東京・大手町ビル群の間に不自然に佇む鎮魂碑〜平将門の首塚(武蔵・東京)

2024年6月10日

皇居のすぐ目の前。東京メトロでのアクセス抜群。

こんにちは、れいやです。

2024年5月29日(水)。

本日は少し趣向を変え、城跡ではなく、とある墓碑を参拝に🙏

東京都大手町にある将門塚です。

平将門の首塚(武蔵・東京都)

◉城のジャンル

城ではない

◉文化遺産としての見どころ

評価 :4.5/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :0/5。

◉アクセス

東京メトロ(東西線・半蔵門線など)大手町駅C5出口から徒歩1分

ここを訪れるには、車で行ってもいいのですが、

東京メトロ大手町駅からすぐ目の前にあるので、

断然地下鉄のご利用をおすすめします🚃

Googleマップをご覧いただいてもお分かりのように、

実は皇居のすぐ目の前にあります。

少し写真を交えて、その周囲の状況を説明しますね😀

私は今回、東京メトロ東西線を利用して大手町駅で下車。

Googleマップが指し示す通り、C5の出口を目指しました。

電車の利用に慣れている方はご存知かと思いますが、

駅周辺の著名な施設は大体、その目指すべき出口が表示されてますね。

実は、今回の目的地である平将門の首塚(将門塚)は、ビル群の間にあり、

三井物産ビルがその代表的なところです。

駅構内をC5出口を目指して歩いていると、こういった掲示もありますので、

ますます「こちらで間違いない」と確信するに至りました。

ありました!!

C5出口です。

ここの階段を上って地上に出ると、お目当ての将門塚は目の前です。

階段を上り切って地上に出ると、

右側に皇居が見えます。

(木が視界を遮っていますが、実際に現地に行くと皇居のお堀を確認できると思います。)

その皇居と反対側に少し歩くと(感覚的には徒歩約20秒くらい?)、

お目当ての将門塚が見えてきます。

ほんと、ビルの間に挟まれるように存在しているんですよ。。

それでは、なぜこのように将門塚が不自然なまでにビルの間にあるのか

以下で説明させていただきます。

”将門の祟り”の由来とは?

今からおよそ1千年前、坂東(ばんどう:現在の関東地方)では民の生活が困窮を極めるなか、

時の権力者、京の藤原氏が全盛であり、坂東でも国の司が私利私欲に走るあり様でした。

この状況を憂いた将門は兵を挙げて坂東を平定、自ら『新皇』と称して新たな政治を行おうとしました。

将門は民のために立ち上がったのですが、朝廷からは朝敵(朝廷に刃向かう逆賊)と見なされ、

平貞盛・藤原秀郷に討ち取られてしまいます。

討たれた将門の首は京都に送られますが、

三日後には東に向かってその首が飛び去り、武蔵国豊島郡に落ち、

陽の光が消え、闇夜のようになったと言われています。

その首が落ちたところが今の将門塚の地であり、人々は祟りを恐れ、

塚を築いて将門の首を埋葬したとか。。

また、これは私が昔、

歴史ドキュメンタリー番組で見て恐怖した話でもありますが、

第二次対戦後、この地を宅地開発しようとしたところ、ブルドーザーが横転、

運転手は死亡、それ以前にもここの開発・撤去の件で不審死が相次いだため、

”将門の祟り”と恐れたようです。。

それ以降、この大手町に高層ビルが立ち並ぶことはあっても、

この一角だけは誰も触らず、そのまま保存されています。

今でも人々の崇拝を受ける将門公。

上記の”祟り”だけを読んでいると、

いかにも恐ろしい怨霊というイメージがついてしまいそうですが、、

実際には人々の崇拝を受ける”英雄”であります。

将門塚の正面にある石碑です。

現在は、このように周囲を柵壁のようなもので覆われており、

保存会の人の、将門公を敬うお気持ちが見て取れます。

これは今からおよそ2年前(2022年11月に撮影)のものですが、

塚そのものが分厚いガラス材のようなもので保護されていました。

おそらく、周囲のビル建設から保護するためのものだったと思われます。

「祟りを恐れて、、」というよりは、

大切なものを守らなければ、という気概のようなものを感じます。

2年前にはこの塚の周囲に、このような過去の記事も掲載されていました。

この日訪れた際もそうでしたが、

何人もの人がこの塚の前で手を合わせ、祈っていました。

(※中には塚の前で膝をつき、ぬかずいている人まで。。)

それだけ、将門公は今の世の人々からも愛され、崇拝されている証拠ではないかと。

”弱きものを助け、強ものに刃向かう”。

その英雄としての心意気があるからこそ、

関東の多くの城跡でも将門公を祀る神社があり、人々の畏敬の対象となっているのだと思います。

➡️『戦国雑記』ページ