”見晴らしスポット”を備える南北朝期の丘城。北条氏の築城技術である「馬出し」も必見!〜祇園城(ぎおんじょう・下野(栃木))
2024年の”城巡り初め”。
みなさん、こんにちは、シンです。
2024年3月14日(木)。
この年初めての城巡りに選んだのは、栃木県小山市にある祇園城(ぎおんじょう)です。

Googleマップにて「祇園城跡」と検索し、上記駐車場(P)を目印に進めば間違いないでしょう。
電車をご利用の方は、JR小山駅から15分ほど歩くことになります。
祇園城は本来の名を小山城といい、南北朝時代には小山市の居城となっていたようです。
そして戦国時代には北条氏の手に移り、北条氏照の手により改修されたとか。
となれば、軍事に強かった北条氏照のことですから、
ほぼ間違いなく、北条流の築城技術を見ることができるはずです。

「城山公園利用者駐車場」はご覧のように、右奥に工事用のプレハブが建てられていますが、
それを差し引いても10台分ほどの駐車スペースがあります。

駐車場からGoogleマップが指し示す「祇園城址」に向けて前進します。

歩いていくと、右手に大きな台状の小山が見えてきました。
ここが城跡でしょう。

角まで歩いてくると、右手奥に赤い橋のようなものが。
まずはここから検分します。

近くまで接近してみると、こんな感じ。
下はコンクリート状になっていますが、
曲輪(くるわ:城の防御施設)と曲輪を結ぶ大事なポイントに違いありません。
この上に行ってみます。

「ぎおんばし」という名を持つ見栄えのある橋。
現在、この城山公園全体が工事中のため、
残念ながらこの橋を渡って向こう側に行くことはできません。
ひとまず、手前の本丸址から検分します。
VIEWPOINTという『見晴らしスポット』を発見!

Googleマップで調べてみると、「本丸跡」はこの城山公園の敷地一帯である様子。

この写真をご覧になってお分かりのように、
城山公園内はけっこうな広さがあります。
北条氏がどこまで改修したのかは定かではありませんが、広いです。

奥の方まで歩いてくると、
『城山公園』の石碑がありました!!
多くの城跡にはこういった石碑がほぼ必ずといっていいほどありますね。
ではここで、この城山公園内の広さを動画にてご検分いただきます。
この敷地全体が、『本丸跡』なのかははっきりしませんが、
それにしてもだだっ広いですよね。

そして再度、Googleマップを確認してみると、
この城山公園は大きな道路沿いに面しており、また、
思川(おもいがわ)を天然の防御ラインとしていることが、地図から読み取れます。

この写真のように、
片側2車線の道路がすぐ目の前を走り、
そしてそれと交差するように、下を思川(おもいがわ)が流れています。

そしてその思川(おもいがわ)沿いに歩いて行くと、土塁のようなものを見つけました。
本丸を防御するための土塁に間違いないでしょう。

ここでまたGoogleマップを確認すると、
VIEWPOINTという地点を発見。
”見晴らしスポット”ということでしょうね。

この、少し開けたところが、その”見晴らしスポット”のようです。

なるほど、ここから思川(おもいがわ)を正面にした眺めは、
絶好の”見晴らしスポット”というのでしょう。
ここの眺めを動画でもご覧ください。
う〜ん、、デートスポットとしてはどうでしょう。。
お互い、城巡りを趣味とする方なら、『いい眺めだ』となるでしょうか

それでは次に、この『ぎおんばし』の奥に広がる曲輪を巡ってみたいと思います。
北条氏の築城術、『馬出し』を発見!

