虎口に比高二重土塁らしき造りまで!忍の成田氏の被官・小高氏が居住した平山城~山田城(やまだじょう・武蔵(埼玉))
こじんまりとした造りながらも、土塁が四周に張り巡らされ。。
皆さんこんにちは、シンです。
2025年3月24日(月)。
埼玉県比企郡にある山田城(やまだじょう)について紹介します。
この山田城は、案内板によれば、
忍城を防衛していた成田氏の被官(家臣)・小高氏が居住していたようです。
忍城の成田氏といえば、映画『のぼうの城』で一時期有名になりましたね。。
最寄駅は東武東上線の「森林公園駅」で、タクシー約10分と距離があります。
車をお持ちの方は、「森林公園」内に多数の駐車スペースがあるので、
そこを利用されると良いでしょう。
(※ただし、駐車料金¥700と入場料が必要です。)

で「森林公園」に到着しました。
ナビを頼りに走らせれば、まず迷うことはないかと。

ご覧の通り、駐車スペースはかなりあります。
この「森林公園」は城跡だけでなく、そもそもハイキングコースなど、
公園全体が大規模なものなので、これだけの駐車スペースを確保しているのでしょう。

駐車した位置からは、「山田城跡』はこのような位置に。
すぐ手前みたいですね。

こちらが「森林公園」の入り口です。
駐車場からすぐ見える位置にあります。

そして「森林公園」の全体図です。
これを見ただけでも、かなりの広さがあるのが伝わるはず。。

で、、目的とする山田城跡は、ご覧の規模感で、、
この公園全体の大きさからすれば、大したことはありません。
実際、検分した感じからしてもおよそ30分もあればぐるっと回れるでしょう。

こちら、「森林公園」への入場料です。
この日も春休みだからでしょうか、割と家族連れが複数いました。

入場口で料金チケットを示し、駐車料金¥700も支払い、いざ中へ。
ゲートを通過してすぐ、この位置に。
山田城跡はこの右手になります。

奥に見える林がそうですね。
公園の入り口を入ってすぐ右手、ですので迷うことはないでしょう。

この橋を渡っていざ、城跡へ!!
いつも城跡を訪れる時はそうなんですが、、
これから”侵入”するときってすごくワクワクしてきます。

平山城なだけあって、少しだけ傾斜のある山道を登っていきます。
緩やかながらも、この傾斜が攻め寄せる敵兵にとっては城の防御となりますね。

登る途中、うっすらと小道のようなものが山腹の横一線に伸びてます。
敵兵がたどったものかどうか。。

そして登る先に、土塁らしきものが見えてきました!
あの階段を登ったところが本丸でしょうか。

その階段手前の様子です。
ここもうっすらと歩ける小道があり、どうやらこの曲輪(防御スペース)を覆っているようです。
土塁でカバーされているのがよくわかります。

そして同じ位置からふと右側に目を転じると、、
小道がうねるように、、つまり敵兵から見ると目の前の土塁もうねっているわけで、、
自然な地形なのか、意図的に造作した土塁なのか。。

同じ位置を、少し上から見た図です。
うねり具合が伝わるでしょうか。

そして階段を登った先に、広々としたスペースが!
周囲はこのように、うっすらとした土塁が覆っています。

広場の中央付近までいくと、こちらの案内板がありました。
やはり、ここが山田城の本丸(主要部)であることは間違いなさそうです。
それでは、この本丸の様子を、動画でご覧ください。
ご覧のように、低いながらも周囲を土塁でカバーしていますね。
虎口を発見!!そして比高二重土塁?
この山田城跡には、他に目立つような防御施設はないと思い込んでいたのですが、、
驚くべきものを見つけました。。

まず、虎口(こぐち)がある?
虎口(こぐち)とは、城兵が曲輪内に入る小さな出入り口のことで、
敵兵を容易に侵入させないよう、わざと折れ曲がるように入り口を工夫したりしている防御施設です。

ちとこの写真では分かりにくいですが、、
ここが虎口(こぐち)ですね。
傾斜はそれほどでもありませんが、道が折れ曲がるように造られています。

この虎口(こぐち)の位置も、当然ながら土塁の間に設けられていますので、
ここを通らない限り、敵兵はこれらの土塁をよじ登らなければなりません。
つまり、登っている間に、城兵からの射撃などを受けることでしょう。。

そして虎口(こぐち)を降りていった先に、さらにこのような小道が!

そして!!
この写真ではイマイチ分かりにくいかもですが、
比高二重土塁らしきものが!!
比高二重土塁とは、、北条氏の固有築城技術であり、
それぞれ高さの異なる土塁を二重に巡らせ、敵兵の進軍速度を鈍らせるとともに、
城兵の迎撃をしやすくした防御施設です。
まあ、これがそうだとは言い切れませんが、、
少なくともここの城主である小高氏は忍城の成田氏の家臣。
その成田氏はかつて北条に味方していたこともありますから。

虎口(こぐち)を降りたところで、ここにも堀道と思われる道が。。
右側の土塁の高さをご覧ください。
この土塁を登り切ったとしても、さらにその先に本丸を防御する土塁が待ち構えているのです。

そして虎口(こぐち)の先にある道を抜けると、、
視界が開けてきました。
城跡の外縁部に出てきたようです。

その先には整備された公園の道が。
写真の右側が山田城跡です。

この道をしばらく登っていくと、、

このように分岐点に到達。
ここから右に下っていくと、山田城跡に。
ここは当然、右にいきます。

少し道を下っていくと、ここにも小道のようなものが。。
ここも道がうねっていて傾斜もあり、虎口(こぐち)のようです。

うん、ほぼ間違いなさそうですね。
この先にあるのが、本丸でしょう。
最初に侵入した時とは反対側になります。

ここには虎口(こぐち)の案内板はありませんでしたが、
代わりに曲輪(城内の防御スペース)を示すものがありました。

ここも低いながら土塁に覆われています。
戦国当時は、もっとうず高い土塁だったことでしょう。

土塁沿いに少し歩くと、土塁の切れ目がありました。
ここも一つの虎口(こぐち)だった可能性があるかと。

さらに土塁沿いに歩いていくと、
曲輪を覆う土塁の外にもう一つ、それより低めの土塁があります。
やはり、この城は比高二重土塁の技術を用いていたのではないでしょうか。
仮に、そういう意図がなかったとしても、これは必見ですね。

再度、外縁部の道に出て、公園の入り口方面へ進んでいきます。

道を歩く途中にも、このような光景が。。
下から見上げた方がわかりやすいでしょうか。
手前に土塁があり、さらにその上側にも高さの異なる土塁があります。

そして公園の入り口側に来ました。
実は、このすぐ右側に、山田城の入り口があったのです。
最初、入ってくる時は気づきませんでした

こちらがその入り口ですね

しっかり、山田城跡に関する説明書きもあります。
平山城の遺構、しっかり検分させていただきました。
確たる防御施設とはいえないものの、虎口(まあ、これは間違いないです)、
そして比高二重土塁を確認いたしました。
城跡を訪れる前は、予想だにしていなかった、こういう驚きがあるのも、
城巡りの醍醐味です。
では、今回はここまでとします。