軍学に精通した太田道灌が築城〜稲付城(いねつけじょう・武蔵(東京))
軍法に詳しかった太田道灌(おおたどうかん)が築城
こんにちは、シンです。
2023年6月11日(日)。
今回は、東京都北区赤羽にある稲付城(いねつけじょう・武蔵)を訪問
駐車場所を探すのに苦労しました。。
電車を利用し、最寄りの赤羽駅から歩いた方が賢い選択だと思います。

稲付城跡は、現在ではこの静勝寺(じょうしょうじ)のお寺の区域となっています。
築城者は知る人ぞ知る、太田道灌(おおたどうかん)という軍学に精通した武将です。
のちにこの城は北条氏の所有する所となり、
北条氏滅亡後は徳川家によって廃城とされたとか。。
この寺域内に稲付城の本丸があったとされ、防御施設などは一切伺うことはできません。。

お寺のすぐ前に、このような駐車場がありますが、
車で訪れる場合は、あくまでもお寺の参拝という形で駐車されることをおすすめします。
たしか、『関係者以外の方はご遠慮下さい』うんぬんの表記があったと思われますので。。

こちらが、静勝寺の目の前にある説明板です。
台地上に築かれた平山城であり、地形を巧みに利用したらしいことは、
後でまた知ることになります。

なんと、太田道灌の木像が安置されているとか。。

この中にその木像が安置されているらしいのですが、
残念ながらそれを拝むことはできず。。

こちらが、静勝寺の本堂ですね。
この日も数名、参拝に訪れていたようでした。
山城などでも、神社などが本丸跡地に建立されていることは多々ありますが、
ここのように、他に目立つような城の遺構がないと、
『城跡』の実感はなかなか湧きにくいですね。。
台上に築かれた城であることを実感する。。
さて、お寺の本堂を確認し、
他に城跡の痕跡を思わせるものはないかどうか、
いつものように付近を探索します。

お寺の入り口とは違う方向に、石畳の道が伸びています。
他に道はありません。
この先を探索するしかないですね。

門をくぐると、
『稲付城跡』の説明板がありました。
お寺の南側で、空堀が確認されたとか、、
発見しきれなかったのですが、探索力はまだまだですね。。
また、『江戸城と岩槻城を中継するための山城として築かれた』とあります。
関東ではそれなりの拠点だったようですね。
岩槻城については以下の記事をご覧ください

さて、門の先にはこのように急な傾斜の石段が。。
これを見てもお分かりのように、
この稲付城は台上に築かれた平山城であることが分かります。

門の脇には、さらにこのような道が伸びていましたが、
この先には特に何も見当たりませんでした。

石段を下まで降りてみると、
『稲付城跡』の石碑が。
あらためて、ここが城跡だったことを認識します。
今思えば、この石碑の背後にある石垣は、当時のものでしょうか。。

そして石段の途中には、
このような祠(?)もありました。
正直に申し上げて、これ以外に城跡の遺構を示すものは見つかりませんでした。
立派な模擬天守のある城や、複雑な防御施設を検分したい人には物足りなすぎる城跡でしょうが、
『東京都内にも、このような城跡があったのだ!』と認識を深めるだけでも価値はあるかと思います。
ではまた!!