利根川の激流により遂には廃城に至った上州の要害〜前橋城(まえばしじょう・上野(群馬))
前橋市役所をぐるりと囲むように大規模な土塁あり!
皆さんこんにちは、シンです。
2024年10月17日(木)。
群馬県前橋市にある前橋城(まえばしじょう)(※古くは厩橋城(まやばしじょう)とも)を訪れました。
前橋城は『関東七名城』の一つに数えられています。
また、城主は厩橋長野家から上杉謙信の武将にとって代わり、さらにはその武将が北条方に寝返ったりと、
上杉、武田、北条の争奪の地であったようです。
本能寺の変後は滝川一益が支配し、さらに北条征伐後は徳川家康の家臣・平岩親吉に渡っています。
以上の変遷から、まさに上州(関東)における要衝だったことが伺えますね。。
前橋城跡は現在、群馬県庁や前橋市役所となっていて、
最寄駅はJR両毛線前橋駅になりますが、若干距離があります。
近くの有料コインパーキングを利用する前提で車で行かれてもいいかもしれません。

私自身、すぐ近くのコインパーキング(確か平日24時間800円だったかな)に駐車、
そこから歩いて約1分、群馬県庁を目指しました。

ここが群馬県庁。
遠くからでも確認できるほど高い建物です。。

ここが本丸跡地だったような、、
と思いつつ中心部に歩いて行きますが、
平城(ひらじろ)の宿命か、それらしき遺構は全く見当たりません。。

一度、群馬県庁の中を突っ切り、反対側に出てみると、、
目の前に突然、それと分かる大きな土塁が!
あとではっきり認識しましたが、
城跡の北・東・西側がほぼ土塁で囲まれています

ご覧のように、土塁は長く、ずっと先まで見渡せます。
この土塁は前橋城跡の唯一の見応えと言っていいでしょう。

その群馬県庁から一旦道路を渡った先に、
こちらの虎姫観音堂というものが。。

その観音堂の本堂です。
荒れ狂う利根川の激流を鎮めるために建立されたとか?

その観音堂の脇に、こちらの天守閣推定復元図もありました。
このあたりに天守閣があったとか記述されていますね。
やはり、前橋城は北関東の要衝であったみたいです。

その観音堂のすぐ横には利根川の流れを確認できます。
利根川は前橋城の西の防衛ラインでありつつも、
しばしばその激流によって城郭が破壊される憂き目に。。
利根川の激流がなければ、もっと遺構は残っていた??
再度、道路を渡って群馬県庁側に戻ります。
もっと遺構は残っていないか確認して回ります。

先ほど確認した土塁に沿って北側に歩いていきます。

土塁が折れ曲がるように、長く伸びています。
あの突き出た土塁の先へ先へ。。

ぐるりと回ってきてみると、
土塁に囲まれるようにして北側の出入り口がありました。
にしても、立派に土塁が残っていますね。
比較的宅地造成化されやすい平城(ひらじろ)としては、
これだけ残っているのはむしろありがたいことかもしれません。

さらに土塁に沿って歩いていくと、、
『前橋城跡の碑』というのを発見!!
土塁に突き刺さるようにして建っています。

ご丁寧に石段の登り口がついてます。
当初から、『土塁には上らないでください』というような注意書きがあちこちにあったのですが、、
ここだけは登って大丈夫なようです。

登った先は、このようになっています。
土塁の上に石碑や説明板がありました

石碑の右奥にはこちらの説明板もありました。
前橋城が様々な大名家の城主に代わっていった、その変遷の歴史を確認できますし、
江戸時代に入ってからは利根川の激流によって城郭の破壊が進み、川越城に移らざるを得なかったことなど書かれています。
それがきっかけとなったのか、
やがてこの前橋城は廃城に。。
、、ということは、その利根川の激流がなければ、廃城には至らず、
城跡の遺構はもう少し残っていたかも?
と考えるのは無理があるでしょうか。
いずれにしても、平城(ひらじろ)は宅地化されやすいため、
いずれの城跡も遺構は残りづらい宿命にありますが。

そこから土塁の上を眺めわたしてみました。
県庁の建物を確認できます。
ここにも注意書きがあり、この土塁の先には行けません。

一旦、土塁を降り、県庁の正面入り口の方へ。
相変わらず土塁が続いています。
これだけ大規模に土塁が残っているだけでも、ほんと、ありがたいことでしょうね。

入り口に到達。
『三の丸緑地』とありますが、、
このあたりが三の丸だった?
そういえば、利根川沿いの観音堂あたりに天守閣(本丸)があったとすれば、
このあたりが三の丸でもおかしくないのかも。。

すぐ近くに、こちらの復元図がありました。
う〜ん、やはりこの県庁一帯が本丸跡だったように見えますが、、謎です。。

他に、周囲にそれらしき遺構はないか、Googleマップで確認すると、、
厩橋城車橋門跡というのがあります!行ってみます!

現地に着いてみると、、やっぱりそうですよねぇぇ。。
多くの平城(ひらじろ)の宿命ですね。
宅地化されやすい分、なんとか門の跡など、ほとんど残っていないんですよね。。
せいぜい、このような石碑が建っている程度。

再び県庁前に戻り、少し遠景アングルで土塁を撮影
これだけ立派な土塁を確認できただけでも良しとしましょう。

県庁の内側から土塁を見ると、こちら側がもっともらしいかもしれませんね。

前橋城の防衛ラインであった利根川。
防御の要でありながら、やがては城そのものを破壊に至らしめた激流。
自然の力はコントロールできないものですよね。
この利根川に翻弄された前橋城の歴史というのも、それはそれで味わい深いものがあると思います。
広範かつ大規模な土塁、利根川の流れを確認したい方は、一度足を運んでみてください。
それでは、またの記事で!