小田原城(神奈川県小田原市)|大規模な「総構」が見るものを圧倒する関東一の巨城

初めて踏んだ小田原の地

2026年9月2日(水)。

およそ3ヶ月ぶりの城巡りの目的地は、

神奈川県小田原市にある小田原城(おだわらじょう)です🏯

城巡りも早4年目になるのですが、ようやく、関東一の城を訪れることができました。

小田原城(相模・神奈川県)

◉城のジャンル

平山城

◉文化遺産としての見どころ

評価 :5/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :5/5。

◉駐車場所

専用の駐車場なし(付近にコインパーキングは複数あり)

JR小田原駅から徒歩約5分

この日、私は珍しく電車で訪れたのですが、

小田原城は鉄道によるアクセスが良好で、

JR小田原駅から徒歩およそ5分ほどで行けます。

生まれて初めて踏んだ小田原の地。

JR小田原駅の東口を出ると、ご覧のようにすぐ目の前に小田原城の天守が見えます✨

小田原城が見える方角へ歩いていくと、、

駅近くには「小田原城下町」と銘打った定食屋さんなどが建ち並んでいます。

ちょうどお昼時だったので、少し腹ごしらえ。

「城下町市場」というのもいいですね。

北条の三つ鱗紋が至る所にありました。

さすが、北条氏の本拠地だけのことはあります。

駅からまっすぐ、小田原城の天守の方角を目指して歩けば、まず迷うことはありません。

ところどころに、「入り口はこちら」などと示した矢印版もありますので。

道の途中、「小田原城址」の大きな石碑がありました。

その石碑の裏側に、このような大きな石が並んでいたので、

気になって少し周囲を散策してみると、、

なるほど、ここは「弁財天曲輪」の跡地だそうです。

先ほど見た大石が見えないほど、割と広めです。

このように、示されたルートにしたがい進んで行きます。

まずは馬出門から検分開始!

まず目に飛び込んできたのが、こちらの立派な橋です。

ここは橋を渡らずに、「正規登城ルート」から入ろうと思います。

とはいえ、この橋と周囲の水堀がそれなりの威容を保っていますので、

その様子を以下の動画でご覧ください。

水堀の広さもそうなんですが、

石垣もまた見事、の一語に尽きますね。

では早速、馬出門から検分していきましょう!

なお、ここにある小田原城の城門や天守などは江戸時代以降のものを模して復元されているようで、

おそらく戦国時代、北条氏が覇を唱えていた時は、もっと土城らしい造りだったと思われます。

中に進むと、このように至る所に説明板があります。

この馬出門は復元が平成21年(2009年)ということですから、つい最近のことですね。

まずは、その真新しい門の様子からどうぞ。

至る所に鉄砲狭間も設けられています。

江戸時代に入ってから枡形に改修されたのですね。

枡形虎口や馬出は北条氏も大いに防御構造として使っていたと思いますが。

復元されたものとはいえ、

石垣の間詰石などをみると、城巡りの魂に火がつきます🔥

枡形の馬出門を構造から理解するためには、こちらの説明および図解がわかりやすいと思います。

右下の「改修後」と示されたのが現在の姿ですね。

仮に敵がここに攻め寄せてきても、城門の奥に折れ曲がるようにしてさらに城門があり、

城兵は二重の防御体制を敷くことができます⚔️

馬出門から中に入ると、折れ曲がるようにして、今度はこちらの門に遭遇します。

こちらが、内冠木門だそうです。

それでは、枡形馬出門の構造を、以下の動画でご覧ください。

いかがでしょうか?

この枡形の防御構造。

仮に敵が手前の馬出門を突破できたとしても、

この内冠木門の手前に城兵を集結することができますし、

いざとなれば押し込んで逆襲に転じることもできるでしょう。

続いて銅門(あかがねもん)から二の丸へ!

内冠木門から中に進むと、今度は銅門(あかがねもん)の説明があります。

小田原城二の丸へ入るための入り口のようです。

現在地は、このように。

正確には銅門(あかがねもん)の手間にもう一つ門があり、

構造は先ほどの枡形と同じですね。

鉄壁の防御構造のように見えます。

この絵図をよくみると、、

一番右下に『大手門跡』とあり、正面入り口も実は三の丸内部だったことが分かります。

今の絵図でいう、「住吉橋」がこちら。

その奥に高くそびえるのが、銅門(あかがねもん)でしょうね。

その前に、手前の馬屋曲輪から見ていきます。

写真奥に見えるのが、今通ってきた内冠木門です。

ここも、それなりの広さがあります。

井戸跡までありました。

こちらが、その井戸跡らしいです。

さらに馬屋曲輪の奥にはこのように階段も。。

これは登るしかないですよね。

二重櫓でした。

曲輪の角には必ず物見櫓が配置されますよね。

石段を登ってみたところです。

内部はこのようになってました。

ここからは土塁と水堀、そして最初に渡ってきた馬出門手前の橋が見えます。

敵兵の動きも察知できそうです。

今度は対角線にある角から眺めてみました。

こちらにも水堀、土塁が続いています。

次に、この方角に行ってみます。

たいへん興味深いものを見つけました。

土塁の上に登る階段が斜めに設置されていたとは。。

お分かりでしょうか?

