土山城マニア必見!芸術的な構造を見せてくれる常陸の平山城~長山城(ながやまじょう・常陸(茨城))
桓武平氏の末裔である長山氏。
2025年6月6日(金)。
茨城県潮来市にある長山城(ながやまじょう)へ攻め寄せました🏯

◉城のジャンル
平山城(ひらやまじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉アクセス
隣に『かすみの郷公園』があり、およそ10台ほど駐車可能スペースあり
JR鹿島線潮来駅からタクシー約10分
長山城跡は、霞ヶ浦のすぐ近くにあります。
隣に『かすみの郷公園』があり、そこに10台分ほどの駐車スペースがあるので、
そちらを利用するのが吉かと。
ただし、公園の利用者が多い場合は遠慮しましょう。。
付近に駅などはなく、鉄道を利用するとなれば、JR鹿島線の潮来駅からタクシーを利用するしかないかと。。

こちら、『かすみの郷公園』に車を停め、長山城跡に向かいます。
この日は公園の利用者がいなかったため、ほぼほぼ空いてました。
他の車の持ち主も、ちょっとした休憩で立ち寄っただけのようでした。

『かすみの郷公園』から見た長山城跡です。
典型的な平山城(ひらやまじろ)ですね。

要所要所に、このような案内板があり、
近くまで来れば見つけることは難しくはありません。

このように木で造作された階段を上り、城跡へ。

右側に説明板、そして左側に石碑があります。

長山氏というのは、常陸平氏の流れをくむらしいです。
城の遺構についても詳しく記載があります。

城跡は大きく、本丸と二の丸から構成され、土塁と多数の空堀で覆っています。
右上にある枡形というところは、はっきりと特定できませんでした💦
もし特定できる方がいらっしゃったら、ご教授ください🙏

この『長山氏系図』を眺めて少し驚いたのですが、、
あの平将門とも争った平国香の流れをくんでいたのですね😳
下総や常陸にかけて、平氏の土地があったというのはすごく納得です。
以下の記事も参考までにお読みいただければと。。
平将門の生誕地・豊田館跡に築かれた城~向石毛城(むこういしげじょう・下総(茨城))
城巡り初心者が遺構を判別するのはちと難しい。。?
説明板にざっと目を通し、
さあ、いよいよ城跡を検分に、、と、説明板の裏手から登ろうとしたのですが、、
道らしい道がなく。。

ふと右手に目をやると、、
奥に田んぼが広がっています。
先ほど見た城跡略図によれば、このあたりは当時の外堀に該当するはず、、
と見当をつけ、こちらから巡ってみることにしました。

やっぱり、、。『城跡はこちらですよ〜』と言わんばかりに矢印が➡︎。
この道沿いに進んでみます。

道沿いには、このように田んぼがかなり広範囲に。。
戦国当時は、外堀に該当したのでしょう。
もしかして、当時は水堀だった?
いや、それは近世に入ってからか、、だとすれば普通の空堀だったか。。
な〜んて、いろいろ想像を巡らせて見て回るのも、城巡りの醍醐味ですね。。
なにせ、あとでまた知ることになるのですが、、
この城跡は朽ち果ててあまり整備されていないのか、
遺構を示す目印(説明板)がほとんどなく、
城巡りの初心者が巡るにはちと難しいんじゃないかと思いました。
(かくいう自分もまだまだ初心者の域を出ないですが😅)

そうそう、これですよ。
ここはしっかりと矢印版がありました。
これがなかったら、『大体、ここかな?』なんて見当をつけて入っていくしかないですからね。。
二の丸の堅固な造りにしばし感嘆。。
矢印版が示す方向へ、
いざ、足を踏み入れていくと、、

両脇に高い土塁が、訪問者を待っていました。
城跡略図で確認したところによれば、、
この左手が二の丸、そして右手が本丸ということになるのでしょう。

その道沿い、というか、道と思しきところは空堀だったようです。。
写真でお分かりのように、空堀を示す説明板が下に落ちてました。。
これがなかったら、あるいはここが空堀だなんて気づかなかったかも。。
(まだまだ城巡り初心者ですな。。😅)

