二の丸眼下に北条との古戦場跡も見渡せる里見氏の居城〜久留里城(くるりじょう・上総(千葉))

2024年6月24日

肩で息をつくような、急な坂道を登る

みなさん、こんにちは、シンです。

2023年6月18日(日)。

今回は、千葉県君津市にある久留里城(くるりじょう・上総)に来ました🚙

この城は室町時代に上総武田氏によって築かれ、

戦国時代には里見氏の居城となりました。

久留里城(上総・千葉県)

◉城のジャンル

連郭式山城(れんかくしきやまじろ)

◉文化遺産としての見どころ

評価 :4/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :4/5。

◉駐車場所

久留里城址駐車場に30台分ほどの駐車スペースあり

JR久留里線久留里駅からタクシー約8分

車で訪れる際は、地図の左側にある「久留里神社駐車場」ではなく、

上の32号線の方から「久留里城址駐車場」に停めることをおすすめします。

下からだと、狭いトンネルを登って通らなければならないからです。

こちらが駐車場です。

ご覧のように、けっこう広いです。

実は私は以前、千葉県木更津市に住んでいたこともあり、

この久留里城にも何度か来たことがありました。

しかしその時は、まだ城跡に対してそれほど知識もなく、

今回はもっと深く探索しようと思ってます。

駐車場にある、矢印板。

大体、城跡を訪れると、このような方向を示す看板がありますので、

まず迷うことはありません。

奥に見えるのが、城山隧道(トンネル)です。

ここがホントに狭くて、車両が1台しか通れないほどです。

城跡は、この先を左に折れて登っていくことになります。

左に折れてすぐのところに、登山者用の杖が置いてありました。

ここまで親切にしてくれるのにも、理由があります。

これから登る坂道の傾斜がキツいのです💦

いかがでしょうか?

写真だけでは分かりにくいかもしれません。

実際に登ってみると、かなり傾斜が急勾配であることを実感しますよ。。😥

ちなみに、本丸までの高さはご覧の通りです。

標高としては大したことはありませんが、とにかく登るのがキツいです😅

久留里城は、別名を「雨城(うじょう)」ともいいます。

まだまだ、急な坂道は続きます。

途中、休み休み登った方が良いです。

実際、私も三度ほど、小休止を入れながら登りました。。

急な坂道で登城者の心を折れさせないための配慮なのか、、

このようなベンチまで。。

そして説明板もあります。

ここに記載があるように、

久留里城を居城としていた里見氏は、

しばしば北条氏と戦火を交えています。

江戸時代の儒学者、新井白石がこの城で過ごしていたとは、、。

二の丸跡から、北条との古戦場跡を眺める

さて、気を取り直して坂道を登り続けます。

ここから少しずつ、久留里城の遺構を目にすることに。

まず目にしたのが、この堀切です。

説明板にもあるように、登りやすい尾根の道をスパッと断ち切ることで、

敵兵が簡単に侵入できないようにしていました。

ここが堀切でしょうね。

かなり草が生い茂っていて、はっきり断定することはできませんが、

地形としては、この箇所が深く落ち込んでいます。

またその近くには、「お玉が池」というものも。。

このエピソードを読むと、「お玉」の憐れみが伝わってくるようです。

これが、「お玉が池」です。

少し埋められたのか、もともとこの大きさだったのか、

それほど大きな池ではありません。

その「お玉が池」の対面に、

この久留里曲輪があります。

曲輪(くるわ)の説明も分かりやすく書かれています。

ありがたいことです。

では、この久留里曲輪とその周辺の様子を動画でご覧ください。

ご覧のように、奥にも平らな場所があり、

ここで敵兵を迎え撃っていたのでしょう。

坂道を挟んで対面には「お玉が池」もあります。

坂道を登り切り、ようやく、二の丸跡へ到着です!

ここには久留里城の歴史資料館もあります。

入り口の左側で受付を済ませれば、

無料で館内を閲覧できます。

中には久留里城の城郭模型があったり、、

上総(かずさ)の国の支配領地なども確認できます。

これを見ると、いかに広範囲で、豊かな領土だったのかということが分かります。

2階にも、さまざまな調度品を確認することができますよ。

歴史館を出て、二の丸跡を歩くと、

新井白石の銅像もありました。

そして、二の丸の長屋塀跡

これが、その長屋塀跡ですね。

復元したものでしょうが、鉄砲狭間などもあるのが嬉しい限り。

そして少し降りたところにある、薬師曲輪

ここから眼下に、三の丸跡などを見下ろせるようです。

実際に見下ろすと、このような。。

見えづらくて申しわけありませんが、

左側手前が、三の丸跡、右側に家々が立ち並んでいるその奥が、北条氏との古戦場跡⚔️らしいです。

それでは、ここの様子も動画でご覧ください。

三の丸跡、そして北条氏との古戦場跡、それぞれお分かりいただけたでしょうか?

ここの風景を眺めながら、

当時のことを想像すると、なんとなく感慨深くなります😀

いざ、久留里城の本丸へ!

さて、いよいよ本丸跡へ前進します!

この道を奥に進み登っていくと、本丸跡があります。

道の途中には、天神曲輪というのもありました。

本丸、二の丸、三の丸に加え、要所要所にある、曲輪の数々。

いかに攻めにくい城だったのか、想像できます。

もう少し、この坂道を登っていくことになります。

でも二の丸までの坂道に比べれば、さほどの距離ではありません。

天守にお目にかかることができました!

復元されているとはいえ、立派な造りです。

その天守の脇には、天守台跡がありました。

これは、江戸時代に黒田氏が実際に築いた天守(二重櫓)の跡らしく、

貴重な遺構であるようです。

天守の裏側に回ってみると、

ここにも曲輪がありました!!

ここは弥陀曲輪というところでした。

城はいつ、どういったところから攻め込まれるか分かりませんからね。

いろんな場所に曲輪を配置しておくことが、戦国の世の習いだったのでしょう。

さらに奥には土塀跡までありました。

この、少し盛り上がっている部分が、そうでしょう。

当時は、もっと塀らしい造りだったでしょうか。

裏側から回って撮影した天守です。

アングルを変えて撮影すると、また違って見えますね。

さらに天守のすぐ下にも、別の曲輪があります。

なんと防御施設の多いことか!!

ここは波多野曲輪

ここまでで、曲輪の数は合計5つ。

本丸、二の丸、三の丸に加え、これら多くの曲輪を要する久留里城、

さぞ攻めにくかったことでしょう。。

その波多野曲輪から見上げた天守の様子です。

里見氏と北条氏との戦いの様子に思いを馳せ、

下城します。

ではまたの記事でお会いしましょう!!

👇同じく上総にある大多喜城👇

➡️『各地の城一覧』ページ