目を見張る大石垣!真田信之が支配した上野の要害~沼田城(ぬまたじょう・上野(群馬))

2025年10月8日

『沼田裁定』など、常に戦国大名の争奪の地となった城。

2025年7月19日(土)。

群馬県沼田市にある沼田城(ぬまたじょう)に攻め寄せました🔥

沼田城(上野・群馬県)

◉城のジャンル

丘城(おかじろ)

◉文化遺産としての見どころ

評価 :4/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :3/5。

◉アクセス

『沼田市観光案内所』や『沼田公園東駐車場』にそれぞれ20台ほどの駐車スペースあり

JR上越線沼田駅からタクシー約8分、徒歩約20分

沼田城は戦国諸大名にとって、特に真田氏にとっては、ひじょうに因縁の深い城でした。

真田氏がまだ武田氏の傘下にあった当時、沼田城を支配していましたが、一時、

織田信長の武田征伐で武田氏が滅ぼされると、真田昌幸は信長に沼田城を進呈し、従属します。

しかし、その直後、『本能寺の変』で信長が滅ぶと、沼田城を含む旧武田領は混乱のるつぼと化し、

真田昌幸はその混乱に乗じて沼田城を支配下に。

以後、北条氏との間で争奪戦を繰り広げますが、

豊臣秀吉が天下をほぼ手中に納め、全国の諸大名に対し、『勝手な戦をしてはならん!』と、

惣無事令と呼ばれる通達を出します。

この当時、昌幸は単独では領地を守りきれなかったため、

近隣の大名と同盟を結ぶことでなんとか凌いでいました。

徳川家と同盟を結び、沼田を守るため北条氏に対抗、奮戦していた真田家ですが、

あろうことか、家康が北条氏政と和睦してしまい、条件として沼田領を北条に引き渡せとの指図。

その後、秀吉がこの北条と真田の争いを調停する形で『沼田裁定』が下され、

沼田城は北条氏の支配下に。

納得のいかない昌幸でしたが、秀吉の北条征伐後、沼田城は昌幸の息子、信之の支配地に。

以後、沼田城は江戸時代中期まで真田氏の領地となります。

沼田城跡は、JR沼田駅からほど遠くない場所にありますが、

『沼田市観光案内所』『沼田公園東駐車場』にそれぞれ駐車スペースがありますので、

車を利用できる方は、そちらの方が便利でしょう。

こちらが、『沼田公園東駐車場』です。

手前の建物はトイレになっています。

Googleマップで確認すると、、

沼田城跡は、その東駐車場から西の方向に。

この広い芝生地の奥に広がる木々のあたりがそうでしょう。

芝生地域を奥まで進むと、両側を土塁に囲まれたこの場所に到達。

城跡はここで間違いないようです。

この隆起した箇所は、説明板こそありませんが、土塁跡でしょう。

本丸の堀跡にさっそく石垣も発見?

その土塁から奥に進んでいきます。

途中、『小松姫』の逸話を記した説明板を見つけました。

『小松姫』は『稲姫』とも呼ばれ、あの徳川家康・四天王の1人、本多忠勝の娘です。

武芸にも優れ、気象の荒い性格で、真田昌幸の嫡男・信之に嫁ぎ、

このようにさまざまな逸話を残しています。

どうやら、この地が本丸だったようです。

この説明板の奥に見えるのが本丸の堀跡なのですが、

同時に、当時の石垣も発見されているようです。

これが、その本丸の堀跡です。

右側に石垣らしきものも確認できます。

あとで接近してみます。

その堀跡の左側を奥に進んでみます。

一段高いところから周囲を見渡すと、

最初に歩いてきた芝生地とグランドが見えました。

このあたりはおそらく、本丸を囲む外郭(そとぐるわ:防御スペース)だったのではないかと。

先ほどの本丸堀跡を、反対側から撮影。

そして、石垣に接近して撮影📸

ただ、後から思ったのですが、ここは塀を配置するために整備されたものではないかと。。

もっと奥に見えるものが、当時の石垣だったかもしれません。

ふと反対側に目をやると、石垣の名残と見られるものも。。

先ほどの説明板によれば、下部の4分の1は残存していたということですが、、果たして。。

先ほどの説明板の位置に戻ってみると、

ここには本丸の門もあったようです。

広々とした本丸跡には、さまざまな遺構が。。

現在地をGoogleマップで確認すると、、

近くに、『天守閣跡推定地』とあります。

ありました!!

かつてはこの位置に、高々とそびえる天守閣があったのでしょう。

個人的には、模擬天守で構わないので復元してほしいと思っちゃいました😅

本丸跡の探究はまだまだ続きます。

見てください、この広々とした敷地!

奥には鐘楼(しょうろう)らしきものも確認できます。

この『沼田城絵図』、内容に記載されている通り、

城の防御構造が丸裸となるくらい、詳細に記されています。

これが敵方の手に渡ったら、城を守ることは困難だったでしょうね。。

そして本丸跡には必ずといっていいほど存在する、神社、鳥居。

ここも、他の城跡の例に漏れず、厳かな雰囲気が漂っていました。

この沼田城を治めていた真田信之と、妻・小松姫の銅像も。

負けん気の強い稲姫を正妻に迎え、信之もさまざま苦労したことでしょうが、

いろんな逸話を聞くにつれ、かなり仲が良かったのではないかと推察します😀

なぜか『戦国無双』のデザインをあしらった立ち絵がところどころにありました。

他の城跡でもそうだったのですが、最近の”流れ”というやつなのでしょう。

にしても、本丸跡は広いです。

ここを歩くだけでも、ちょっとした『公園内の散歩』になりますよ。

少し離れた位置から、再度、鳥居の方を撮影📸

これだけでも、敷地の広さが伝わるでしょうか。

今度は真田信之にまつわる逸話を記した説明板が。

第一次上田合戦での信之の戦いぶりは見事だったと私も思います。

NHK大河ドラマでは大泉洋が味のある信之を演じてますので、機会がある方はご覧ください。

ふと、本丸の縁に沿って歩いていると、このように、

低い土塁のようなものも目に入ってきます。

そしてその奥は、かなり深そうな堀が?

