後北条氏と扇谷上杉氏の攻防の中心地。水堀と深田を巡らした平城~蕨城(わらびじょう・武蔵(埼玉))
目立つような防御施設もなくかなり手狭だが、、。
城巡りファンの皆さま、シンです。
2025年3月24日(月)。
2024年12月以来の”城攻め”🔥になります✊
久しぶりの城攻めは、埼玉県蕨市の蕨城(わらびじょう)に決めました!

◉城のジャンル
平城(ひらじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉アクセス
付近に専用駐車場なし(隣の和楽備神社には数台分のスペースあり)
JR京浜東北線蕨駅から徒歩約15分
最寄駅はJR京浜東北線の蕨駅で、徒歩にして約15分。
歩くのが苦でなければ、鉄道を利用してもいいでしょう。

私は、いつものように車で訪れました。
すぐ目の前にあるコインパーキングに駐車しました。
ぐるっと巡って歩くのに、40分も要しないので、220円で済みます。

コインパーキングのすぐ向かいに、こちらの和楽備(わらび)神社が見えます。
蕨城(わらびじょう)はこの神社のすぐ裏手にあります。
まずは神社の左側の通りをまっすぐ行って、蕨城跡から探索します🚶

神社の左側の通りが、この『城址公園通り』になります。

神社沿いに、まっすぐ奥まで進んでいきます。
距離にして、100メートルといったところでしょうか。
神社も含めて、大した規模ではないため、見つけるのは簡単だと思います。

到着しました!
こちらが、『蕨城趾公園』の入り口です。

この案内板にあるように、この蕨城は、北条氏に関わりの深い城です。
南北朝時代に、この地を居城とした渋川氏によって築かれ、
扇谷上杉氏と北条氏との間で熾烈な奪い合いの的となっていたようです。
戦国当時は、周囲を沼や深田で覆っていた平城だったようです。

広さとしては、これくらい。
写真の左側に見えるのは蕨市民会館です。

同じ位置から、和楽備神社の方向を撮影したものです。

正面入り口から入って、中央奥付近にこちらの祠(?)のようなものを発見。
手前には蕨城跡の立札があります。
おそらく、ここが蕨城の本丸付近(中心地)だったのでしょう。

すぐそばには、このように大きな石碑もありました。
入り口の案内板や、これらの石碑、立札などがなければ、ここが城址だったとは誰も気づかないでしょう。
それくらい、中は平坦な、いたって普通の公園です。

その石碑の裏側はこのようになっています。

公園を囲むように、小さめの水堀のようなものが、、。
戦国当時は沼や深田を防御線としていたようですが、、
これはそういった防御施設とは関係ないのでしょうか。。
徳川家の鷹狩り用の御殿として利用されていたとか。。
大した防御施設もないため、
さっさと隣の和楽備神社を検分して帰ろうと思っていると、、

石碑のあった裏側には、このような小さな池がありました。
中央付近には、数匹の亀もいました。

どうやら、隣の和楽備神社の池だったようです。

ところが!!
ここまでぐるりと歩いてきて、この説明板を発見しました。
字体が難しいため、読みきれませんが、おそらく『御殿堀』と記されているようです。
この池を含む水堀のようなものが当時は城の周囲に張り巡らされ、
一つの防御ラインとなっていたのかもしれません。
そして、徳川の世では、この城跡は鷹狩り用の御殿として利用されていたようです。

池を少し離れて歩いていくと、
もう隣は和楽備(わらび)神社です。

蕨城跡公園の奥側には、このような鳥居があります。

この神社正面入り口に至るのも難しくはないです。
戦国当時には、この神社一帯と城跡公園を含むエリアが本丸だったと言います。

神社を入ってすぐ左手に、神社特有の手水場(ちょうずば)があります。

『和楽備神社水盤』とあります。
この水盤は、造作が江戸時代初期のものとの記述があり、
このことからも、徳川家の鷹狩り時の御殿として敬われていたことが伺えます。

神社内は、先ほどの蕨城跡公園と同じくらいの敷地があります。
けっこう格式高い雰囲気が漂っており、この日も平日ながら決して少なくない参拝客の姿がありました。
蕨城の検分はここまでとします。
この和楽備神社を含めても、歩き回るのにおよそ30分程度あれば十分かと思います。
目立つような防御施設はほぼないため、それを期待する方からすれば物足りないでしょうが、
もしお近くに寄る機会があれば、一度足を運んでみてください。
では、またの機会に!