中に駐車できなくもないです。

まず手始めに、『御茶屋御殿跡案内板』というのを目指してみることに。。

ここは歩いて近づくと、遠目にもすぐに分かりました。
(※多くの城跡を巡ってきた分、目が肥えています。。)

徳川家康はここの他にも、各地に鷹狩り用の御殿を造営していたようです。
それより驚いたのが、ここの御殿は、周囲に薬研堀(やげんぼり)を巡らし、枡形土塁まで配置しているという!!
薬研堀(やげんぼり)とは、、
一般的な空堀に比べ、堀の底をほぼV字型に斜めに掘り下げたもので、
攻め寄せる敵兵がいったん堀底に落ちると、なかなか登ってこれず、
その間に城兵からの射撃などの餌食になるという防御施設です。
城郭・戦国史研究家、西股総生先生の著書にあるイラストが分かりやすいので、
その図解もご覧ください。👇

土橋や2ヶ所に設けられた虎口も発見!!
まったく予想だにしていなかった、数々の防御施設をお目にかかれると知って、
この時点で一気にテンションが高まりました🔥

その案内板がある位置から、地図上に表示されている道をまっすぐ奥に進むといいようです。

この道をひたすら奥に進んでいきます。

すると前方に、広い敷地のようなものが見えてきました✨

そして、徳川家康公が出迎えてくれました✨😅

ご覧ください!!
御殿跡への入り口は、このように、土橋が渡され、左右に薬研堀(やげんぼり)と思われる空堀が🤩

長い年月の経過とともに、堀底が埋まってしまったのでしょう。。
当時は、もっと斜面がキツいV字型の薬研堀(やげんぼり)だったのでしょうが、、。
今では草も生い茂り、少し判別しづらいですが、、空堀であることははっきりと分かります。
今思えば、、
この御茶屋御殿の築城年は”江戸初期”とされているようですので、、
つまり、家康が江戸幕府を開いて、そして亡くなるまでの間に建てられたのでしょう。
当時は、家康を暗殺する者も多数あったでしょうから、
鷹狩りの休息所にもこれだけの防御施設を造るのも分かる気がします。。

そして土橋の先が、南側の虎口(こぐち)ですね。
虎口(こぐち)とは、、
城の主要部(曲輪などの防御スペース)への入り口に当たる場所で、
城兵が出入りするところであると同時に、敵兵の侵入を防ぐため、
手前に土橋を渡して左右を空堀としていました。
山城などでは、急な斜面の坂道に、折れ曲がるように設け、
敵兵の侵攻速度を鈍らせる工夫を凝らされていました。

”御殿”内部は、それなりの広さがあります。
当時は、ここに休息所である館が建っていたのでしょう。
では、ここで土橋の手前から、御殿内部の様子までを動画でご覧ください。
御殿内部がすべて、四周を方形の土塁で囲まれていることがお分かりいただけるでしょうか。

土塁の上に登り、ぐるっと土塁上を歩いてみました。
上からでも、土塁がそれなりの高さがあることが分かります。

御殿の奥の方まで土塁上を進み、あらためて土塁上から空堀を撮影📸
ここもやはり、薬研堀(やげんぼり)なのでしょう。
年月の経過でだいぶ堀底が浅くなっていますが、、
斜面がV字型に見えなくもないです。

そして、ちょうど御殿の反対側まできたところで、もう一つの虎口(こぐち)を発見しました!!
北側の虎口(こぐち)ですね。
ここにも南側と同じように土橋が渡されていて、その先に進んでみると、、

一般道に抜ける道がありました。
ここは、城の搦手(からめて:裏口)にあたるのかどうか。。

その道から、御殿に向かって北側虎口(こぐち)を撮影📸
鷹狩りの休息所とはいえ、これだけの防御施設を造成してしまうとは、、
家康の用意周到さが伺えるようです。。

???
御殿内部に、井戸らしきものを見つけました。
どう見ても、近代的な造りをしているようなのですが、、
当時からあったものなのでしょうか。。
そこまで判別できませんでした。

こうしてみると、、
土塁も年月の経過で少しずつ崩れたものか、、
あるいは元からこのような形状だったのか、、
だいぶ斜面が緩やかになっているところも。

再度、南側の虎口(こぐち)を出て、帰路に。
まさか、御茶屋御殿にここまでの防御施設が施されていたとは、、。
これは正直、嬉しい驚きでした。
繰り返すようですが、徳川家康の用心深さが伺えます。
いつどこで暗殺者に命を狙われるか分かりませんからね。。
記事内で紹介した薬研堀(やげんぼり)のイラストについては、
以下の西股総生先生の著書に、他の防御施設とともに詳しく解説されています。
土の城に興味・関心が持てそうな方はぜひ、ご一読ください。
断然、城跡巡りがもっと楽しくなるはずです✨
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では、今回の検分はここまでとします。
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