模擬天守はあるが、未だ不明点が多い城跡〜万喜城(まんぎじょう・上総(千葉))
遠くから模擬天守を確認できるため、位置は特定しやすい
こんにちは、シンです。
2023年5月27日(土)。
この日は大多喜城に続き、
同じ上総(千葉県いすみ市)にある万喜城(まんぎじょう)へ🚙
◉城のジャンル
平山城(ひらやまじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉駐車場所
「万木城・下駐車場」に3台分ほどの駐車スペースあり
このGoogleマップをご覧いただいてお分かりのように、
「万木城」と表示されています。
この城は他にも満喜城、万騎城などの名称があるようです。
万木城跡公園の一番上まで車で登ることもできますが、
公衆トイレもある「万木城・下駐車場」に停めた方が無難かと思います。
ナビを頼りに車を走らせていくと、
ご覧のように、遠くからでも模擬天守を確認できます。
”位置を特定しやすい”という意味では、模擬天守の存在はありがたいですね。
お城の一種のシンボルのようなものですし。。
さて、城跡公園に近づくにつれて、
道が細く険しくなっていくのはいつものことです😅
先ほど示させていただいた、
「万木城・下駐車場」ですね。公衆トイレもあるところです。
山道の中腹あたりにあります。
ここから車を降り、歩いていきますよ。
(この城跡は一種の”丘城(おかじろ)”のようなもので、大した高さではありません。)
車が一台しか通れないほどの道幅ですが、
一応、一番上まで行けるようです🚙
(先ほどの駐車場のところに簡易な信号機がありました。)
1分ほど歩いていくと、
さっそく頂上が見えてきました。
ほんとに大した距離ではありません。
Googleマップでもう一度確認してみますが、、
展望台の他、特に城の防御施設だの、遺構のようなものは見当たりません。。
一番上にたどり着きました。
ここもご覧のように、車が停められるスペースは十分にあります。
近くにこのような説明板があります。
戦国時代、土岐氏がこの城を治めていたようですが、
上総における北条氏の前線基地でした、と。
北条氏とともに滅亡した後は、徳川家康の家臣・本多忠勝が入場しますが、
忠勝が大多喜城に移ってからは廃城となった、とあります。
この城の防御態勢としては、
三方を夷隅川に囲まれている他、(Goolgeマップでも確認できます!)
主郭を中心とする3つの郭(くるわ)から構成されていたようです。
、、が、これ以外にはっきりとした説明板などもないため、
推測するしかありません。
まあ、この台上も一つの郭だと特定できそうです。
小野派一刀流のゆかりの地でもあった!!
今いる台上が一つの郭(くるわ)だとして、、
残りの郭(くるわ)はどこに、、?
ひとまず周囲を見渡すと、、
すぐ目上に模擬天守があります。
ひとまず、登ってみます。
この台上から、模擬天守の一番上まで登る様子を動画でご覧ください。
この台上、これだけの広さがあれば、
やはり一つの郭(くるわ)だと言えそうです。
模擬天守の上からの眺めも良いです。
今登った側と反対方向に、広々とした敷地があるので、
そこがおそらく二つ目の郭(くるわ)だと言えそうです。
模擬天守のそばには、石碑もありました。
読めるような字は書かれていません。
石垣も、大きさがバラバラで間詰め石などがありますが、、
おそらく現存のものではないでしょう。
(形が整いすぎてます。。)
それでは、展望台の上から、
今度は反対側の敷地(おそらく郭の一つ)に降りてみます。
降りてすぐのところに、
このような説明板がありました。
なんと!小野派一刀流の開祖にゆかりのあるお城だったようです。
まあ、その手の情報に詳しくなければ、「なんのこっちゃ?」と言われそうですが、、😅
この説明板と模擬天守の位置関係はこんな感じです。
先ほどの台上よりも、
こちらの敷地の方が広いですし、一段低くなっているので、
おそらく台上が主郭(城の中心部・本丸)で、
こちらの敷地が二の郭(二の丸)?ではないかと、、
敷地の隅までいくと、
土塁らしき、こんもりとしたものも見えます。
ではここで、この敷地の全景を動画でご覧ください。
なんとなく、周囲を土塁に囲まれているように見えます。
それ以外、はっきりとしたことが分かりませんでした。
この二の郭?と思しき場所から、さらに坂道を下ってみます。
やはり、土塁らしきものが見えますね。
やっぱり、
それ以外に目ぼしい遺構や防御施設は見当たらず、、
先ほどの台上(主郭?)から少し離れた場所に、
このようなものが。。
調べ方が足りてないせいもあるでしょうが、
未だに不明点が多い城跡でした。
勉強不足は反省しつつ、この日の城跡探訪はここまでとします。
ではまた!!
👇同じ上総の大多喜城の記事はこちら👇