工事中につき、『ぎおんばし』を渡ることができませんでしたので、
一旦、城山公園の脇の階段を下り、
この写真の位置からあらためて祇園城の各曲輪(くるわ)を見て回ります。

『公園』というだけあって、
敷地内には遊具もありました。

『上段曲輪』というみたいですね、このあたりの敷地は。

しかし、もう一度、よく見ると、、
中曲輪跡(馬出し)という表示が。
馬出し!!
やはり、北条氏のお家芸、馬出しを見ることができるとは!
馬出しとは、、
城内の兵が集結し、攻め寄せる敵兵を一気に蹴散らすための待機場所、
のようなイメージの防御施設です。
そのため、馬出しに通ずる道は狭く攻めづらく、しかもある程度の城兵を収容するスペースがあります。
この曲輪から馬出しに至る様子を動画でご覧ください。
上段曲輪の位置から一旦、『ぎおんばし』の方まで戻り、
そこから馬出しの位置に前進しています。
動画内にも映っていますが、『中曲輪跡』という立て看板もあります。
この中曲輪一帯が、城兵の集結場所なのですね。
南北に連なる曲輪の数々。
さて、本丸跡(城山公園)から上段曲輪、中曲輪(馬出し)にいたり、
さらに北の方にある曲輪を目指して前進します。

『中曲輪跡』からこの橋を渡って、奥に広がる曲輪を目指します。
最初に車を停めた駐車場の方向ですね。

橋を渡る途中、思川(おもいがわ)の方向に目をやると、
橋の下には大きな空堀が横たわっていました。
この写真では分かりにくいですが、、
丘城や山城には、必ず曲輪と曲輪の間にこのような空堀が敵兵を待ち構えているものです。

橋を渡った先には塚田曲輪跡が待っていました。
ここも割と広めな敷地です。

角度を変えて撮影してみると、このような感じ。
けっこう広いですよね。

ふとGogleマップを見ると、前方の位置に虎口(こぐち)が!!
虎口(こぐち)とは、
敵兵が容易に城内に攻め込めないよう、
そこに至る道はわざと細く折れ曲がるようにして造り、
敵の進軍速度が遅くなるのに乗じて両脇の土塁上から城兵が弓矢などを浴びせる防御施設です。

地図上の位置から察するに、
この写真のあたりが虎口(こぐち)に該当するはず。。
今はこのようにロープが張られていますが、この下から曲輪に至る道があるのでしょう。

さて、その虎口(こぐち)から少し右奥に進んだところで、
このブロック塀に囲われた道があります。
この奥に進むと、最奥の曲輪(敵兵から見ると、最前線の曲輪)に至ります。
この曲輪に侵入する様子を動画でどうぞ。
またしても橋を渡り、最奥の曲輪に侵入します。
この橋の下も深い堀になっていて、ご覧のように小川が流れています。
敵兵はこれだけの高さの堀を上り下りするのは簡単ではないでしょうし、
かといって、狭い橋では大勢の兵が一気に押し寄せることもできません。

この最奥の曲輪は、本祇園曲輪でした。
この曲輪の名称から察するに、ここが敵兵にとって最初に遭遇する曲輪(防御施設)でもないのかもしれません。
敵の侵入口は、意外と城の中心部だったり?

この曲輪内も、ご覧のように土塁が敵の侵攻を防ぐ壁となっています。
戦国当時は、もっと高かったことでしょう。

奥には、このような少し開けたスペースもあり、
おそらく、敵の進軍を監視する見張り台らしきものがあったのではないかと、、。
とすればやはり、ここが敵兵に対処する最前線の曲輪だったのかもしれません。

この赤く錆びた鉄橋を渡れば、最初の駐車場にたどり着きます。

この橋の下にもまた、大きな空堀がありました。
周囲に空堀と土塁を巡らした、丘城ですね。
ここで、祇園城の検分を終えます。
土塁や空堀の他に、馬出しや虎口など、
敵兵を迎え撃つ防御施設を確認することができました。
土の山城(丘城)にもこういった魅力があります。
立派な天守閣を備えた城だけを巡っていては、
こういった山城の魅力に気づかないままです。
(かつての自分がそうでした。。)
歩きやすい平地の、インスタ映えするような城巡りだけではなく、
こういった土の城もぜひ検分していただきたいと思います。
栃木県小山市を訪れる機会がありましたら、ちょっと立ち寄ってみてください。