関城(茨城県筑西市)|土塁跡を確認できる南北朝期の城
見て回るのに30分も要しない、小規模な城跡
2026年9月20日(日)。
台風🌀が関東に接近する悪天候の中、
茨城県筑西市にある関城(せきじょう)を訪れました🚙

◉城のジャンル
平城(ひらじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉アクセス
城跡から200メートルのところに専用駐車場あり
関東鉄道常総線騰波ノ江駅よりタクシー約5分、徒歩約25分
最寄駅からは少し距離があります。
城跡から200メートルほどの場所に専用駐車場がありますので、
車を利用できるのでしたら、そちらをおすすめします🚙

こちらが、その専用駐車場です。
ご覧のように、結構な広さがあります。

その駐車場の敷地内にある、こちらの説明板。
築城は鎌倉時代らしいですが、
この城が歴史に刻まれるようになったのは南北朝時代のようです。
落城とともに命を落とした関父子のお墓もあとで確認します。

緑色の箇所が土塁跡、となっています。
全てを見て回ることはできませんでしたが、
城跡およびその周辺はそれほど広くはなく、およそ30分もあれば見て回れる規模です。
めったに見ることのない、「坑道跡」。

では、さっそく城跡に向けてここから歩いていきます。
およそ200メートルなんてすぐですね〜。

少し歩くと、こちらの「坑道跡入口」という標識が。。
Xのフォロワーさんからの情報で、この城跡には「坑道跡」があることは知っていましたが、
こんなに早くお目にかかるとは。。

わずか150メートル歩いた先に、見えてきました!

日本の戦史上で、城を攻めるために穴を掘り進めたという話はあまり聞きません。
もちろん、まったくないわけではありませんが。。
ですので、これは極めて珍しい事例のように思えました。

これが、その坑道というやつですね。

後にこのようなコンクリートで舗装されたのでしょうが、、
これだけの穴を掘り進めようとしたこと自体に驚きです。
当時は、上が崩れ落ちないようにどう工夫したものか。。
関父子の墓、そして土塁跡を確認!
坑道跡を確認し終えたあと、
もときた道を戻り、再び関城跡を目指して前進。

道を進む途中で、今度はこのような墓碑に遭遇。
関城とはあまり関連はなさそうです。

その墓碑の隣には、このような祠らしきものもありました。
こちらは、城跡と関連がありそうです。

道を挟んでほぼ反対側に、ありました!!
ここが関城跡ですね。
写真では分かりにくいですが、お墓の後ろ側が少し盛り上がっています。
土塁跡ですね。

お墓を正面から撮影。

『関宗祐之墓』と刻まれています。
この関城の城主ですね。

もちろん、このすぐそばに、関城跡の説明板もありました。
ここで確認できる遺構は土塁のみのようです。

このアングルであれば、先ほどよりは土塁跡が分かりやすいでしょうか?
お墓の後方に少し盛り上がった箇所が見えます。

少しズームしてみましたが、、
それほど高さは残っていないので、
やはりはっきり土塁とは判別しにくいですね。

少し前に見かけた祠の箇所。
ここもよく見ると、土塁跡ですね。
こちらの方がもっと隆起の度合いが大きいです。

それよりももっと注目すべきは、こちらの土塁跡です。
城跡に近づく道すがら、ずっと視界に入り、気になっていたのですが、、
やはり土塁跡に間違いありません。

民家のすぐ近くにある、こちらの土塁跡は高さも去ることながら、
ご覧のように規模もそれなりに大きいです。
かなり気になったので、この土塁の上に登ってみることに。。

ある種の予感が的中したのか、、
土塁の上には祠のようなものが二つありました!

供物といい、それなりに整備されているところを見ると、、
やはりここは関城の土塁跡で間違いないですよね。

反対側から撮影。
この土塁跡は、今回の関城探報で一番の収穫だったかもしれません。

最後に、外側から土塁跡を撮影。
少し窪んで見えるところは何やら空堀のように見えなくもないですが、、
はっきりしたことは言えません。
繰り返しますが、この土塁跡を検分できたことが一番の収穫だったかもしれません。
関城跡を訪れて良かった!
そう思えました。
では、これにて検分を終わります。
またの記事で会いましょう。










