見晴らしの良い台上に鎮座する城跡〜結城城(ゆうきじょう・下総(茨城))

2024年10月19日

戦国時代の結城家といえば、、

こんにちは、シンです。

2024年10月4日(金)。

この日は3つ目の訪城となります。

茨城県結城市にある結城城(ゆうきじょう)へ。

結城城(下総・茨城県)

◉城のジャンル

平山城(ひらやまじろ)

◉文化遺産としての見どころ

評価 :4/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :2.5/5。

◉アクセス

城跡付近に駐車スペースあり

最寄駅:JR水戸線東結城駅からタクシー約8分(徒歩約25分)

結城家(ゆうきけ)と聞けば、

戦国時代に詳しい方はまず結城秀康(ゆうきひでやす)を思い浮かべるのではないでしょうか。

そう、あの徳川家康の次男であり、結城家に養子として入った武将です。

関ヶ原の戦いの後、その秀康は越前に移され、その後天領を経て結城城は廃城になったとか。。

城跡近くには駐車スペースもあるので車でのアクセスも問題ないです。

鉄道を利用されるのであれば、JR水戸線の東結城駅からタクシーでおよそ8分、

徒歩だと25分ほどかかってしまいます。

こちらが城跡の北側にある駐車スペースです。

ご覧のように砂利敷きとなっていますが、かなりのスペースがあります。

ちなみに、、

Googleマップでこのあたりを調べると、

北口跡というのが見つかりますが、

周囲は田んぼが広がり、残念ながらそばまで行くことはできませんでした。

遠目で見た限り、目立つような遺構は見当たりませんでした。

駐車スペースから南側へ、

この畦道を通って城跡へ向かいます。

それと分かる平山城であり、台上からの見晴らしも良い!

実は駐車スペースに到着した時から、

「ああ、ここは平山城(ひらやまじろ)だな。」と一目で判別できました。

遠目でもそれと分かるほど、はっきりとした台上にあるのが地形から読み取れます。

ここの階段を登って、いざ台上へ!

登りきると、さっそく右手に神社のようなものが見えてきますが、、

まずは台上(平山)を左側に沿って歩いていこうと思います。

台上はご覧のように開けた公園になっています。

多くの平山城は現在では公園になっていることが多いですね。

今しがた登ってきた階段のすぐ脇に、こちらの石碑があります。

『結城合戦タイムカプセル埋設記念碑』??

その石碑のすぐ後ろに、『埋設場所』と表記された石柱も。

”結城合戦”の遺構?もしくはそれに係る歴史をここに埋めている、とでもいうのでしょうか。。

意図は不明です。

さらに公園を時計周りに歩いていきます。

一部、木々が茂っていて見えにくいところもありますが、

この公園は比較的周囲の様子がよく見えます。

見晴らしが良い、ということは近くに寄せてくる敵情の動きも察知しやすいですね。

この通り、特に城跡の東側はだいぶ開けている印象です。

公園内には、このような立派な造りのトイレもありました。

公園内を半周ほど歩いたところで、こちらの入り口へ到着。

『城跡公園』という表記は、平山城としては珍しくないです。

江戸時代以降の歴史について学ぶ。

『城跡公園』の入り口のすぐそばに、こちらの説明板があります。

いったん廃城となったこの城は水野勝長によって復活したのですね🤔

水野勝長といえば、徳川の家臣では割と有名だったような。。

入り口からまた時計回りに歩いてゆくと、

こちらの神社にたどり着きます。

えっと、、読めません。。😅

(※読める方は教えてください💦)

神社の鳥居をくぐり、さらに先へ。。

神社の本殿へ到着しました。

各地の城跡を訪れていると、本丸付近にこういった神社があることが多いです。

ここで神社の由来を、この石碑から知ることになるのですが、

江戸期以降、ここを治めた水野勝長について詳しく書かれています。

やはり、、水野勝長は徳川家の中でもかなり活躍した譜代の家臣でしたね。

神社の裏側を回ってみると、、

それと分かるほどうっすらと土塁が。。

この公園の周囲には割と遺構があるらしいのですが、

はっきりと目に見えるものはほとんど残っていないようです。

まあ、こういった土塁を確認できるだけでもありがたいですが。

神社脇にも土塁らしきものを確認しました。

ちなみに、公園の中央付近にもこのような鳥居があります。

その近くにはご覧のような石碑たちも。

他にめぼしい遺構は見当たらないので、もときた階段を降りて帰投します。

ほんとはもっと探せばあるのでしょうが、

今回の結城城の検分はここまでとします。

また機会があれば訪れるかもしれませんが。。

では、またの記事で!

➡️『各地の城一覧』ページ