階段が斜めに造られているのです。

これは確かに、珍しい。。

それでは、いよいよ銅門(あかがねもん)へ!!

この住吉橋も立派な造りです。

中に入ると、こちらの説明板がありました。

ここも最初の馬出門と同じで、枡形の構造をしています。

こちらが、銅門(あかがねもん)です。

これまでの城門と比べても規模が違います。

しかもここは緩やかな坂になっています。

内部に進むほど、高くなっていきます。

小田原城はそういえば平山城なんですよね。

接近し、下から見上げたアングルです。

耐火を兼ねた銅の造りというのが、この見た目の色からも分かりますね。

この反りかえるような石垣をみたら、この大きさが伝わるでしょうか。

そこから振り返った図です。

ここも枡形に、直角に折れ曲がるように造られています。

門扉自体が頑丈な造りをしています。

これを打ち破るのは至難の業かと。。

銅門(あかがねもん)を抜けると、また大きく視界が開けてきました。

二の丸へ入ることになります。

奥に進むと、二の丸跡の説明板があります。

この文を読んでも、今の復元された小田原城は江戸時代のものだったことが分かります。

こちらが、二の丸広場です。

先ほどの敷地と合わせ、かなりの広さがあったことが伺えます。

銅門(あかがねもん)がずいぶん遠くに見えます。

二の丸まで到達しましたので、

次はいよいよ本丸です。

常盤木門を通って本丸、そして天守へ!

二の丸からこちらの石段を登って本丸へ向かいます。

さらに上へ上へ、ですね。

少し開けた場所に出たと思ったら、さらに上へつながる石段がありました。

小田原城が平山城というのは納得です。

石段を登り終えたところに待ち構えるのが、本丸へ通じる常盤木門です。

常盤木門の名称の由来などが説明板に書かれています。

石碑までありました。

いざ、突入!!

常盤木門を抜け、、見えました!

目の前に天守が!

ここが小田原城の本丸ですね。

いや〜、圧倒されますね。。

これまでにみてきた城跡の天守の中でもやはり最大規模のものです。

左側に階段があり、そこから天守内の資料館に入ることができます。

天守閣の説明板です。

これまでの施設もそうですが、小田原市および市民の熱量のようなものを感じます。

復興にかなりの熱意が込められているようです。

下から見上げると、これまた圧巻です。。

もちろん、裏側にも回って撮影📸

手前の石垣が崩れている感じ、このリアルな感じが好きです。

天守から眺める景色もまた絶景なり!!

さて、それでは天守内部の資料館に行ってみます。

こちらの階段を登って中へ。

入館料は大人一人¥1,000です。

内部は撮影が禁止されている箇所もあり、、。

可能な限り紹介いたします。

天守の模型があったり。。

全国の天守の背比べみたいなのも😅

小田原城は全国で7位らしいです。

小田原城の復元模型です。

階段を登り、2階へ進みます。

(全部で4階まであります。)

