安房に逃れた頼朝を最初に庇護した安西景益の居城〜平松城(ひらまつじょう・安房(千葉))
入り口も分かりづらく、アクセスは決して良いとは。。
こんにちは、シンです。
2026年4月20日(月)。
この日は、鎌倉殿(源頼朝)にゆかりのある史跡を訪れようと、
『源頼朝上陸地の碑』に続いて、千葉県南房総市にある平松城(ひらまつじょう)を訪れました🏯

◉城のジャンル
平山城
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉駐車場所
付近に駐車場なし
JR内房線九重駅からタクシー約5分
源頼朝が『石橋山の戦い』で平家に敗れ、房総半島に逃れてきた際、
頼朝を最初に庇護し、城に迎え入れたのが、この地の豪族・安西景益(あんざいかげます)であり、
平松城はその安西氏の居城です。
この城跡は専用駐車場も、近くに有料駐車場もなく、
ちとアクセスに難があります。。💦

車で訪れた私は、やむなく比較的近い、この道の駅『三芳村・鄙の里』に駐車しました🚙
(※もちろん、タダで停めるわけにもいきませんので、ここでお土産など、買い物をしていきました。)
ここから城跡までおよそ2キロの距離を歩いていくことに。。🚶

疲れた足を引きずりながら、
ようやく城跡付近まで到達。。

”台上にある”というWeb上の情報に間違いはなく、
坂道を登っていくことになります。

坂道の途中、あらわになった岩肌を目にするうち、
やはりこの房総半島の地形的特徴なのだろうかと思わされました。
かつて訪れた付近の城跡に共通するものを感じたのです。

荒々しい岩肌に左右から威圧感を覚えながら、少しずつ上へ上へ。。

やがて、こちらの案内板を発見。
ここに至るまで城跡を示す案内に出会いませんでしたので、
「この道で合っているのだろうか。。?」と迷うことが何度もありました😓

案内板の示す方向へ、さらに道を登っていきます。

ありました!!
ここで間違いなさそうです。

城跡の歴史を記した説明板もあり、
少しホッとしました。
戦国時代には、この安房に蟠踞した里見氏の家臣が居を構えていたようですね。
特段、みるべき遺構もなし。
中世・鎌倉期の城跡ということで、
戦国時代のものと比べるのは違いますが、、
この平松城跡には、土塁や空堀などの防御施設は特にありませんでした。

強いて言えば、この入り口が戦国期によくみられた虎口(こぐち)に見えなくもないです。
もっとも、鎌倉期にはそういった名称を使わずとも、それに似たような構えはあったのかもしれません。
あるいは、戦国期に里見氏の家臣がそれとなく施したのか。。

頂上部に到達しました。
複数の石碑が立ち並んでいます。

『古峰神社』という名称が。。
立派な鳥居があるわけでもありませんが、
ここも一つの神社ということなのでしょう。

『史跡平松城址』とありますので、
やはりここが城跡の中心部なのでしょう。
かつては源頼朝も、この地を訪れていたのでしょうか。。

裏側に、城跡を示す標柱が朽ちていました。

ここから下を見下ろすと、
空堀らしきもの、に見えなくもないですが、、
はっきりそれと分かる遺構はありません。

このあたりも、一段低い位置に平坦部があり、
腰曲輪(こしぐるわ)のようにも見えますが、、

先ほどの入り口に戻ってきました。
こうして上から眺めると、左上の平坦部から城兵が敵に弓矢を放っていたイメージを勝手に思い浮かべてしまいます。。

荒々しい岩肌を再度眺めながら、城跡を立ち去ります。
頼朝がかつてこの地を収める豪族の庇護を受けたという、歴史的価値を感じただけでも良しとします。
歩き疲れた割には得られたものも少なく、残念ではありますが、
今回の検分の旅はこれで終わります。
またの記事で!
房総半島に逃れてきた源頼朝に関する記事は以下を参照してください。
➡️ 『各地の城一覧』ページ





