花崎城(埼玉県加須市)|線路によって寸断されている城跡公園

まずは線路北側の「城跡公園」から検分。

2026年5月29日(金)。

埼玉県加須市にある花崎城(はなさきじょう)を訪れました。

かつて上杉謙信が関東に攻め寄せた際、家臣にこの城を攻めさせたという記録が。

北条方の城跡らしく、公園内では空堀や馬出しなどの遺構もあるようです。

花崎城(武蔵・埼玉県)

◉城のジャンル

平城(ひらじろ)

◉文化遺産としての見どころ

評価 :1/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :3/5。

◉アクセス

専用駐車場なし

東武伊勢崎線花崎駅より徒歩約5分🚶

東武伊勢崎線の花崎駅から徒歩約5分と、

鉄道で訪れるならばアクセスは良好です。

ただし、Googleマップを拡大して眺めると分かりますが、

線路を挟んで南北に城跡公園がそれぞれあります。

つまり、かつて城があった地が、今では線路によって分断されているのです。

ご覧のように、『花咲城跡』の北側に線路が走り、

さらにその北側に『城跡公園』が見えます。

かつてはこれらが一つの花崎城の敷地だったようです。

まずは北側の『城跡公園』から訪れました🚶

北側の『城跡公園』です。

Wikipediaによれば、ここはおそらく花崎城の馬出しに該当するのではないかと。。

馬出しとは、、城兵が城から出撃する際の最前線の曲輪(防御スペース)であり、

周囲を土塁や空堀で囲っていました。

『城跡公園』なのですから、園内には遊具なども置かれています。

結構な広さがあり、城兵の待機(出撃)場所としては十分かもしれません。

その公園のすぐ南側には東武伊勢崎線の線路が走っています。

その奥に見えるのが、『花崎城山公園』です。

この線路によって花崎城の本丸区画と、馬出し区画が分断されている格好だと言えます。

(※ただし、どちらの公園にも「ここが◯◯だ」と示す説明板などもなく、

防御施設の場所については、あくまでも推測の域を出ません。)

空堀や水堀をはっきりと確認!

北側の『城跡公園』側にはこれといった説明板などもなく、

見るべき遺構はそれ以上ありませんので、線路の南側にある、『花崎城山公園』に向かいます。

当然ながら線路は両側をフェンスで囲われ、踏切なども近くにないため、

少し遠回りして踏切から線路の反対側へ🚶

およそ5分ほど歩いて辿り着きました。

『花崎城山公園』です。

この日はちょうど草刈り作業をしていました。

園内に入ると、すぐ正面にこのような通路が見えます。

その脇にはご覧のような空堀が!

これはどう見ても空堀ですね!

この園内にも説明板などが一切ありませんので、

この公園をふだん利用されている住民の方々も、これが堀だとは気づいていないでしょう。

そして通路の反対側には、このように水堀まであります。

園内はそこまで広くはありませんので、

推測でしかありませんが、今いるここが本丸ではないかと。

では、この周囲の様子も含めて動画に収めましたのでご覧ください。

この日は風がかなり強く、ほぼ風の音しか聞こえません。

周囲は住宅街であり、この城山公園がポツンと佇んでいます。

園内をさらに奥へ奥へ。

奥の方にも水堀を確認することができました。

堀というほどの深さはなく、断定することは避けたいのですが、

多くの城跡の堀は経年変化によりだいぶ浅くなっていることが多いため、

このような浅瀬に見える堀も珍しくはないかと思います。

本来の馬出しはこちら?

さらに公園内を奥に歩いていくと、

目を引くエリアに出くわしました。。

奥まで行き着きました。

当初、ここが馬出しではないかと推測するほど、

方形に柵で囲われ、地形が整っています。

このエリアに城兵が待機し、城外の敵兵に攻撃を仕掛けたとする方が想定しやすく、

むしろこちらが馬出しと言ってもおかしくはないかと。

周囲を草で覆われているため判別しづらいですが、

このエリアは浅い空堀で囲われているため、尚更馬出しっぽく見えてくるのです。

線路の北側にある『城跡公園』は花崎城の一つの曲輪であると推察します。

そのエリアから、公園の外柵沿いにぐるりと歩き、

今度は逆方向から長く伸びる空堀を撮影📸

柵沿いに、公園の入り口と思われる場所まで来ました。

『花崎城山公園』とあります。

こちらが正面入り口なのでしょう。

そこから再度、中に侵入し、空堀を間近で撮影。

草の緑で覆われているせいもあってか、空堀の形がくっきりと見えますね。

反対側も同様に撮影。

こちらは少し土色が優っている印象です。

水堀も、また違うアングルから撮影📸

もう少し草が刈られた状態であれば、また違って見えたでしょうね。。

ようやく説明板らしきものを見つけました。

園内の説明板はこれだけで、他に遺構を示すものはありません。

馬出し以外にも、北条氏の固有築城技術である障子堀(しょうじぼり)が出土されたとあり、

くまなく園内を見て回ったのですが、残念がらそれらしきものを判別できず。。😭

先ほど馬出しではないかと推察した場所まで戻り、

周囲の地形を検分してみましたが、、

やはり草が生い茂っていたため、判別できず。。

やはり初夏に城跡を訪れるものではありませんね。。(泣)

最後に、公園の外柵越しに馬出し(と推測した場所)を眺めて帰投しました。

障子堀(しょうじぼり)を確認できなかったのは心残りではありますが、

はっきりそれとわかる空堀や水堀を検分できただけでも良しとします。

かつてこの地で、北条方と上杉方が戦っていたと想像するだけでもだいぶ満足できます。

”城巡り”とは、単に遺構を確認して終わりではなく、

戦国の世の歴史に想いを馳せることなのかもしれません。

➡️『【城巡り初級】城跡一覧』ページ

➡️『各地の城一覧』ページ