北条氏に最後まで忠節を尽くした豊島氏の居城〜布川城(ふかわじょう・下総(茨城))

2024年10月10日

水陸交通の要衝を抑えた重要拠点。

こんにちは、シンです。

2024年10月3日(木)。

今回は茨城県利根町にある布川城(ふかわじょう)を訪れました。

布川城(下総・茨城県)

◉城のジャンル

平山城(ひらやまじろ)

◉文化遺産としての見どころ

評価 :4/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :3/5。

◉アクセス

城跡付近には専用駐車場はなし

最寄駅:京成成田線布佐駅からタクシー約10分(徒歩約25分)

上記のGoogleマップをご覧いただいてお分かりのように、

近くには成田線の布佐駅があり、こちらを利用すればそれほどアクセスには困ることはないかと。

付近には専用駐車場はありませんので、鉄道利用の方が良いかと思います。

付近まで近づいて撮影した利根川の様子です。

布川城はこの利根川沿いにあり、また、大きな街道にも面していたことから、

『水陸交通の要衝を抑えた重要拠点』だったと言えます。

Googleマップを頼りに、布川城入り口に到達しました。

本丸跡には徳満寺の本堂があります。

ちなみに、この坂を上った右手は幼稚園になっています。

この坂を上っていくと、奥に石碑のようなものが見えます。

『布川城跡』とありました。

こういった石碑が存在する場所は、どの城跡でも本丸があった場所とされています。

そこからさらに奥に進むと、徳満寺の本堂が見えてきました。

ここが布川城の本丸にあたります。

最後まで北条に忠節を尽くした豊島氏の歴史。

その本堂に歩を進める途中で、案内板を発見しました。

この布川城は豊島氏が治めていたようで、早くから北条氏に付き従っていたようです。

しかし、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅びると、城主豊島氏は北条氏直に付き従い、

高野山まで同道したとか。。

最後まで北条に忠節を尽くした家柄だったのですね。。😭

布川城の縄張り図を拡大してみると、、

少し離れた位置に二の丸が存在し、馬出し曲輪もあったようです。

これらものちに検分していきます。

こちらが徳満寺の本堂ですね。

このあたり一帯が本丸跡だったということになります。

その本堂の左手奥に進むと、この写真の位置に。

『茨城百景・大利根の展望』とありますが、

残念ながら利根川を広く見渡すことはできないようです。

この石段の上が、かつてはそうだったらしいですが、、

今ではご覧のように、周りを木々に囲まれ、利根川の流れを確認することはできません。。

土橋に空堀、馬出し曲輪まで、防御施設を確認。

今度は、本堂の裏手にまわってみました。

最初に案内板で確認した縄張り図によれば、この先に馬出し曲輪があることに。。

馬出しとは、、

城内に侵入した敵兵を迎撃、撃退するために、城兵が待機していた防御スペースであり、

しばしば敵兵側からは見えないような死角をうまく使って反撃していた防御施設です。

この写真の位置あたりが、当時の土橋だったのでしょう。

右手を見ると、石段が見えますが、坂のようになっていて窪みを確認できます。

縄張り図によれば、ここは土塁に挟まれた空堀だったはずです。

その土橋から今度は左側を確認すると、、

こちらは木々が茂っていてひじょうに分かりにくいですが、

こちらも右側以上に深い溝があり、明らかに空堀があったことを認識できます。

ここが、馬出し曲輪ということになります。

この神社の社務所の手前あたりに、当時は城兵が反撃のために待機していたのでしょう。

ここで一旦、最初の石碑のあたりまで戻り、

今度は写真の左側に見える階段の先に行ってみます。

この石段を降りていきます。

なんだか、虎口のように見えます。

この石段の長さ、高さを考えても、

この布川城は平山城だったことが分かります。

石段を降り切ると、利根川沿いの住宅地に出ました。

当時は利根川の向こうに三の丸があったはずです。

その住宅地の道を、城跡沿いに進んでいくと、

再び、徳満寺の本堂に続く石段を見つけました。

その高い石段を登る途中で、少し平坦な敷地を見つけました。

これはあくまで推測ですが、、

この右上側が本丸、ということを考えると、

ここはもしかして腰曲輪だったのではないかと、、。

腰曲輪とは、、

山腹の途中を平らに削りとったスペースで、

城の下から攻め登る敵兵を上から迎撃するための防御施設です。

この門をくぐり、再びお寺の本堂へ。

それにしても、立派な、歴史を感じさせる山門ですね。

次は、先ほど検分した馬出し曲輪の先へ。

こちらも、長い石段で下に降りるようになっています。

この先は、縄張り図によれば、二の丸があるはずです。

この大きな鳥居をくぐっていった先にあるはずです。

その鳥居を外側から見たアングルです。

二の丸はそこそこ広さがあったというのが、なんとなく伝わってきます。

この坂を登れば、左手に利根川が見えます。

少しだけ坂を登るように進むと、今は工事中らしいですが、

利根町の役場があります。

少し台上になったこのあたりが二の丸だったのだろうと推察します。

ここからは利根川の流れもよく見えます✨

見晴らしが良いことから、本丸と連携し、

川向こうにあった三の丸とも相互に防御連携していたのだろうと推察します。

城跡の遺構としては、他に見るべきところもないですが、

この利根川を中心として、なんとなく城の当時の規模感を想像できるかと思います。

利根町付近を訪れる機会がありましたら、ぜひ一度足を運んでみてください😀

では、またの記事で。

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