上杉謙信の軍勢をも退けた原氏の居城〜臼井城(うすいじょう・下総(千葉))

2024年10月30日

竹林に囲まれた平山城・臼井城

こんにちは、シンです。

2023年4月21日(金)。

昨日は印旛沼近くにある師戸城(もろとじょう)を訪れたのですが、

本日はその印旛沼を挟んで対岸にある臼井城(うすいじょう)に行ってきました🚙

臼井城(下総・千葉県)

◉城のジャンル

丘城

◉文化遺産としての見どころ

評価 :2/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :3.5/5。

◉駐車場所

臼井城址公園内に駐車場あり(およそ5、6台分)

師戸城(もろとじょう)臼井城(うすいじょう)の支城にあたるようで、

臼井城は代々、原氏が城主であったようですが、

師戸城と同じく、上杉謙信や里見義弘の攻めにあい、

最終的には徳川家康の家臣・酒井家次が3万石で城主となったようです。

👇師戸城に関する記事はこちらをどうぞ👇

今日も車で現地・臼井城址公園に行ってきましたが、

駐車場が分からず、えらい苦労しました。😅

Googleマップを頼りに車を進めてみると、この坂道に。

どうやら、この先に臼井城址がありそうです。

坂道の途中でこのような光景が。。

石積みの上に竹の柵のようなものが。

確かなことは言えませんが、何やら臼井城と関係があるのかもしれません。

こちらが臼井城址公園の駐車場(看板ですが)。

ここから臼井城の痕跡を探るべく、山登りです。

駐車場から先は、このように登り階段があります。

それほどの標高はありませんが、一応、平山城(ひらやまじろ)です。

登りきったところで、このような掲示板が。

いきなり土橋の上に来たようです。

土橋の幅を狭くすることで、一度に多勢の敵が渡れなくなります。さらに、曲がった坂をつけて敵の進む速度を低下させ、北にあるI郭土塁上から側面攻撃を受けやすくなるように工夫されています。

現在は、盛土によって覆い、保存しております。

曲がった坂で敵の侵入速度を鈍らせ、近くにある土塁上から側面攻撃🔥

いや、戦国ファンとしてはワクワクしますね。😆

ここは後ほど、動画でも解説いたします。

実は登り口は他にもあった!!

他にも臼井城の構造を記した掲示板のようなものがあるかと歩き回ったのですが、、

結局、情報らしい情報は、この土橋に関するものだけでした。

まあ、これだけでも十分、城の造りが分かりますが。。

そして、歩いているうち、実は他にも登り口があることに気づきます。

実は私、大きな勘違いをしていて、

上のGoogleマップ上で表示されているように、

臼井城址公園とは別に、臼井城址があるものだと思い込み、、

一旦城址公園を降りて、ぐるっと大回りして『臼井城址』を探しに行きます。

ここからかなり迷走します😓

一旦城址公園を降りて、一般道に出ました。

そしてGoogleマップを頼りに『臼井城址』に近づくべく歩いて行くと、

ここに到達したわけです。

『臼井城址公園』っていう、立派な看板があるじゃありませんか!

せっかくなので、登りの様子を動画撮影しました。

ご覧の通り、けっこう登ります。

この上は、先ほどの土橋に通じています。

ひとまず、『臼井城址』を探すべく、いったん麓の道に戻ります。

Googleマップの表示を頼りに歩いてきましたが、

どうやらこの竹林の上らしい。。

えっ、ここを登るの?

(いや、城址というのは、そのあたり一帯を指すだけであって、明確なポイントがあるわけじゃない。

早く気づけ!、、と後になって思いました😅)

息を切らし、汗だくになりながら竹をつかみ、道なき斜面を登り、、

たどり着いたこの台地。

しかし、まだここではなさそう。。

(早く気づけ!)

上に通じる、うっすらとした道らしきものが。。

よし、せっかくここまで来たんだ!登ろう!!

(そして、この先で気付かされます。。)

必死に登り、行き着いた先は、、

なんと先ほどの掲示板があった土橋の下。

なんだよっっぉ!😭

仕方ないので、この堀を登ります。

そして、ようやくGoogleマップが示していた『臼井城址』らしき地点に。

ここでようやく気づきました。

無駄に歩いたなぁ、、、。

でも、地図上にわざわざ、『臼井城址』と記しているということは、、

ここが城の本丸にあたる箇所では?

先ほどの土橋の掲示板にはそこまで詳細に書かれていませんが、

少なくともI郭とII郭があり、そのI郭の一角のようですから、

「一の郭」、すなわち本丸とみてよいでしょう。

その”本丸”と思しき場所の近くには、このようなものも。

やはり、、な?

そしてその一の郭を覆うように土塁があり、そこに登る石段までありました。

何も見るべきものがない、単なる土塁に登るために、後からわざわざ石段を造ったとは思えません。

これもおそらく、当時のものではないでしょうか?

(そう思いたい。。。)

そしてこれが、登った土塁の上から土橋を見下ろした写真です。

ここから侵入する敵兵を狙い撃ちしたのでしょうね。。

臼井城に攻め寄せる敵兵の立場になって撮影!

では、いったい臼井城に攻め寄せる敵兵の目線ではこれらの防御施設はどう映るのか?

今度は土橋の上を歩きながら撮影してみました。

いかがでしょうか?

一の郭に通じる土橋は若干、曲がりくねっていて、

さらに少し傾斜があるため、このあたりで敵兵の進軍速度が遅れそうです。

そこを狙いすましたように、左側面の土塁上から狙い撃ちされる。

恐ろしい。。

一の郭を奥まで進むと、印旛沼が!

実は一の郭は、奥にさらに開けた台地があり、

その先には印旛沼が見えました。

ここも動画撮影しています。

一の郭(本丸)はこのように広く、

奥まで進んでいくと印旛沼が見えてきます。

対岸にはこの臼井城の支城である師戸城(もろとじょう)があります。

さらに柵沿いにはほんの少し隆起した土塁のようなものも、、。

かなり開けた平山城であることが分かります。

いやぁ、にしても歩き疲れました💦

無駄に歩いただけ、とも言えますが、、

師戸城(もろとじょう)同様、印旛沼(いんばぬま)の近くを訪れる機会がありましたら、

ぜひとも立ち寄って見ていただきたいです。

👇師戸城(もろとじょう)についての記事はこちらをどうぞ👇

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