多くの堀と土塁が織りなす山上のアート〜杉山城(すぎやまじょう・武蔵(埼玉))
縄張り図を見ただけで心が踊る!!
みなさん、こんちは!シンです。
2023年7月13日(木)。
今回はですね、、
城郭・戦国史研究家の西股総生(にしまたふさお)さんがおすすめしていた城跡にやってきました。
埼玉県比企郡にある杉山城(すぎやまじょう・武蔵)です。
「続日本100名城」にも指定されています。
◉城のジャンル
山城(やまじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉駐車場所
およそ50台ほどは駐車できるであろう、見学者専用駐車場あり
上のGoogleマップにも表示されてます、🅿️のところに駐車できます🚙
この通り、けっこう広めな駐車場です。
ここから歩いて登っていきます。
駐車場の付近にあった案内板です。
航空写真ですね😄
この写真を見てお気づきでしょうか?
大手口のところから、地形がくっきり階段状に残ってますよね。
「ここに城跡があったぞ〜!!」と言わんばかりの見事な遺構!
これが杉山城の魅力なんですね。
城跡は、玉ノ岡中学校の隣にあるので、学校の校門から入っていくことになります。
駐車場から、中学校の校門への道です。
学校を横目に、坂道を登っていくイメージです。
坂道を登りつめていくと、
「杉山城跡」の表示板が見えてきます。
ところどころに「保存会」の旗がたなびいていますので、まず迷うことはないかと。。
杉山城の説明板です。
これまで築城者が不明でしたが、最近の調査では上杉憲房の築城ではないかと。。
各郭と堀の複雑な組み合わせ。
『戦国期山城の最高傑作』ですって!
こりゃ、見応えありそうですね!
そしてこれが、イラストで描かれた杉山城の縄張り図です。
これを眺めるだけで、山城ファンとしては心が躍るのではないでしょうか。
大手口から馬出し郭、そして外郭へ!
まずはこの説明板のある大手口(出郭)から検分していきます。
この城跡には、ご丁寧にキレイな矢印板が設置されています。
城巡りの初心者でも安心して楽しめるご配慮ですね!
ここが大手口(出郭)の様子。
先ほどのイラスト図でもお分かりのように、ここは少し突き出した形となっていて、
いわゆる”出丸”のようなイメージに近いでしょうか。
出郭という言葉から、そんなことを連想しました。。
では、ここまでの様子を動画でご確認ください。
多少の草に覆われていますが、
この堀と土塁がくっきりと残る見事な地形、素晴らしくないですか?
そしてこの大手口(出郭)から、隣接する馬出し郭、外郭へと検分していきます。
”すぐれた城跡”って、このように当時の防御施設の説明が本当に細かいんですよね。。
ありがたい限りです!!
そして、この左側の平になっている場所が馬出し郭ですね。
大手口まで攻め寄せてきた敵兵を、ここにて城兵が迎え撃つ、という図式でしょう。
そして外郭(そとぐるわ)の説明。
屏風折なんて言葉、初めて目にしました!!
確かに、空堀が折れ曲がって続いています。見事だ!!
この美しい堀跡の様子を動画でお楽しみください。
ここも多少の草が生い茂っていますが、
それでも、これほど立派に整地されているのは、保存会の皆様のおかげ。。
感謝します!!🙇
にしても、見惚れるほどの堀跡ですね。屈曲している!!
この城跡もそうですが、
防御施設を詳細に説明してくれている説明板が、山城や丘城にはちらほらとあります。
分かりやすいですよね。。
横矢掛かりなんて、勉強しなきゃ分からなかったものな。。
馬出しの防御施設としての役割も、しっかりと説明されています。
ありがたや!!
馬出し郭から南三の郭へ通ずる虎口(こぐち)ですね。
両側に(当時はもっと深い)堀があるので、敵兵はこの細い出入り口を通らねばならず、
その間に両側の土塁上から城兵に撃ちすくめられるという格好。。
”必殺のキルゾーン”ですね。
南三の郭から、”食い違い虎口”を経て南二の郭へ!
この杉山城の防御施設は堀や土塁だけではありません。
先ほど説明した虎口(こぐち)も、敵兵の侵入を阻む立派な防御施設です。
南三の郭に到達。
杉山城に存在する、ただ一つの食い違い虎口。
敵兵の直線的な侵入を防ぐため、わざと道を折れ曲がるように、
しかも坂道になっているので敵兵の進軍速度は遅れ、
城兵からすれば、弓矢の絶好のまとになるわけですね。
それでは、この食い違い虎口から南二の郭に至る様子を動画で。
折れ曲がって登っていかねばならない様子がお分かりでしょうか?
