源頼朝に斬首された平家の将・大庭景親の居館〜大庭城(おおばじょう・相模(神奈川))
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を思い起こしながら。。
みなさん、こんにちは、シンです。
2024年4月8日(月)。
相模玉縄城に続いて、神奈川県藤沢市にある大庭城(おおばじょう)を探訪
大庭城といえば、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも出てきた、
源頼朝に敵対した平家方の武将・大庭景親(おおばかげちか)の居城だったとか。。
思わず、当時見ていたドラマのシーンを思い出します。
名優・國村隼が演じていた老練な武将ですね。
名将として、相模の坂東武者たちをまとめ、源頼朝の平家打倒の挙兵に激しく抵抗しました。
一時は頼朝を滅亡寸前まで追い詰めながら、最後にはとらえられ、斬首されます。
頼朝としても、許し難い存在だったのでしょう。
その後、この大庭城は築城の名人、太田道灌(おおたどうかん)によって改修されるも、
北条早雲(ほうじょうそううん)の手により落城、北条氏が滅びたのちは廃城となってしまいます。。
大庭城址公園はふもとに駐車場があり、車で訪れるのがおすすめです。
JR藤沢駅や辻堂駅からは遠く、タクシーを利用して10分ほど。

こちらが、「大庭城址公園」の駐車場です。
およそ20台分ほどの駐車スペースがあります。

駐車場のすぐ横に、この石段があり、
大庭城探訪の旅はここからスタートします

その石段を登り切ったところに、
こちらの『大庭城址公園管理事務所』があり、
中には大庭城にまつわるさまざまな歴史資料が展示されています。
のぞいてみましょう。。

まず目に入ったのが、
大庭城の復元模型です。
気になる方は、ぜひ一度足を運んでみてください。

他には、大庭城に関する説明文などや、、

航空写真などもありました。。

『大庭城址公園管理事務所』を出て、
いよいよ大庭城址の検分へ。
かつては大庭景親がここにいたかと思うと、感慨深いものがあります。

特に説明文などはなかったので、
真偽のほどは定かではありませんが、、
石の間に間詰石のようなものもあり、古びた様子などから
「当時の石垣?」という妄想がよぎりますが、はてさて。。

平山城なだけに、そこそこ登ります。
とはいえ、ご老人でもゆっくり楽に登れるほどの高さです。
大概の城山公園に見られる高さですね。
丘城(おかじろ)とでも言いましょうか。

Googleマップで確認できるように、
駐車場から曲がりくねった坂道を登っていくわけです。
登り切ったところに大庭城址公園があります。
空堀や屋敷跡をじっくり検分。
人の好みにもよるでしょうが、、
私は歴史好き(特に戦国時代)ですので、関連する有名武将がいれば、
その人物を想起しながら城を訪れるようにしてますが、
この大庭城はどちらかというと、平安時代の末期から続く城跡。
それでも、『鎌倉殿の13人』の影響なのか、
大庭景親の居城だったというだけでも、心躍ります
大河ドラマの影響は大きいですね。。

城址公園内で目にした大庭城の概要文です。
現在の土塁や空堀の姿は、北条時代のものらしいです。
独特の築城術を施す北条氏。はてさて。。

その説明板からすぐのところにある、「からぼり」です。
現地で近くに寄って眺めてみると、その深さのほどはよく分かります。

なるべく分かりやすいように接近して撮影しましたが、
肉眼で確認する感動に勝るものはないと思います。
戦国当時はもっと深いものだったでしょう。

その「からぼり」の位置から南側に進んでみます。

少し歩くと、また別の「からぼり」に遭遇。。
ひらがなだけで表記するのも珍しいですね

こちらはだいぶ土が埋まってしまったためか、
かなり浅めの堀でした。
長い年月が経過してしまうと、
どうしてもこういったなだらかな傾斜になってしまうのですね。。

その「からぼり」の先に、さらに公園内の道が続いています。
桜並木がホントに綺麗でした

この説明書きのように、
大庭城は南北に長く伸び、複数の郭(くるわ)によって構成されていました。
ここに屋敷跡がありました。

この広場が、その屋敷跡です。
奥に、石が複数配置されています。
ここも一つの郭(くるわ)だったのでしょう。
当時は、一つの防御スペースであり、また居住区画でもあったと思われます。

石の群れたちに接近して撮影。
城跡を訪れると、こういった光景に出くわすのも珍しくありません。
かつては、このあたりにも大庭景親がいたのでしょうか。。

その広場の端っこに行ってみると、
下には腰曲輪(こしぐるわ)?と思える平らな区画も見えます。
腰曲輪(こしぐるわ)とは、、
山腹の中ほどに平坦なスペースを造り、下から攻め上ってくる敵兵を撃退するためのものでした。

さらに南側に進んで行くと、
このような墓石もありました。

よくよく目を凝らしてみると、
「大庭景親」の文字を確認できます
やはり、ここにかつては存在していたという一つの証ですね
城の南側を詳細に探索!
パッと目につく場所だけを眺めて終わり、ではもったいないので、
城址公園の南側も見てまわります。

『大庭城址公園』を南側までずっと歩いていくと、
こちらの場所に行き着きます。
(というか、先ほどの墓石のすぐ近くです)

後から調べた大庭城の縄張り図によれば、
墓石があった付近は城の主郭(本丸)であり、
この道は主郭の背面部。

今歩いて下っている道は、横堀の中で自然にできた道なのか、
ここから下に見える平坦部が腰曲輪のようにも見えますが、、
まだまだ勉強不足です

そこからさらに道を下ってくると、
このような小さな鳥居がありました。
城跡を訪れると、こういった光景はよく目にしますね。

坂道は割と傾斜が急です。
こちらの坂道から城址公園を目指せば、いち早く主郭に到達できるわけで。。

坂道を下りきり、一般道に出てきました。
こちらが、城の裏手側にあたる入り口ですね。
城跡(曲輪)の周囲もぐるりと検分してみた。
城址公園の南側まで一通り見てきて、
これで大庭城の検分は終わり、としてもいいのですが、
せっかくですから各曲輪(くるわ:防御スペース)の外縁も検分していきます。

こちらは主郭の周囲を撮影したものです。
傾斜の緩やかな土塁が囲っているのが見てとれます。

別の箇所も撮影
こちらは、はっきりそれと分かるくらいの土塁を確認できます。

南側から公園内を北上しています。
道なりに、ずっとこのように土塁が続いています。

公園のほぼ中心部にあたる広場です。
桜並木がたいへん綺麗でした
公園となっている城跡を巡るなら、春先がちょうど良いでしょうね。
このあたりは二の曲輪(二の丸)になるはずです。

さらに公園内を北に歩いていくと、
東口出口に突き当たりました。

こちらもご覧の通り、南側出口と同じくらいの傾斜で、
坂道が続いています。

東口からの入り口です。
南側、東側ともに、段差がキツイ階段が続いたりするので、
ゆっくり登りたいのであれば、やはり最初に紹介した管理事務所側の入り口をおすすめします。

公園内にはこのように、
子供連れで遊べる遊具などもあります。
けっこうな広さがあるというのは伝わるかと思います。

まだまだ勉強不足で恐縮ですが、
城跡の各曲輪の周囲には横堀?の跡のようなものも見受けられます。
隅々まで歩いてみると、けっこう見落としがちな遺構を目にすることもできます。

最初に登ってきた石畳の坂道を下り、帰路に。
平家方の名だたる武将、大庭景親の居城、存分に検分させていただきました。
もっともっと城跡について勉強しなければと思わされました。
では、またの記事で会いましょう!