その空堀から、二の丸側に目を向けると、、
うっすらと、獣道のようなものが見て取れました。
この赤矢印が示した道を登って二の丸に向かいます。
(※残念ながら、二の丸を示す説明板は発見できませんでしたが、ほぼここが二の丸で間違いないと思います。)
にしても、道が折れ曲がるようにして造られている、その防御の工夫がお分かりでしょうか?
これは敵兵が容易に攻め上れないようにした工夫かと。

写真の左手に見える道が、最初に通ってきた空堀です。
右手にある二の丸へ、上っていきます。
にしても、傾斜が思った以上に急です💦
ここに攻め寄せるのは難儀だなぁと。

息を切らしながら急な坂道を上り、二の丸に到達しました。
それなりの広さがあります。
残念ながら、それと示す説明板らしきものは見当たらず。。

ところどころなくなっていますが、ほぼ二の丸の全周を覆うように、土塁が巡らされていました。
ではここで、二の丸全体を撮影した動画をご覧ください。
動画の前半部分では、土塁上から撮影したため、本丸側が少し映っています。
そして後半部分では、二の丸眼下にやや平坦部もありました。
あとで行ってみます。
平山城というだけあり、それなりに堅固な構造になっているのが見て取れます。

土塁の上から二の丸の下を撮影した写真です。
右側に少し開けた平坦部があるのがお分かりでしょうか?
腰曲輪(こしぐるわ)か?と思われるほど、開けた地形っぽいです。
腰曲輪(こしぐるわ)とは、、
山腹の斜面を平に削り、下から攻め登る敵兵を迎撃するための防御スペースです。

別の場所から、再度同じ位置を撮影📸
赤い楕円で囲ったところが、平になっているのがお分かりでしょうか?
これだけの広さがあるというのは、やはり意図的に造成したものとしか思えません。。
あとで検分します。

土塁に沿うように、二の丸をぐるりと回ってみると、、
何やら虎口(こぐち)らしきものも。。
虎口(こぐち)とは、、土塁の一角に設けた城兵の出入り口で、
しばしば敵兵の侵攻を防ぐため、
そこに至る山道を折れ曲がるようにして造った防御施設です。

その虎口(こぐち)を抜けてみると、、
下に続く獣道がやはりありました。。
案内板はありませんでしたが、これまた、二の丸に至る通路なのでしょう。

そして道の途中でまた、このような平らな箇所が。
ここも自然にできたものとは思えないんですよねぇ。。
腰曲輪(こしぐるわ)じゃないのかと。。
まあ、いうほど高さはないので、防御スペースとしてはあまり意味がないのかもですが。
略図には示されてないので、やっぱり違うのかなと。
いろんな山城、平山城を巡るたび、思うわけですよ。。
腰曲輪(こしぐるわ)って、略図に示されないことが多いんですよね。
私がそう思い込んでるだけなのか、ホントにそうじゃないのか。。

さて、先ほどから気になっていた、二の丸眼下の腰曲輪(こしぐるわ)と思しきところへ。
この写真の位置、二の丸の入り口へ一旦戻ります。

ホントなら写真の右側にある獣道を下りるところなんですが、
下りの坂道の途中に、このような人が1人歩ける道が伸びてるんですよねぇ。。
ちょうどさっき土塁の上から確認できた平坦部の方向に向けて。
これはほぼ間違いないでしょう。

やっぱり、そうでした!
少し草が生い茂っていて分かりにくいですが、、
上部に見えるのが、二の丸の土塁ですね。
さっきはこの上から、ここを見下ろしていたことになります。

はい、ここがそうですね。
先ほど赤い円形で囲った箇所。平らになっています。
写真の左側が二の丸で、右側が下りになっています。
これを腰曲輪(こしぐるわ)と言わずしてなんと言いましょう。
右側から攻め上ってくる敵兵をここで駆逐するに違いありません。
でなければ、自然に平らにでもならない限り、
これだけのスペースをここに確保する意味はないです。

それでは、来た道を引き返し、次に二の丸の向かいにある本丸へ前進します。
道の下側に見えている窪みは、最初に通ってきた空堀です。
この空堀が、本丸と二の丸を隔てています。
本丸から、あらためて二の丸を検分。
今回、この長山城で最も感嘆させられたのが、二の丸の構造でした。
本丸に上ってみて、あらためて二の丸の素晴らしさを実感することになります。

空堀を越え、いざ、本丸へ!

