秋田安東氏の変遷から土崎空襲まで。土崎湊の歴史に触れる~土崎湊城(つちざきみなとじょう・羽後(秋田))
佐竹義宣によって破却されたのち、土崎湊町が栄える礎に。
2025年8月3日(日)。
約1年ぶりに実家のある秋田を訪れ、かつて住んでいた秋田市土崎の町をぶらり旅🚙
その途次で立ち寄った土崎湊城(つちざきみなとじょう)を紹介します。

◉城のジャンル
平城(ひらじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉アクセス
『土崎神明社』敷地に4〜5台ほどの駐車スペースあり
JR奥羽本線土崎駅から徒歩約2分
城跡へのアクセスはひじょうに恵まれていて、
JR土崎駅から徒歩約2分ほどの位置に。

こちらが、JR土崎駅です。
私は高校生の頃までよく使っていた駅でもあり、
かなり感慨深いものがあります。

土崎駅から迷うことはありません。
駅の改札を抜け、そのまま直進すると、
このように、大きな通りの左手に城跡が見えてきます。

今は公園となっている土崎湊城。
うちの娘も近くの中学校に通っていたことがあり、
よく友達と遊んでいました。
ご覧のように、敷地はそれなりの広さがあります。

今では、『土崎街区公園』という名称に。

そのすぐそばに、こちらの案内板があります。
かつてはこの地を支配する安藤氏の居城でした。
二重の水堀を巡らせた平城(ひらじろ)だったようです。
関ヶ原の戦い以後、この地に転封となった水戸の佐竹義宣の手によって、
この土崎湊城は破却されました。
戦国当時、わずか5万石の領土だった安藤氏の城では、
佐竹20万石の家臣団の屋敷を構えるにはかなり手狭だったようです。
佐竹義宣は久保田の地(今の秋田駅から近い千秋公園)に久保田城を築城しています。

公園の敷地に入っていきます。
この城跡は、特に縄張り図のようなものはありません。
どこが二の丸やら、、。

『湊安東氏顕彰の碑』が公園の中央付近に。

公園の奥には、SL列車の錆びついた姿もあります。
なぜ、この公園に置かれているのか、由来は不明です。

公園の右手奥に細道があり、
そこから隣の『土崎神明社』へ。
他の城跡と同様、神社の社殿が建てられた位置が本丸跡と推察します。
であれば、この公園内の区画がおそらく二の丸に該当するのではないでしょうか。

『土崎神明社』の敷地内には、このように祀られた建物が複数ありました。

また、複数の建立碑なども確認できます。

『土崎神明社』社殿の右側には数台の駐車スペースがあります。
参拝者はこちらのスペースを利用すると良いでしょう。

『土崎神明社』の本殿です。
この地にかつては本丸館に該当するものがあったのでしょうか。

ご覧のように、本殿の造りは立派です。
この土崎で毎年7月に実施される『曳山祭り』の際に、地元の方々が参拝しています。

大鳥居を裏側から撮影📸
ここを抜けると、再び大通りに出ます。

すぐ脇には、手水場もあります。

今度は正面側から撮影。
こちらが、『土崎神明社』の入り口になります。

先ほど触れた、曳山祭り(曳山行事)はユネスコの無形文化遺産に登録されています。
これについては、後ほどまた紹介します。

大通りに出て、少し歩いてみます。
ここをまっすぐ歩いていくと、JR土崎駅に戻ります。

こうして外側から眺めてみると、
なんとなくここに城跡が存在したのが窺えてくるようです。
城跡そのものの検分はここまで。
所要時間にしておよそ20分くらいでしょうか。
これだけで終わりにしてはもったいないので、
ここから少し離れた『土崎みなと歴史伝承館』も訪れることをおすすめします。
『歴史伝承館』にて土崎湊の歴史に触れる。。
『土崎みなと歴史伝承館』では、
戦国の世から江戸時代、そして戦時中の空襲に至るまで、
この地の歴史を学ぶことができます。
『歴史伝承館』は、先ほどの『土崎神明社』から距離にしておよそ200メートル。
歩いてすぐですので、こちらもアクセス良好ですね。

国道7号線沿いにある、こちらの『土崎みなと歴史伝承館』。
『土崎神明社』の位置からまっすぐ駅とは反対側に歩いてくると、
この国道に出ますので、まず迷うことはないでしょう。

一応、『歴史伝承館』の裏手にもこのように、
割と広めの駐車スペースがありますので、車での来館も大丈夫です。

そして伝承館の入り口がこちら。
毎週火曜日が休館日になっていますので、
来館する際にはご注意を。

基本的には入館料は無料です。
館内はそれほど広くはありませんが、歴史資料はけっこう豊富にあります。

館内奥にある、こちらの曳山(ひきやま)が一番の見応えでしょう。
毎年7月になると、土崎市民がいくつもの曳山を木造の車輪で引き回し、
祭りを盛り上げていきます。
ここに置かれている曳山(ひきやま)には、
安東実季(あんどうさねすえ)や戸沢盛安(とざわもりやす)などの名前が見えます。
いずれも、秋田の地で活躍した戦国武将ですね。
この他にも、曳山には実に多くの種類があり、それぞれ、
織田信長などの戦国大名だったり、バラエティに富んでいます。

もう一つ、この伝承館を訪れたら見てほしいのが、
こちらの『北前船(きたまえぶね)』です。

このような模型が置かれています。
江戸時代から明治期にかけて、この土崎湊発展の原動力となりました。
日本海航路にて様々な商いをして回ったようです。

タッチパネルも配置されています。
北前船や土崎湊の歴史について学ぶことができます。

マンホールの鉄蓋も展示されています。
お好きな方も結構、いらっしゃるでしょう。

最後に、『土崎空襲』について紹介します。

実は終戦の直前、アメリカ軍のB29爆撃機により、
この土崎湊はたいへんな空襲に遭いました。
少し戦国時代の紹介からは離れますが、
これはこれで貴重な歴史情報と考えています。

実際に被曝し、激しく焼けただれたコンクリートの柱跡。
日本での空襲といえば、広島や長崎の原爆、そして東京大空襲などが世間一般に知られていると思いますが、
この土崎湊の空襲は、終戦の直前にありました。

この案内板に記載されていますが、
かつてこの土崎に日本石油の製油所があり、
秋田市周辺の油田からの原油産出量は日本最大だったとか。。
そのため、それを脅威と見なしたアメリカ軍によって爆撃の対象となったのでしょう。

これは実際に手で触ることのできる、
当時の焼けただれた製油所の柱です。

この写真を眺めるだけでも、
被曝した当時のおぞましい光景が浮かぶようです。。

実際に被曝し、焼けただれたコンクリートの柱。

爆撃の際に投下された不発弾まで展示されていました。

もう一度、曳山の展示場所に戻り、
こちらの説明板を紹介し、土崎湊城の検分記を終えます。
土崎湊は、このように歴史上、貴重な資料が数多くあるため、
戦国時代に限らず、複数紹介させていただきました。
こういった歴史の変遷にご興味ある方は機会を見つけ、
ぜひ一度、秋田市土崎を訪れ、歴史に触れていただきたいと思います。
では、またの記事で!