残念ながらこの上はほぼ撮影禁止でした。

4階まで到達すると、外の景色を眺めることができます。

秀吉が築いた「石垣山一夜城」を眺めることもできました。

少し分かりにくいかもしれませんが、

奥に見える鉄塔が二つ建っているところですね。

これだけの至近距離で城を築かれたら、、、

しかも北条方にバレないようにこっそり築城を進めていたと言いますから、、。

いきなり目の前に城が姿を表したら、そりゃ動揺しますよね。

東曲輪というものまで。。

この小高い丘のようなところがそうですね。

あとで行ってみます。

真鶴岬・伊豆半島を眺めることもできました。

いや、絶景なり絶景なり。

これにて本丸・天守をあとにします。

ですが、これで小田原城の検分は終わりではありません。

まだまだ「総構(そうがまえ)」を検分してませんからね。

次は、20万の豊臣軍に備えるため築いたその「総構(そうがまえ)」を検分へ。

北条氏政・氏照の墓所にも足を伸ばす

一通り、小田原城の天守などを検分し終えたことで、ひと段落。

「総構(そうがまえ)」の検分に移行する前に、一箇所気になっていたところがありました。

小田原駅を降りてからすぐ、案内板に表示があった「北条氏政・氏照の墓所」です。

関白秀吉の大軍が小田原に押し寄せた時、北条氏の当主は五代・氏直でした。

氏政は氏直の父、四代当主であり、すでに隠居していたとはいえ、

家中での発言力はなお絶大なものがありました。

そして氏照はその氏政の弟であり、北条家中の中でも無類の戰上手。

築城技術にも長け、八王子城や滝山城など、鉄壁の城構えを敷いていたほどの人物です。

彼らの墓所があると知れば、そこを訪れないわけにはいきません。

Googleマップが指し示す位置を探りながら、到着。

JR小田原駅からほど近い位置にあり、

「◯◯横丁」という繁華街の一角にありました。

居酒屋などが建ち並ぶ騒がしい場所にあるなんて、氏政も氏照も安眠できないではないかと、、やや不満。

五代・氏直は降伏も考えていたためなのか、切腹は免れましたが、

氏政・氏照は見せしめのためもあってか、無念にも切腹。

こちらが、その彼らの墓所です。

お酒が供えられていました。

それぞれの墓所が誰のものであるか、また、自刃した際の石についても解説が。

氏政夫人の墓まであるのですね。

「幸せの鈴」という、なんとも心うたれる取り組みが。

初代・早雲公の時から治世に気を配り、領民のためを思って政治をしてきた北条氏。

民の思いもこの鈴に刻まれていると思いたいです。

こちらが、墓所の前に連なる多くの鈴たち🛎️

北条氏に思い入れのある方々が残していったのでしょう。

「総構」検分の旅へ!!

「北条氏政・氏照の墓所」に心を打たれ、

気を取り直して最後の目的地、「総構」の遺構を見に行きます🚶

小田原城・天守や墓所などはJR小田原駅の東口側にありましたが、

総構の遺構群は駅を挟んで反対側の西口にあります。

西口を出ると、真っ先に目についたのが、初代・北条早雲公の銅像。

いや、現地で見ると、かなり大きいですよ。

想像していた以上の大きさに驚きました。

あらためてGoogleマップで確認してみると、

パッと目につくだけでも曲輪や土塁、堀などたくさんあります。

一つずつ、順を追って見ていきます。

まずは、最も手前にある東曲輪から。

ここは先ほど天守の上から眺め下ろしたあの高台の曲輪ですね。

道沿いに歩いてゆくと、別の角度からの小田原城天守に遭遇。

何度見てもその大きさにしばし目を奪われます。

Googleマップを頼りに道沿いに歩いて行くと、見つかりました!

ここがその東曲輪ですね。

八幡山古郭という名称でした。

北条氏が小田原城を治めるまで、この地の支配者だった大森氏が居を構えていた場所らしいです。

ということは、、戦国期の小田原城はここが主郭ということに。

これまで見てきた小田原城の天守や本丸などは江戸時代のものらしいですからね。

平山城らしい造りの高台へ、登っていきます。

敷地はそれほど広くはありませんが、、

戦国当時はここが小田原城の主郭だったのでしょう。

この位置からもまざまざと天守を眺めることができます✨

まあ、戦国期にはこんな眺めなどなかったのでしょうが。。

さて、ここから本格的に「総構(そうがまえ)」の検分へ。

秀吉の小田原攻めに対抗するため、全長9キロにも及ぶ長大な空堀や土塁を巡らしたという、

その貴重な遺構を見てまわります。

余談ですが、、

正直、ここからが”城マニア”といいますか、一般的な観光客との分水嶺だと思います。

事実、小田原城の天守や城門を訪れた際には、周囲に多くの外国人を含めた観光客が密集していましたが、

私が知る限り、こちらの堀や土塁の遺構を見て回るような人は一人もいませんでした。

”城跡巡り”の本領発揮はここからです✊

にしても、、全長9キロにも及ぶわけですから、

その全てが残っているわけではないにしろ、ある程度歩き回りました。

気温が30度超えということもあり、しかも坂道が多く、途中、何度か心が折れそうになったことも。。

しかし、実際にその遺構を目の前にしたら、その疲れも一気に吹き飛びました🙌

堀切東堀から見ていきます。

堀の幅、深さもかなりなものですし、

右側の航空写真を見たら、「総構」の規模感が伝わることと思います。

黄色の線で囲われたところが全て土塁と堀ですよ!