ここで一旦、先ほど検分した二の丸を振り返ってみると、、
芸術的なまでに、その稜線が見て取れます。
分かりやすく、赤線で目印を付けてみました。
②の線が、先ほど腰曲輪に向かうときに通った道です。
②から①の線にかけて盛り上がっているところが二の丸であり、
①の線が土塁のてっぺんになります。
そして、一番下の③の線が、本丸と二の丸を隔てる空堀です。
(本丸側からの撮影になります。)

さて、今度こそ本丸へ。
写真の右手に見える坂道が本丸へ通じる道ですね。

坂道の途中でまた振り返り、、
というのも、この下(写真右側)に広がるだだっ広いスペースがすごく気になったんです。
広さからして、ここも城内の防御スペースの一角のような。。
城兵の待機場所のようにも想像できます。
最初の案内板で見た略図には、この箇所は何も記載がありませんでした。

本丸に到達しました。
ですが、この写真では広さなどが伝わらないと思いますので、
以下の動画でご確認ください。
ざっと見た感じ、二の丸の1.5倍くらいはあります。
これから土塁に沿って検分していきます。

本丸の土塁の上から、最初に入ってきた道が見えました。
これだけの高さがあれば、敵兵の侵入する様子がよく把握できますね。
ここから弓矢による射撃もできそうです。

本丸の中心部当に、こちらの立札がありました。
以前は二の丸や他の施設にもあったのでしょうが、、
綺麗に残っているのはここぐらいかなと。

土塁沿いに歩いてみると、虎口(こぐち)らしきところを見つけました。
ちょうど土塁の切れ目になっています。
方向的には、最初に侵入してきた坂道のちょうど反対側です。
こちらは山麓の外堀に面した側ですので、こちらが正面虎口なのかもしれません。

本丸も二の丸と同様、高さはそれほどありませんが、
土塁が曲輪内を取り囲むように伸びています。

最初に案内板の略図で確認した枡形というところにも行ってみたのですが、
草木が生い茂っていることもあり、はっきりと判別できませんでした。。
悔しい気持ちを抑えつつ、今度は本丸の下に伸びている道を、外堀方面へ進んでいきます。
写真のように、土塁が前方の視界を遮っていますが、その先に行くと、、。

ここも獣道らしきものを確認できました。
もう目の前が外堀(田んぼのあたり)ですね。

危うく見落とすところだったのですが、、
竹の手すりに、木の階段を発見しました。
草が生い茂る季節じゃなければ、もっと見つけやすいでしょうね。

草でほぼ階段が見えづらくなっていましたが、慎重に一段一段降りていきます。
階段そのものはしっかりしていますので、大丈夫でした。

階段を下りきったところで、下から撮影📸
平山城(ひらやまじろ)の高さがお分かりでしょうか。

今降りてきた階段からさらに外側(東側)に歩いてきて、
ご覧の矢印版を見つけました。
階段になっている箇所も、当初は矢印版があったのかもしれません。
それか、草木で埋もれてしまっているのか。。
いずれにせよ、城跡によっては案内板や説明板が整っていないところもありますので、
城跡の防御構造を想像しながら細部まで実際に歩いてみることですよね。。
自然と観察眼が磨かれますし、思わぬ発見があったりします。
私自身、まだまだ城巡り初心者の域を出ませんが、
だいぶ土山城を見る目は肥えてきた気がします。

最後に、田んぼ(外堀)沿いに、最初の案内板の位置に戻ります。
もう、はるか先😵
遠い。。。
ここからだと、写真右側の手前が本丸、その奥が二の丸ということに。。
この長山城の規模感が何となくでも伝わりますでしょうか。

最初の案内板の位置に戻ってきました✨
各施設をじっくりみて回ると、おおよそ30分〜1時間弱というところでしょうか。
なかなかに見応えありました。
特に、二の丸の構造には感嘆ばかりでした🤩
皆さまも、もし付近を訪れる機会ありましたら、一度検分してみてください。
では、またの記事で。