古びた櫓門に歴史を感じる。城跡の南端には枡形虎口も!〜土浦城(つちうらじょう・常陸(茨城))

2024年6月24日

亀城(きじょう)の異名を持つ『続日本100名城』の一つ

こんにちは、シンです。

2023年5月1日(月)。

今回は茨城県土浦市にある土浦城(つちうらじょう・常陸)まで足を運びました🚙

土浦城(常陸・茨城県)

◉城のジャンル

平城

◉文化遺産としての見どころ

評価 :3.5/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :3/5。

◉駐車場所

隣の土浦市立博物館に駐車場あり(第二まで合わせるとおよそ20台分)

JR土浦駅から徒歩約15分

以下、Wikipediaからの引用です。

太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。土浦は度々水害に遭っているが、その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)の異名を持つ。

Wikipedia

歴史が古く、平安時代には平将門(たいらのまさかど)が砦を築いたとか、、。

戦国時代に入り、戦国大名・小田氏の部将、菅谷氏の居城になっていたようですが、

1590年、豊臣秀吉の小田原征伐により、

菅谷氏は主君の小田氏ともども滅びたようです。

今回は、そんな歴史を持つ土浦城に潜入してきました😆

復元されたとはいえ、目を奪う東西の櫓門(やぐらもん)

まず、土浦市立博物館の駐車場に車を停め、

歩いてすぐ目にしたのが、以下の見取り図です。

亀城公園(土浦城址公園)内に主要な建造物が密集しているようです。

そして中に歩みを進め、まず目にしたのが西櫓門でした。

こちらの橋を渡り、西櫓門まで近づいてみます。

左側に上りの石段があり、これが西櫓門に通じています。

では、この場面を動画でどうぞ。

続いて、本丸を挟んで反対側にある東櫓門に進みます。

こちらも動画でどうぞ。

途中、右手に見えるのは、二の丸に通じる櫓門です。

この東櫓門も、復元されているとはいえ、立派な造りです。

お城マニアにはたまらない画角ではないでしょうか。

ホント、立派な姿で、天守のようにも見えます。

歴史を感じてしまうほど古びた旧前川口門

次に、この東櫓門をくぐり、

一旦公園の外に出る形となります。

公園の一つの入り口に『亀城公園』のモニュメントがありました。

そして今度は違うアングルから東櫓門を撮影。

続いて、Googleマップを確認しながら、旧前川口門に行ってみます。

二の丸跡の左側にあります。

ありました!旧前川口門。

以下のような説明板もちゃんとあります。

この記載の通りだとすれば、

この門は江戸時代末期から”移築”されて、ここに現存する、ということに!

確かに、金具部分の錆び具合など、尋常ではありませんでした。

どれだけ古びているか、以下の動画でご確認ください。

いかがでしょうか?

木の質感や、さび落ちた部分などなど、歴史を感じます。

二の丸跡から正面の櫓門を通り、そして土塀へ

今度は前川口門を起点にして、

二の丸跡へ進んでいきます。

二の丸跡へ。

右奥に写っているのが、さきほどの旧前川口門です。

この近くには、また違う説明板がありました。

この土浦城は、本丸・二の丸を中心に、

三の丸や、外丸(そとまる)まであり、

武家屋敷や町屋などもひっくるめて堀で囲った”惣構え”だったことが分かります。

平城は山城に比べ、高低差による防御のアドバンテージがない分、

こういった水堀などにより防御する必要があったのですね。

こちらが、二の丸と本丸を結ぶ櫓門です。

これも結構古いんです。

櫓門のそばには、『土浦城趾』の石碑が。

この櫓門をくぐり、再び本丸の中に入ります。

そして目に止まったのが、「本丸土塀」です。

鉄砲狭間(てっぽうはざま)がしっかり再現されているのですよ。

鉄砲狭間(てっぽうはざま)とは、

城内の兵が侵入してくる敵兵を狙撃するために設けた”狭間”と呼ばれる空間です。

こちらが、その鉄砲狭間(てっぽうはざま)です。

四角形や三角形の狭間(はざま:スキマ)がありますね。

あらためて本丸跡を眺めてみました。

こうして見ると、結構な広さだというのが分かります。

次に、さきほど通った櫓門も、古さが感じられたので動画撮影しました。

こちらの櫓門も、ずいぶん歴史を感じますね。

そしてもう一度、二の丸に戻ると、

『亀城の泉』というのがありました。

こちらも動画で。

水の流れる音に風情を感じます。。

最後に搦手門〜大手門〜枡形虎口などを探索!

さて、これで一通り、

土浦城内の建造物は見てまわりました。

ですが、Googleマップで確認すると、まだ気になる箇所があります。

マップの右側に搦手門(からめてもん)の表記が!!

行ってみよう!!

すると、途中、土浦小学校があったのですが、、

こちらも風情のある造りですなぁ。。

櫓門を模倣したような造りですね。

さて、Googleマップを見ながら搦手門のある方向に歩いていくと、、

さらにこのような表記も。

正直、外丸(そとまる)って、言葉の響きに馴染みがなかったのですが、

これを機に覚えます。😅

そしてようやく、搦手門へ。

やはりといいましょうか、予想通りでした。

こういった石碑しか残ってないのが普通ですよね、平城の場合。

次に、大手門を探索します。

さきほどの土浦小学校のあたりか。。

もときた道を戻ることになり、

ふと視線を転じると、

旧前川口門が遠くに。

なるほど、なんとなく当時の土浦城の構えが見えてきた気がします。

この旧前川口門を正面にして、右側手前に搦手門、左側手前に大手門があったことになります。

そして、ありました!大手門跡。

やっぱり、土浦小学校のところでした。

というより、小学校の門?

さあ、最後の仕上げに、枡形虎口らしき南門跡地へ!

こちらはちゃんとした説明板がありました。

これはある意味、本日の一番の発見だったかもしれません。

まさか、平城の土浦城にもこのような防御施設があったとは。。

いや、平城だからこそ、か、、。

枡形虎口(ますがたこぐち)については以下の守谷城の記事、

そして馬出しについては佐倉城の記事が分かりやすいかと思います。

今日の城巡りも、いろいろと収穫がありました。

毎回、予期せぬ色んな発見があります。

これだから、お城巡りはやめられないですね。

ではまた!!

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