空堀・土塁を備え、北浦に臨む台上の城~津賀城(つがじょう・常陸(茨城))

北浦の波の流れにまず心奪われました。。

2025年6月6日(金)。

茨城県鹿島市にある津賀城(つがじょう)を訪問しました🏯

津賀城(常陸・茨城県)

◉城のジャンル

平山城(ひらやまじろ)

◉文化遺産としての見どころ

評価 :2/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :3.5/5。

◉アクセス

津賀城址公園駐車場に約30台ほどの駐車スペースあり

鹿嶋臨海鉄道大洗鹿嶋線・鹿島大野駅からタクシー約7分

津賀城跡は、『津賀城址公園』に隣接する形であります。

付近には鹿嶋臨海鉄道も走っていますが、この城跡まではやや距離があるため、

お車での訪問が望ましいでしょう。

『津賀城址公園』内に約30台ほどの駐車スペースがあります。

、、と、城跡を紹介する前に、、

ここに至る、北浦の眺めがあまりに絶景だったため、

まずはそちらを先に紹介したいと思います。

これが、北浦です。

ちなみに浦とは、、調べてみると、、

海や湖の、波が静かな入江(の浜辺)。

だそうです。

厳密には海ではないのですが、

太平洋に注ぐ利根川から分岐してできた、大きな入江ですね。

この北浦の様子を動画でも収めましたので、ご覧ください。

台上にある、典型的な平山城の外形を眺めやる。。

北浦の眺めはいかがでしょうか?

実際にここを車で訪れた際、北浦にかかる橋を渡るのもまた楽しいものです。

今回もその眺めを楽しみました。

そして、橋を渡り終え、北浦の対岸沿いに、津賀城跡があります。

橋を渡り終え、すぐ津賀城跡が見えてきます。

写真でお分かりのように、典型的な平山城です。

まさしく、台上にある城、といった感じですね😀

こちらが、『津賀城址公園』の入り口です。

”公園”というだけあって、中にはこのような遊具もあります。

こちらが、『津賀城址公園』の駐車場です。

ざっと、30台くらいは駐車できるスペースがあります。

そして、駐車場の奥にあるこの道を進み、津賀城跡を目指します✨

右手にはトイレもあります。

分岐した道を、右手に進んでいきます。

道の途中、さっき渡ってきた北浦の橋を眺めることができました。

何度眺めても、飽きなさそうです😅

さらに道を奥に進むと、、

右奥に、城跡の案内板らしきものが見えてきました。

この先で間違いなさそうです。

『津賀城跡』の案内板がありました!

津賀氏の歴史について書かれています。

少なくとも、土塁空堀の遺構を確認できるようです。

では、この案内板の奥にある階段を登り、いざ、津賀城跡へ!

まずは腰曲輪(帯曲輪)?と思しき遺構を確認。。

階段を登っていくと、、

左右に分かれる道に出ました。

右側に目をやると、、土橋らしきものが見え、手前に空堀跡が伺えます。

あの土橋の奥にある(写真左手)のが津賀城の主郭(本丸)でしょうね。

そして、道の左手には主郭をぐるりと囲うように、さらに道が続いています。

何やら、腰曲輪(こしぐるわ)のようにも見えますが、、

行ってみます。

腰曲輪(こしぐるわ)とは、、

城郭・戦国史研究家である西股先生の著書にある以下の絵図で説明するのが分かりやすいかと。。

この上の図のように、主郭をぐるりと取り囲むように山腹を平に削ったものを腰曲輪(こしぐるわ)といい、

さらに、その腰曲輪(こしぐるわ)が、山腹の全周を一周するように囲んだものを帯曲輪(おびくるわ)といいます。

この曲輪によって、主郭部の防御の役割を果たすとともに、

敵兵がよじ登ってきた時には、この腰曲輪(こしぐるわ)にて城兵が敵を迎え撃つこともできるわけです。

さあ、その腰曲輪(こしぐるわ)と思しき道を先に進んでいきます。

写真の右側に見えるのが主郭部(本丸)ですね。

奥に進んでいくと、最初に車を停めた、『津賀城址公園』の駐車場が眼下に見えてきました。

この写真からだけでも、津賀城の規模感が伺えると思います。

さらに奥に進んでいくと、、

おそらく、主郭部のほぼ真裏にあたるところでしょう。

このように、木々が鬱蒼と生い茂っていました。。

視界が開けてきました。。

どうやら、最初に確認した土橋のあたりですね。。

、、ということは、やはり、この道は主郭をぐるりと取り囲むように造られた腰曲輪

いや、帯曲輪の可能性が高いのでは。。と。

ただし、案内板などにもはっきり明示されているわけではありませんので、

あくまで私個人の勝手な推測に過ぎません。悪しからず。。

空堀、土塁、虎口まで確認!

さて、それではいよいよ、この土橋を右に渡り、

津賀城跡の主郭部(本丸)に侵入します。

土橋の手前には空堀も確認できます。

どうですか、この見事な造りの土橋

両側には深く落ち込んだ空堀が敵兵を待ち構えています。

敵兵は主郭部に攻め込むために、この土橋を渡らなければなりません。

それに対し、城兵が奥から迎撃するわけですね。

そして、その土橋の奥には虎口(こぐち)も見えます。

虎口(こぐち)とは、、

城の曲輪(防御スペース)の出入り口に設けられた防御スペースであり、

しばしば城門などが配置され、この狭い出入り口に押し寄せる敵兵を効果的に迎撃するための、

いわば”必殺のキルゾーン”といえる防御施設です。

これが虎口(こぐち)です。

両側に高い土塁がそびえ、ここに攻め寄せる敵兵を、両側の土塁上から城兵が矢を浴びせたりします。

それでは、この奥に広がる主郭部(本丸)の様子を動画に収めましたので、ご覧ください。

ご覧のように、主郭部(本丸)は全周を高い土塁に覆われ、堅固な造りになっています。

そして、奥には何やら櫓台(見張り台)のようなものも確認できました。

その、櫓台らしきものを確認します。

櫓台、というほど高さはありませんでした。

ひとまず、登ってみます。

櫓台の上からでは、遠くまで見渡せなかったので、、

あえて危険を犯し、櫓台の上に足をかけて上り、その状態で撮影しました。

これでしたら、北浦を含め、遠くまで見渡せます。

櫓台(物見台)は、しばしば城の本丸の一角に設けられ、

押し寄せる敵兵の動向を探る目的を果たしていました。

櫓台の側から、あらためて主郭部を眺めてみました。

それなりの広さがあったことが窺えます。

さて、それでは次に、この虎口(こぐち)から再度、主郭部を抜け、

反対側に見える奥の道に進んでみます。

これまた、何やら土橋のように見えます。

その橋の両側には、このように空堀らしきものが見えたので、おそらく、

ここも土橋の役割を果たしていたのではないかと。。

造がかなり現代的なので、どうかなとは思いましたが、、。

その先を奥に進むと、、

このように左右に分岐するように道が分かれていました。

ためしに、左側の道を進んでみると、、

下り坂になっていて、その先は一般道につながっていました。

ということで、、きた道を戻り、右側の道を進んでみます。

右側の道も下りになっていて、、先の様子から、城跡の入り口に戻るのではないかと。。

やはり、そうでした!!

最初に訪れた道に突き当たり、、奥に城跡の案内板が見えます。

ということで、、これにて津賀城の検分を終えます。

またの記事で会いましょう!!

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