北条早雲、北条氏康の在陣記録あり。土塁と堀跡が残る高坂城(たかさかじょう・武蔵(埼玉))

2024年6月10日

歴代北条家当主が在陣したという記録あり!

2024年4月26日(金)。

こんにちは、城巡りブロガー、れいやです。

今回紹介するのは、埼玉県東松山市にある高坂城(たかさかじょう)です。

今は高済寺という寺になっていて、埼玉県の重要遺跡に選定されているようです。

高坂城(武蔵・埼玉県)

◉城のジャンル

平城

◉文化遺産としての見どころ

評価 :3.5/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :2.5/5。

◉アクセス

付近に専用駐車場なし

東武東上線高坂駅から徒歩約15分(タクシー約5分)

南北朝期には高坂氏という豪族が館としていたようで、戦国期には北条氏に臣従。

激しい争奪戦を展開した松山城の戦いにおいては、

扇谷上杉氏、古河公方足利市と対峙するため、北条家がたびたび在陣していた記録も残っているようです。

現在、高済寺となっている高坂城は、住宅街にあり、

付近には駐車場らしきものはありません。

東武東上線の高坂駅から徒歩約15分(タクシーなら約5分ほど)ですので、

鉄道利用が望ましいかもしれません。

これが、高済寺の正面です。

それなりに車両の往来がある道路ですので、

横断時にはご注意ください。

入り口の門をくぐってすぐ左側に、

『城山稲荷』という石碑がありました。

この奥に見えるのが土塁跡です。

徳川治世時には加賀爪氏の居館となる

後北条氏が滅亡したのちの徳川治世下では、

加賀爪政尚という家臣がここに居館を構え、

以後、3代目まではここに住まいしていたようです。

お寺の左側を奥に進むと墓地があり、

この写真に示すように、『加賀爪氏累代の墓』もあります。

このように、加賀爪に関する詳細な説明板もあります。

石段を登ったところです。

その説明板の右手に、累代の墓があります。

お墓の前で合掌。

この他にも、、当然ですが、寺内には多くのお墓がありますので、

静粛に、気を払いたいものです。

大きな土塁、それと分かる空堀の跡あり。

徳川家臣・加賀爪氏の墓に詣でるだけであれば、

これで高坂城の検分は終わりなのですが、

この城跡は、かつて北条氏が陣所として兵を駐屯させていた地でもあります。

加賀爪氏のお墓から下には、

それとはっきり分かるほどの空堀を確認できます。

というか、現地を訪れるとすぐに気づくと思いますが、、

このお墓も、高済寺の西側を覆う大きな土塁の上にあります。

同じく、加賀爪氏のお墓の前から撮影した土塁の様子です。

土塁の右手に空堀が見えます。

周囲を住宅に囲まれているのが分かります。

高済寺の内側から見た、境内の様子です。

ここで一旦外に出て、土塁空堀を外から眺めます。

他の城跡と比べ、土塁が草に覆われることはなく、土がむき出しとなっています。

その土塁の手前にある、高坂城(高坂館)の説明板です。

北条初代・早雲や、三代・氏康が在陣したと書かれていますね。

土塁と説明板の位置関係はこのようになっています。

左側の斜面には草が茂っていますね。

もしかしたら、てっぺんはお寺の景観のために草刈りを施しているのかもしれません。

そこから少し奥に歩いていくと、

土塁に接するように空堀が姿を現します。

こうして土塁と合わせて眺めると、はっきり形が分かりますね。

これにて、高坂城(高済寺)の検分を終わります。

加賀爪氏の歴代のお墓、そしてそれと分かるほどの土塁や空堀が見どころでしょう。

それ以外に、城跡として目立つ遺構は確認できませんが、

付近を訪れる機会がありましたら立ち寄ってみてください。

では、本日はここまで。

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