徳川四天王・本多忠勝10万石の居城〜大多喜城(おおたきじょう・上総(千葉))
まずは大手門から確認すべし!!
こんちは!シンです!
2023年5月27日(土)。
今回訪れたのは、千葉県夷隅郡大多喜町にある大多喜城(おおたきじょう・上総)です
徳川四天王・本田忠勝の居城として有名です。
ここはだいぶ前にも子どもたちと来たことがあるのですが、
その時は模擬天守の美しさにばかり目を奪われ、堀や土塁などの防御施設など、
知りもしませんでした。。
今回は、そのあたりもしっかり抑えます!!
大多喜城については、
見ごたえのある大手門が城跡とは少し離れた位置にあるので、
車で行かれる場合は、駐車場を都度変えることをおすすめします。
まず、大手門を見る場合の駐車場が以下の通りです。
(画像を続けて表示します。)


画像をご覧になってお分かりのように、
この駐車場ですと、入場から60分無料、
つまりそれ以降は料金が発生してしまうのですが、、
この駐車場が大手門から比較的近く(徒歩1分ほど)、
無駄に歩かなくて済むからです。
それに、後で城跡に行くには別の無料駐車場を利用すれば大丈夫です。
最も、「歩いて確認したい!」ということであれば別ですが。。
その場合は、最初から無料で利用できる「城下駐車場」へどうぞ。

そしてこちらは、大手門のすぐ目の前にある大多喜駅(いすみ鉄道)です。
いすみ鉄道は、鉄道マニアの間では一定の人気を保つローカル線で、
しばしば、列車を撮影しに訪れる方もいるほどです。
(この日もお一人、いらっしゃいました。)
鉄道好きであれば、このいすみ鉄道で来ても良いかもしれませんね

そして大多喜駅の向かいには、
大多喜町観光本陣案内所があります
この中では、たくさんのお土産や、武将グッズなど販売してます。
もちろん、本多忠勝のグッズも!!

ただで頂いたポケットティッシュの図柄です。
「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」
武将好き(戦国好き)であればご存じ、有名な句ですね。

こちらが大手門!!
あまりの大きさ・迫力に、大多喜駅や観光案内所などより、まずここを撮影したくなると思います

もう少し近づいて撮影。

この大手門は、戦国当時、実際にあった場所から移築されたもののようです。
それでも、つど、修築に努めるなど、ありがたいことです。
個人的には、「外壁は水成岩が〜〜常に水分を含みいかなる方法をもってしても侵入できない〜」というのが興味深いです。。

こちらは、大手門を反対側から撮影したものです。
『房総の小江戸』というキャッチーな言葉に文化的価値を感じます。
戦国当時の「大手門跡」は発見できず。。
大手門の迫力に魅了されましたが、、
実際の「大手門跡」はどうなのか気になりました。

Googleマップで確認すると、
このあたりのようですが、、

ここを右に進んで、
大多喜高校の近くのようなのですが、、

Googleマップを頼りに進んでいくと、
「大手門跡」の近くに神社を発見しました。

これは八幡神社(はちまんじんじゃ)だそうです。
どこの城跡を訪れてもそうなのですが、
神社は城の守り神とされていたことが多かったようです。
そして結局、「大手門跡」は発見できませんでした。。

「大手門跡」を発見できなかったのは残念ですが、
薬医門はぜひとも!!

ありました!薬医門!!
しかし、こちらは大多喜高校の敷地内のため、
中に入って接写することはいけませんね。
通常、学校敷地内は「関係者以外立ち入り禁止」ですし。。

それでは来た道を戻り、いよいよ大多喜城跡に向かいます。
遠くに天守が見えますね。
手前が大多喜高校です。
空堀と二の丸の鐘楼を検分!!
大手門とその近傍の遺構を確認したところで、
大多喜城跡に向かうため、駐車場を移動します。

こちらが大多喜城跡に最も近い、無料の「城下駐車場」です。

敷地内は結構広めで、およそ30台までは駐車できるでしょう。

敷地内には、食事もできる茶店があります。

駐車場のすぐ向かいには、このような矢印版があるため、
迷うことはありません。

「大多喜城跡」の石碑がありました。
戦国好きの胸が高鳴ります。。
この坂道を登っていきます。
(大多喜城は台上に築かれた平山城です。)

残念ながら、歴史資料館は、この時点で「休館中」でした。
私としては、城の遺構を検分するのが目的なので、大したことではありませんが。

次に、見るべきは空堀です!!
ここは以前訪れた時には、軽くしか見てませんでした。

ありがたいことに、目の前に説明板があります。
確かに、水堀よりは、落ちた時の殺傷力が高そうです。
空堀、恐るべし!!
それでは、この空堀の様子を動画でご覧ください。
今はおそらく、土がだいぶ埋められていますが、
当時はもっと深く、急な造りだったと推察します。

そこからさらに上を目指して坂道を登ります。

空堀跡から少し坂道を登ったところに、
二の丸公園というのもありました。
二の丸の跡地だったところでしょうか。

右奥には鐘つき堂があるとか。
行ってみます。
こちらの様子も動画でご覧ください。
大きめの鐘楼ですね。

鐘の隣には、このような休息所もありました。

遠景撮影図です。
二の丸公園を含め、この辺りが一つの曲輪の位置どりだったのでしょうか。

二の丸公園を後にし、
ようやく天守のある敷地へ。
「研修館」で歴史を学び、天守の迫力に魅了される

坂道を登り切ると、
まず目の前に姿を現すのが、この「研修館」です。
視野の隅に天守があり、気持ちが逸りますが、まずはここからじっくり見ていきます。

中には、戦国有名武将の甲冑が!!
右が伊達政宗、左が徳川家康のもの。
もちろん、本物ではないでしょうが、戦国マニアにとってはこれだけでも心が浮き立ちます。

さらに奥に進むと、ここにもありました!
右から井伊直政、真田幸村、山中鹿之介のものです。
いずれも戦国時代に名を響かせた武将ですね。

室内に入ると、
大多喜城主・本多忠勝の肖像画もありました。

本多忠勝が10万石でこの城を治めるまでは、
安房の里見氏や北条氏など、この城を取り巻くさまざまな歴史があったことが伺えます。

こちらが戦国当時、
今でいう千葉県内にあった城の一覧です。
ものすごい数ですよね。。
なかには、城跡として残っていないものもあるでしょうが、
これを見たら、いずれは全て行ってみたくなります。

そして!
「研修館」の目の前にそびえる天守!!
当然ながら模擬天守なのですが、それでもその迫力に魅了されます。。

先ほども触れたように、
この時は歴史資料館は休館でした。

この本丸の周囲に土塁が巡らされていたようです。
防御施設は必ず、おさえるようにしています。

ここが土塁ですね。
少し盛り上がっているのがお分かりでしょうか。
ではここで、天守の様子を動画で撮影しましたので、ご覧ください。
隣に「研修館」があり、
少し遠景から、、そして近づいていきます。
現存天守ではないですが、石垣の様子も含め、
十分見応えがあります。

近づいて撮影できなかった、
大多喜高校の敷地内にある薬医門です。
大多喜城では唯一の現存遺跡です。

こちらが大多喜城跡から眺めた大多喜高校です。
あの向こうに薬医門が。。
手前には大井戸もあります。

塀の説明板もありました。
板塀が火災や鉄砲に弱い、というのは納得ですね。

本丸跡を囲むように広がる塀です。

これにて大多喜城の検分を終わります。
大手門に薬医門、空堀や模擬天守など、見応え十分でした。
千葉県南部を訪れる機会があれば、ぜひ立ち寄ってみてください。
ではまた!!