南北朝時代の古風な城跡〜馴馬城(なれうまじょう・常陸(茨城))
土橋と空堀をしっかり確認!!
みなさんこんにちは、シンです。
2024年12月17日(火)。
今回は、茨城県竜ヶ崎市にある、馴山城(なれやまじょう)を攻めてきました
この馴馬城は、城主も不明で、南北朝時代の城らしく、
詳細なことはよく分かっていないようです。
私自身、南北朝期の城跡には詳しくなく、あまり訪れたこともありませんが、、
その分、今回の訪城は良いきっかけになったかと思います
最寄駅の竜ヶ崎駅からのアクセスは遠く、タクシーでもつかまえないと、ちとしんどいかと。。
車やバイクで行けるのであれば、そちらをおすすめします。

Googleマップのナビを頼りに車を走らせていくと、
こちらに難なくたどり着けると思います。
『龍ケ崎市歴史民俗資料館』の前に駐車場があります。

手前の駐車場には、蒸気機関車も置いてありました

こちらが、歴史民俗資料館ですね。
入館料はありません。無料です。

館内では、古代から近現代まで幅広く、この地の歴史的展示物を確認できます。

館内はそれほど広くなく、ゆっくり見て回っても、せいぜい15〜20分ほどでしょうか。

実はこの『龍ケ崎市歴史民俗資料館』ですが、
手前だけでなく、建物の奥側にも広々とした駐車場があり、
手前と合わせると50台ほどは駐車できるでしょうか。
奥側の駐車場には、写真でいう、建物の左側の道を奥へ。

こちらが、その奥側の駐車場であり、広々としています。
そして、そのさらに奥側に、馴馬城の入り口(案内板)があります。

案内板には、馴馬城についての歴史などが書かれています。
文末にあるように、南北長期の貴重な城跡のようですね

馴馬城の縄張り図を拡大してみました。
二つの曲輪に土橋と空堀があり、南北朝時代にも、
城としての防御構造は、戦国時代のそれと大して変わらなかったことが伺えます。

その案内板の奥に、石段があります。
ここを登っていきます。

石段を登ると、上はこのようになってます。
先ほどの縄張り図でいうところの、土橋であり、この先に二つの曲輪があるはずです。

奥の曲輪に進む前に、手前の道に戻ってみました。
写真の右側が、先ほどの土橋の右側空堀になります。

少し先まで進み、ここを右に曲がると、先ほどの土橋へ。
ここも城の造り的には、虎口のように見えなくもないですが、、。
たまたまでしょうか。。

先ほどの土橋に戻り、
右側の空堀を至近距離から撮影
このように、空堀の上に土橋を渡して、奥の曲輪への出入り口とする防御構造は、
南北朝時代の城から存在したのですね。。
曲輪②と曲輪③を検分!
土橋と空堀を検分できたところで、、
次に曲輪Ⅱと曲輪Ⅲの検分にいきます。
(※表記がわかりづらいと思いますので、以後、曲輪②と曲輪③で統一します。)

先ほどの土橋を奥に進むと、、
この左手に見えるのが曲輪②であり、右手に見えるのが曲輪③でしょう。
その間に空堀がありますが、、
何やら橋のようなものがかかっていますね。。
行ってみます。

左側に、このような道がありました。
これが曲輪②に通じているのですね。

先ほどの橋らしきものに近づいてみると、、
なんと!!倒木でした!!
木が根本から曲輪③にかけて倒れています。
原因は分かりませんが、、偶然にも曲輪を結ぶ土橋のような格好になっています
なんという奇跡!
(まさか、誰かのわざとらしい仕業ではないでしょう。。)

その倒木の上を渡るのはさすがに危ないと思えたので、、
いったん下の空堀に下り、曲輪③へ。
倒木の先端がこちらの竹林になだれかかっています。。
この曲輪③はそれなりの広さがありました。

その曲輪③から、空堀を挟んで曲輪②を撮影した図です。
こうしてみると、間の空堀はそこまで深くないように見えますが、、
実際に下りてみると、高低差はやっぱりあります。

曲輪②にやってきました。
ここの、少しうず高くなっている場所が、最初に縄張り図で見た碑がある場所でしょう。

やはりそうでした!!
(石)碑というより、木の立て看板のようです。
もしかしたら昔は立派な石碑があったということでしょうか。

その少し高くなった場所から曲輪②を見下ろしてみました。
ここも少し広さがあります。
最初に見た縄張り図でいえば、この奥に曲輪①があったようですが、
今では消滅しているようですね。。残念。。

曲輪の間にある空堀を奥に進んでみます。
他に見るべき遺構はないかと期待し。。

空堀の奥の突き当たりを右に進んだところが、この写真です。
縄張り図でいえば、この先に虎口があるはずなのですが、、
なぜか私は戻ってしまいました。。(後悔)
というのも、、

空堀の奥の突き当たりを左に進んだこちら。。
こちらの奥により引き込まれたからなのです。
この写真の左側が曲輪②に該当します。

少し進むと、右下に朽ちた民家のようなものが見えます。
そしてもっと注目したいのが、、
少し階段状に道(というかスペース)が下に見えること。
戦国期の帯曲輪(腰曲輪)のようにも見えます。
たまたまでしょうか。。

さらに奥に進む(下っていく)と、、
一般道に出てきました。
他に見るべき遺構はないようです。
馴馬城の検分はここまでとします。
南北朝時代の城跡も戦国期のそれとそこまで大差ないということを知れただけでも良かったと思います。
では、またの記事で会いましょう!!