徳川四天王・榊原康政の居城〜館林城(たてばやしじょう・上野(群馬))〜三の丸の土塁、土橋門は必見!!
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注意深く探さないと見つけにくい本丸跡
こんにちは、シンです。
2023年5月13日(土)。
徳川四天王・榊原康政(さかきばらやすまさ)が10万石で居城とした、
群馬県の館林城(たてばやしじょう・上野(こうずけ))に行ってきました🚙
◉城のジャンル
平城(ひらじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉駐車場所
尾曳稲荷神社前に大きな駐車場あり✨
東武伊勢崎線館林駅から徒歩約15分
はてさて、徳川四天王・榊原康政が居城として与えられた館林城。
だいぶ前から一度は行ってみたいと思い、期待に胸を弾ませながら行きましたが、
城の遺構らしいところは見当たらず、、😓
かなり気落ちした状態で付近を散策していました。
今回も例によってGoogleマップを頼りに「本丸跡」を探して歩くと、、
ここが本丸のあった場所らしいです。
そして、これが八幡宮。
本丸の土塁跡とはいっても、これまでに見てきた他の城址と比べれば、
さほどはっきりしたものが見られるわけではなく、、
念のため付近を散策、そしてまたGoogleマップを見ながら、
今度は「本丸三重櫓跡」を目指すことに。
頼むよ〜!!何か期待を持たせるものを見せて〜!
その「本丸三重櫓跡」に着いてみると、
館林城の縄張り図を発見!😆
どうやら正確には、さきほどの八幡宮とは少し離れた位置に本丸があった様子。。
どうやらここがその本丸跡らしいです。
今では向井千秋記念子ども科学館という施設が建っています。
石垣に囲まれた土塁らしきものが見える程度で、それ以上に目ぼしい遺構は見当たらず。。
まあ、これだけでも立派な遺構です✨
ご覧のように、
その本丸跡の目の前は、
けっこう広い場所です。
視点を180度転じると、
右奥に館林市役所があります。
ここが二の丸だった様子。
もちろん、行ってみました。
二の丸跡地にやってきました!
ここも特にめぼしい遺構は見当たらず、
館林市役所前の駐車場から、反対に本丸側を撮影。
こう眺めると、城の規模が分かりますね。
やはり大きいです。
ここでもいい教訓になったのですが、
「城址」があるからといって、必ずしも目ぼしい遺構があるとは限りません。
見るべきはこちらだった!土橋門跡。
『いや、まだまだこんなものではないはず。。』
あきらめきれずに、またもGoogleマップを頼りに、
千貫門跡、土橋門跡を追求。
淡い期待を裏切るかのように、
千貫門跡にはこのような石碑のみ。
「はあ、今回は大した成果はなかったか。。」
あきらめの気持ちで、最後に土橋門跡へ行ってみたら、、
いや、あった!!
なんとも立派な造りじゃないですか!
この土橋門は復元されたもののようですが、それでも見ごたえはあると思いました。
残念ながら城の遺構はほとんど失われているようですが、
一部土塁が残っているとか。
それを確認し、今回の収穫とします。
にしても、ホントに復元されたものなのか、
というほど古びた門です。
復元した年がそもそも昔だったのでしょう。
ここで、この土橋門の周囲、そして門そのものを動画撮影しました。
ご確認ください。
門の左右には土塁がはっきりと存在感を示し、
その上の塀が土塁の姿を際立たせています。
いや、お見事!!
土塁が当時のものだとすれば、
この石垣もそうでしょうか。
いや、これは復元されたものだな。。
今度は塀を中心に撮影。
たとえ一部であっても、当時の遺構が残っているのであれば、
多少復元されたものが混じっていても、かなり見ごたえがあります。
それでは最後に、土橋門を含めた三の丸の様子を動画でどうぞ!
この三の丸の広さもそうなんですが、
しっかりと土塁が残っていて、これだけでも魅力がありますね。
これまでは立派な天守のある城にしか興味がありませんでしたが、
西股総生(にしまたふさお)さんの著書を読んでからは、
”土城”の魅力にどっぷりです。
この館林城のように、少しでも遺構らしきものが見つかればそれだけでハッピーになれるのです。
この本を読んで城の”本当の魅力”に気付けば、
確実に「城マニア」の仲間入りを果たすでしょう😊
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