利根川の激流により遂には廃城に至った上州の要害〜前橋城(まえばしじょう・上野(群馬))

2024年11月16日

前橋市役所をぐるりと囲むように大規模な土塁あり!

皆さんこんにちは、シンです。

2024年10月17日(木)。

群馬県前橋市にある前橋城(まえばしじょう)(※古くは厩橋城(まやばしじょう)とも)を訪れました。

前橋城(上野・群馬県)

◉城のジャンル

平城(ひらじろ)

◉文化遺産としての見どころ

評価 :3/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :2.5/5。

◉アクセス

城跡付近に専用駐車場なし

最寄駅:JR両毛線前橋駅からタクシー約6分(徒歩約25分)

前橋城は『関東七名城』の一つに数えられています。

また、城主は厩橋長野家から上杉謙信の武将にとって代わり、さらにはその武将が北条方に寝返ったりと、

上杉、武田、北条の争奪の地であったようです。

本能寺の変後は滝川一益が支配し、さらに北条征伐後は徳川家康の家臣・平岩親吉に渡っています。

以上の変遷から、まさに上州(関東)における要衝だったことが伺えますね。。

前橋城跡は現在、群馬県庁や前橋市役所となっていて、

最寄駅はJR両毛線前橋駅になりますが、若干距離があります。

近くの有料コインパーキングを利用する前提で車で行かれてもいいかもしれません。

私自身、すぐ近くのコインパーキング(確か平日24時間800円だったかな)に駐車、

そこから歩いて約1分、群馬県庁を目指しました。

ここが群馬県庁。

遠くからでも確認できるほど高い建物です。。

ここが本丸跡地だったような、、

と思いつつ中心部に歩いて行きますが、

平城(ひらじろ)の宿命か、それらしき遺構は全く見当たりません。。

一度、群馬県庁の中を突っ切り、反対側に出てみると、、

目の前に突然、それと分かる大きな土塁が!

あとではっきり認識しましたが、

城跡の北・東・西側がほぼ土塁で囲まれています✨

ご覧のように、土塁は長く、ずっと先まで見渡せます。

この土塁は前橋城跡の唯一の見応えと言っていいでしょう。

その群馬県庁から一旦道路を渡った先に、

こちらの虎姫観音堂というものが。。

その観音堂の本堂です。

荒れ狂う利根川の激流を鎮めるために建立されたとか?

その観音堂の脇に、こちらの天守閣推定復元図もありました。

このあたりに天守閣があったとか記述されていますね。

やはり、前橋城は北関東の要衝であったみたいです。

その観音堂のすぐ横には利根川の流れを確認できます。

利根川は前橋城の西の防衛ラインでありつつも、

しばしばその激流によって城郭が破壊される憂き目に。。

利根川の激流がなければ、もっと遺構は残っていた??

再度、道路を渡って群馬県庁側に戻ります。

もっと遺構は残っていないか確認して回ります。

先ほど確認した土塁に沿って北側に歩いていきます。

土塁が折れ曲がるように、長く伸びています。

あの突き出た土塁の先へ先へ。。

ぐるりと回ってきてみると、

土塁に囲まれるようにして北側の出入り口がありました。

にしても、立派に土塁が残っていますね。

比較的宅地造成化されやすい平城(ひらじろ)としては、

これだけ残っているのはむしろありがたいことかもしれません。

さらに土塁に沿って歩いていくと、、

『前橋城跡の碑』というのを発見!!

土塁に突き刺さるようにして建っています。

ご丁寧に石段の登り口がついてます。

当初から、『土塁には上らないでください』というような注意書きがあちこちにあったのですが、、

ここだけは登って大丈夫なようです。

登った先は、このようになっています。

土塁の上に石碑や説明板がありました✨

石碑の右奥にはこちらの説明板もありました。

前橋城が様々な大名家の城主に代わっていった、その変遷の歴史を確認できますし、

江戸時代に入ってからは利根川の激流によって城郭の破壊が進み、川越城に移らざるを得なかったことなど書かれています。

それがきっかけとなったのか、

やがてこの前橋城は廃城に。。

、、ということは、その利根川の激流がなければ、廃城には至らず、

城跡の遺構はもう少し残っていたかも?

と考えるのは無理があるでしょうか。

いずれにしても、平城(ひらじろ)は宅地化されやすいため、

いずれの城跡も遺構は残りづらい宿命にありますが。

そこから土塁の上を眺めわたしてみました。

県庁の建物を確認できます。

ここにも注意書きがあり、この土塁の先には行けません。

一旦、土塁を降り、県庁の正面入り口の方へ。

相変わらず土塁が続いています。

これだけ大規模に土塁が残っているだけでも、ほんと、ありがたいことでしょうね。

入り口に到達。

『三の丸緑地』とありますが、、

このあたりが三の丸だった?

そういえば、利根川沿いの観音堂あたりに天守閣(本丸)があったとすれば、

このあたりが三の丸でもおかしくないのかも。。

すぐ近くに、こちらの復元図がありました。

う〜ん、やはりこの県庁一帯が本丸跡だったように見えますが、、謎です。。

他に、周囲にそれらしき遺構はないか、Googleマップで確認すると、、

厩橋城車橋門跡というのがあります!行ってみます!

現地に着いてみると、、やっぱりそうですよねぇぇ。。

多くの平城(ひらじろ)の宿命ですね。

宅地化されやすい分、なんとか門の跡など、ほとんど残っていないんですよね。。

せいぜい、このような石碑が建っている程度。

再び県庁前に戻り、少し遠景アングルで土塁を撮影📸

これだけ立派な土塁を確認できただけでも良しとしましょう。

県庁の内側から土塁を見ると、こちら側がもっともらしいかもしれませんね。

前橋城の防衛ラインであった利根川。

防御の要でありながら、やがては城そのものを破壊に至らしめた激流。

自然の力はコントロールできないものですよね。

この利根川に翻弄された前橋城の歴史というのも、それはそれで味わい深いものがあると思います。

広範かつ大規模な土塁、利根川の流れを確認したい方は、一度足を運んでみてください。

それでは、またの記事で!

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