圧巻ですね。。

こちらが、その堀切東堀の入り口です。

見た瞬間、土城の造りだーーー、っと感動。

この写真でみると今ひとつ伝わらないでしょうが、、

とにかく広い、そして深いのですよ。

ゆうに3メートル以上はありますね。

どこまで続くんだよって、驚いたのですが、、

そもそも全長9キロあったわけですから、これくらいの長さで驚いている場合ではありませんね。

いやむしろ、現在にもこれだけの遺構が残っていることに感謝すべきです。

ようやく切れ目が見えてきました。

いや、長い長い!

しかし、あそこを抜けると、もう一つ手前で見る予定だった三の丸外郭新堀土塁を見に行けなくなりますので、

一旦歩いてきた堀道を引き返します🚶

引き換えす途中、少し脇に登れる箇所があり、

行ってみると、土塁が!!

戦国当時の土塁が残っているというのは貴重ですね。

この土塁の下に、先ほど歩いてきた堀が長く続いているわけです。

戦国当時にはもっとうず高く積まれていたのでしょうが、

それでもそれなりの高さがあります。

Googleマップを見返してみると、、

「城山公園」となっています。

ここの敷地もかつては曲輪の一つだったのでしょう。

堀切東堀を離れ、今度は三の丸外郭新堀土塁へ。

「総構」を構築する前の、三の丸土塁だったようです。

こちらが、その入り口です。

ほぼ迷うことはないと思います。

少し坂を登ると、視界が開け、敷地が広がっていました。

階段状に見える土塁らしきところへ登ってみます。

いやぁ、これまた素晴らしい眺めです。

堀と土塁の稜線がくっきり見えてきます。

柵があり、囲われているのも雰囲気があっていいですね。

奥に方形に深く落ち込んだ空堀、見事!!

いや、絶景なり✨

ここからも、秀吉が築いたという「石垣山一夜城」を眺めることができました。

そして、近くに総構の説明板もありました。

赤紫の線でぐるっと囲っているのが、土塁と空堀です。

とてつもない規模ですよね。。

次に、中堀切というのを検分にいきます。

これも道なりに歩いていくと、案内板がすぐに見つかりました。

この道ですね。

左側に大きな石が並んでいるのも、意味ありげです。。

確かに、堀切らしい、尾根をズバッと断ち切ったような道が続いています。

そして相変わらず左側に並ぶ巨石の数々。。

結局、この巨石群がなんなのかは不明でしたが、

戦国当時のものと思いたいです。

きっとそうですよね。。

やがて案内板が見えてきました。

堀と土塁が複雑に絡み合っている、たいへん貴重な遺構であるようです。

その、大堀切西堀を、いざ検分!

少し坂道を登っていったところに、ありました。

右下にある「ARポイント」というのを活用すれば良かったのでしょう。

ここには合計3つの空堀と土塁が併存しているようで、、

一つが秀吉の小田原攻め以前からあるもの、残り二つが「総構」の際に構築されたもののようです。

おそらく、こちらが元々小田原城にあった堀と土塁ではないかと。

そして、身体の向きを180度変え、

こちらに歩いていくと、、

これはすごい!!

とてつもなく大きな堀が姿を現しました。

これが「総構」の際に造成されたものですね。

下に降りてみると、その深さを実感できます。

いやぁ、これだけの規模が9キロにも及んでいたとしたら、、

相当な土木工事だったでしょう。

さて、「総構」検分もいよいよ終盤。

残りの堀切や土塁も一気に見ていきます。

またまた道沿いに歩いていくと、

こちらの矢印板がすぐに見つかりました。

25メートル先の、「稲荷森」というところから見ていきます。

いや、待ってください!

ここが最も圧巻の堀切じゃないですか?

なんだ、この規模は!

「総構の中でも最も良好に遺構が残っている場所の一つ」。

いや、そうでしょう!

見てください、この際立った堀。

カーブを描くように見事に堀が切り取られ、右側には土塁のようなものも。

ぐるりと、弧を描くように堀が続いています。

見事!

最後の検分場所になります。

山の神堀切へ参りましょう。

ここも、すぐに見つかりました。

”堀切により丘陵が東西に分断”。。

さもあろう、というような堀切が広がっています。

左右の丘陵をズバッと手前から奥まで断ち切ったような。。

よくもまあ、これだけ掘り進めるものですよね。

これにて、小田原城の検分を全て終わります。

総構の堀切や土塁などを含めておおよそ3時間以上はかかりました。

見応えのある遺構の数々でした。

城廻りに興味を持たれた方は、天守や城門だけではなく、堀や土塁の遺構も見て回ることをおすすめします。

また違った世界がそこには広がっていますよ。

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