利根川の激流により遂には廃城に至った上州の要害〜前橋城(まえばしじょう・上野(群馬))
前橋市役所をぐるりと囲むように大規模な土塁あり!
皆さんこんにちは、シンです。
2024年10月17日(木)。
群馬県前橋市にある前橋城(まえばしじょう)(※古くは厩橋城(まやばしじょう)とも)を訪れました。
◉城のジャンル
平城(ひらじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉アクセス
城跡付近に専用駐車場なし
最寄駅:JR両毛線前橋駅からタクシー約6分(徒歩約25分)
前橋城は『関東七名城』の一つに数えられています。
また、城主は厩橋長野家から上杉謙信の武将にとって代わり、さらにはその武将が北条方に寝返ったりと、
上杉、武田、北条の争奪の地であったようです。
本能寺の変後は滝川一益が支配し、さらに北条征伐後は徳川家康の家臣・平岩親吉に渡っています。
以上の変遷から、まさに上州(関東)における要衝だったことが伺えますね。。
前橋城跡は現在、群馬県庁や前橋市役所となっていて、
最寄駅はJR両毛線前橋駅になりますが、若干距離があります。
近くの有料コインパーキングを利用する前提で車で行かれてもいいかもしれません。
私自身、すぐ近くのコインパーキング(確か平日24時間800円だったかな)に駐車、
そこから歩いて約1分、群馬県庁を目指しました。
ここが群馬県庁。
遠くからでも確認できるほど高い建物です。。
ここが本丸跡地だったような、、
と思いつつ中心部に歩いて行きますが、
平城(ひらじろ)の宿命か、それらしき遺構は全く見当たりません。。
一度、群馬県庁の中を突っ切り、反対側に出てみると、、
目の前に突然、それと分かる大きな土塁が!
あとではっきり認識しましたが、
城跡の北・東・西側がほぼ土塁で囲まれています✨
ご覧のように、土塁は長く、ずっと先まで見渡せます。
この土塁は前橋城跡の唯一の見応えと言っていいでしょう。
その群馬県庁から一旦道路を渡った先に、
こちらの虎姫観音堂というものが。。
その観音堂の本堂です。
荒れ狂う利根川の激流を鎮めるために建立されたとか?
その観音堂の脇に、こちらの天守閣推定復元図もありました。
このあたりに天守閣があったとか記述されていますね。
やはり、前橋城は北関東の要衝であったみたいです。
その観音堂のすぐ横には利根川の流れを確認できます。
利根川は前橋城の西の防衛ラインでありつつも、
しばしばその激流によって城郭が破壊される憂き目に。。
利根川の激流がなければ、もっと遺構は残っていた??
再度、道路を渡って群馬県庁側に戻ります。
もっと遺構は残っていないか確認して回ります。
先ほど確認した土塁に沿って北側に歩いていきます。
土塁が折れ曲がるように、長く伸びています。
あの突き出た土塁の先へ先へ。。
ぐるりと回ってきてみると、
土塁に囲まれるようにして北側の出入り口がありました。
にしても、立派に土塁が残っていますね。
比較的宅地造成化されやすい平城(ひらじろ)としては、
これだけ残っているのはむしろありがたいことかもしれません。
さらに土塁に沿って歩いていくと、、
『前橋城跡の碑』というのを発見!!
土塁に突き刺さるようにして建っています。
ご丁寧に石段の登り口がついてます。
当初から、『土塁には上らないでください』というような注意書きがあちこちにあったのですが、、
ここだけは登って大丈夫なようです。
登った先は、このようになっています。
土塁の上に石碑や説明板がありました✨
石碑の右奥にはこちらの説明板もありました。
前橋城が様々な大名家の城主に代わっていった、その変遷の歴史を確認できますし、
江戸時代に入ってからは利根川の激流によって城郭の破壊が進み、川越城に移らざるを得なかったことなど書かれています。
それがきっかけとなったのか、
やがてこの前橋城は廃城に。。
、、ということは、その利根川の激流がなければ、廃城には至らず、
城跡の遺構はもう少し残っていたかも?
と考えるのは無理があるでしょうか。
いずれにしても、平城(ひらじろ)は宅地化されやすいため、
いずれの城跡も遺構は残りづらい宿命にありますが。
そこから土塁の上を眺めわたしてみました。
県庁の建物を確認できます。
ここにも注意書きがあり、この土塁の先には行けません。
一旦、土塁を降り、県庁の正面入り口の方へ。
相変わらず土塁が続いています。
これだけ大規模に土塁が残っているだけでも、ほんと、ありがたいことでしょうね。
入り口に到達。
『三の丸緑地』とありますが、、
このあたりが三の丸だった?
そういえば、利根川沿いの観音堂あたりに天守閣(本丸)があったとすれば、
このあたりが三の丸でもおかしくないのかも。。
すぐ近くに、こちらの復元図がありました。
う〜ん、やはりこの県庁一帯が本丸跡だったように見えますが、、謎です。。
他に、周囲にそれらしき遺構はないか、Googleマップで確認すると、、
厩橋城車橋門跡というのがあります!行ってみます!
現地に着いてみると、、やっぱりそうですよねぇぇ。。
多くの平城(ひらじろ)の宿命ですね。
宅地化されやすい分、なんとか門の跡など、ほとんど残っていないんですよね。。
せいぜい、このような石碑が建っている程度。
再び県庁前に戻り、少し遠景アングルで土塁を撮影📸
これだけ立派な土塁を確認できただけでも良しとしましょう。
県庁の内側から土塁を見ると、こちら側がもっともらしいかもしれませんね。
前橋城の防衛ラインであった利根川。
防御の要でありながら、やがては城そのものを破壊に至らしめた激流。
自然の力はコントロールできないものですよね。
この利根川に翻弄された前橋城の歴史というのも、それはそれで味わい深いものがあると思います。
広範かつ大規模な土塁、利根川の流れを確認したい方は、一度足を運んでみてください。
それでは、またの記事で!