普通に歩いていると、単なる平地の公園と錯覚してしまいがちですが、

ここは丘城(おかじろ)であり、それなりに高さもあるんですよね。

またも稲姫の逸話。

『無礼ではござらぬか!』と怒った信之も立派ですし、

その気概に惚れ込んだ稲姫も、婿を見る目があったということでしょう。

また本丸跡を縁沿いに歩いていくと、

この丘城(おかじろ)の周囲を取り巻く地形をわかりやすく記した案内板がありました。

そう、近くには利根川が天然の要害となっていたのですね。

少し見づらいかもしれませんが、、

こうしてみると、やはりそれなりの高台の上に城が築かれたことが分かります。

ふと横に目を向けると、岸壁のような岩肌が。

これを見るだけでも、この城が高地にあり、攻め込みにくいことが伝わります。

さて、先ほどから気になっていた鐘楼(しょうろう)までやってきました。

この鐘楼に関する歴史が詳細に記されています。

別のアングルからもう一枚📸

鐘楼から少し歩いたところに、こちらの綺麗な絵図が。

天守閣を含め、当時の沼田城の姿を想起させるものですね。

目を見張るほどの、大きな石垣は必見!

この沼田城を訪れたら必ず見ていただきたい、といいますか、

絶対に見逃してはならない遺構があります。

それが、櫓台の石垣です。

この説明板にある通り、信之が支配していた当時から300年以上も残っていたという、

貴重な遺構ですね。

この右側にある小高い場所が櫓跡なのでしょう。

すでに、この箇所の石垣を見るだけでも、かなり趣があります。

最初に見た、本丸堀跡の石垣とはまるで違いますね。

どうですか!

この、大きな石の間にびっしりと詰め込まれた、間詰石(まづめいし)

これが、戦国当時から残る石垣であることを物語っていると言えるでしょう。

あまりに見応えがありますので、

さまざまなアングルで撮影しました📸

いや〜見事です!

これだけでも見応えあるのですが、、

この先にまだまだ、迫力のある石垣が隠れています!

この石の大きさ!!

大きさだけでなく、形が不揃いなのも、石垣の大いなる魅力でしょう。

奥まで行くと、このような。。

石垣があまりに美しいので、奥のものが何かは気にならず。。

正直、この石垣を見にくるだけでも、沼田城は訪れる価値があるのではと思います。

沼田城の規模感をさらに思い知ることに!

さて、ここで一旦、Googleマップで周囲の遺構を確認してみると、、

まだまだ北側奥に沼田城の防御スペースがありそうです。

本丸を抜け、この先にある開けた敷地に足を運んでみます。

いつも城跡を訪れると、クセになっているのですが、

大事な遺構を見落とさないよう、なるべく敷地の縁に沿って歩いていきます😅

ふと、敷地の外側に目を向けると、、

木々が茂っていて判別しにくいのですが、

間違いなく、落差があることが分かります。

そして、今歩いているこの敷地は、

『捨曲輪跡』だったことが判明しました。

いざという時には”捨てても良い曲輪”なんて意味でしょうか?

いや、もっと深い意味がありそうです。

にしても、この曲輪も広いですね。。

さらに奥まで歩いて行くと、、

『平八石』という、これまた逸話のある遺構に遭遇。

真田昌幸が謀略によって敵方の武将に殺害させた、沼田平八郎の首級を置いた石だそうです。

これがその、首を置いたらしい石だそうですが、、

なんかゴツゴツしていて、首を置けるようにも見えませんが、、。

そして、また曲輪の縁に沿って歩いていくと、この案内板が。

名胡桃城(なぐるみじょう)は、この沼田城の支城的な立ち位置になります。

このあと、訪れます。

この山の右端にある少しだけ小高い箇所が、名胡桃城(なぐるみじょう)ですね。

先ほど、Googleマップ上に確認した複数の曲輪の跡は、はっきり確認できませんでした。

そのあたりは、今では民家などになっており、進むことが難しいからです。

もう一度、最初に歩いてきた芝生の地域、グランドのところまで戻ってきました。

実は、この近くが、沼田公園(城跡)の入り口であり、

このような石碑もありました。

このように説明板もありました。

『天空の城下町 真田の里 沼田』とあります。

かっこいい響きですね。。

ここは、『日本の歴史公園百選』でもあるようです。

再度、グランド沿いにある土手の道まで戻ってみると、

このお店を発見しました。

中にはガチャガチャが複数置かれていました。

真田六文銭の暖簾がいいですね。

それでは、これにて沼田城跡の探訪を終わります。

正直、大きな石垣以外はそれほど見応えないかもしれませんが、

真田を取り巻く当時の状況など、歴史を知る意味では訪れる価値はあると思います。

当時の戦国事情的には、沼田城はかなり重要な城でしたからね。。

その歴史背景を知るには、大河ドラマ『真田丸』の視聴がおすすめです。

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では、またの記事をお楽しみに!

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