南二の郭から眺めた空堀の美しさ。
惚れ惚れしてしまいます。。
山腹を取り巻く帯郭(おびくるわ)
続いて、南三の郭から今度は井戸跡の方へ行ってみます。
いや、この日もかなり暑かったです。
動画内で聞こえる虫の声などで察していただけるでしょうか。。
ここから西に下っていくと、細長い帯状の郭(帯郭)があるらしいです。
そこを歩いた様子も動画に収めました。ご覧ください。
このように、細長い道を敵兵は進み、
そして少し開けたところで城兵が待ち構えている、といった構図だったのでしょう。
どこから攻めてきても防げるように、山腹にもしっかり防御の工夫が凝らされていたのですね。
これが帯郭です。
井戸郭にも、横矢掛かりの防御の工夫がありました。
そして、ここで注目すべきは、城兵の移動に堀道が使われていたことですね。
堀といえば普通、敵兵の移動を妨げるものですが、
逆に城兵がそれを移動用として使うとは。。
でも確かに、、
敵兵が攻め寄せないうちは、密かに城兵が移動するには”絶好の隠れ場所”かもしれませんね。
ここがそうですね。
城兵の移動用手段でありながら、
場合によっては、
下から登ってくる城兵たちが進んでくる”攻め口”とも言えるのではないでしょうか。。
深い谷を挟み込むように設置された南の郭と東の郭、そして本郭。
いよいよ本郭(ほんくるわ)へ進んでいきます。
本郭(ほんくるわ)は城の中心部、いわゆる本丸と呼ばれるところですね。
南二の郭から、東側にある道を伝っていきます。
左側に見える、少し高くなっているところが本郭(ほんくるわ)です。
本郭(ほんくるわ)がどのような位置にあったのかを、
この説明板が示してくれています。
東の郭、南の郭が協力して、深い谷を挟み込むように、
高台にある本郭(ほんくるわ)を防御しているようです。
さらに分かりやすくするため、次の動画で説明します。
最初に南の郭から、帯状の道を登っていき、
右下に見下ろす深い谷を挟みこむように、
東の郭が奥にあります。
そしてその間の道を左側に登っていくと本郭(ほんくるわ)に到達!!
敵兵としては、深く険しい谷を攻め上るのは困難でしょうし、
両側には東と南の郭がそれぞれ防御陣を敷いています。
ホント、要害堅固な山城ですね。。
そして本郭(ほんくるわ)に杉山城跡の石碑と、説明板がありました。
これまた、多くの城跡に共通して言えることですが、、
なぜこのような位置に城が築かれたのか、
付近の川や地形を巧みに利用していることが分かりますし、
さらに付近の城との連携方法なども記されていることが多いです。
すでに訪れた鉢形城との連絡など、
多くの城巡りをしていると、こういった城同士のつながりも学べることになります。
北二の郭・北三の郭へ
さてここからは北側の防御ラインを検分にいきます。
まずは北二の郭から。
本郭(ほんくるわ)の北側にも虎口があります。
先ほどの井戸郭手前の帯郭から敵兵が侵入してきて、ここの虎口に突き当たるようです。
ここが虎口手前の侵入路ですね。
この写真でいうと、左上、
細い道の奥に少し凹んだところがあるのがお分かりでしょうか?
地形上の偶然かもしれませんが、
おそらく尾根を断ち切るための防御施設、堀切ではないかと推測します。
下から眺めた(攻め上る敵兵の目線)北側虎口の様子です。
ここも道が折れ曲がるように、そして傾斜のきつい坂道になっています。
虎口の左側にある土塁上から狙われること、間違いなしですね。。
この道を奥へ、北二の郭、北三の郭へ進んでいきます。
道を進んでいく間にも、
このように空堀や土塁が複雑に入り組んでいます。
攻める敵兵からしたら、「もう勘弁してくれ〜!」というところでしょうか😅
他の郭のような掲示板が見当たらなかったのですが、
このあたりがおそらく北二の郭かと。。
正直、それと分かる北三の郭が見つからず、、
もしかしたら先ほど北二の郭と見たところが北三の郭であり、
北二の郭はもっと手前にあったのかもしれません。
この道を奥に進むと、城の搦手口(からめてぐち)(城の裏側)になるようです。
ここもはっきりとした掲示板が見つかりませんでしたが、
このあたりが搦手口(からめてぐち)になるのでしょう。
ちなみにGoogleマップで調べると、
この下に「杉山六万坂の石仏群」というのがあるようで、
ついでに見にいきます。
いったん山を下り、
一般道まで出てきました。
Googleマップが示している方向に歩いていきます。
ありました!!
これが「杉山六万坂の石仏群」ですね。
城巡りをしていると、城跡以外にも、周りにこのような遺構が残されていることがあります。
(※いや、こういったものも含めて、”城跡”というべきでしょうか。。)
最後に東二の郭・東三の郭を検分して帰投!
一度、山の下まで降りてきてしまったので、
搦手口(からめてぐち)から再び、山を登っていきます。
なんたって、けっこうな高さの山城ですからね、、
かなり汗をかきました💦
特に山城は、真夏日には訪れるものではないかもしれません。。
また本郭(ほんくるわ)まで戻り、最後に東二の郭を巡ります。
今さら思ったのですが、順番としては、
北側に行く前にまず東側を見に行った方が良かったですね。。
先ほど、南二の郭側から深い谷を見下ろしたように、
東二の郭、東三の郭は、
本郭(ほんくるわ)と南二の郭の間くらいに位置してます。
東二の郭、東三の郭は、それぞれ緩やかな傾斜上に造られていました。
高低差のある、自然の地形をそのまま利用したみたいです。
当時の戦(いくさ)びとの知恵が活かされているようですね。
こちらが東二の郭の様子です。
うっすらとですが、奥に直線的な虎口の跡が見えます。
ここが虎口ですね。
その先に、東三の郭の平地が広がっています。
この東三の郭の様子も動画でご覧ください。
ここはかなり草に覆われていますが、
それでも堀跡などを見ることはできます。
東二の郭まで戻り、そこから本郭(ほんくるわ)を見上げたアングルです。
かなり高低差があることが分かります。
そして再度、南二の郭➡️南三の郭へと、
堀跡を眺めながら帰投します。
にしても、見事な堀跡だ!!
これだけ素晴らしい堀跡が残っているのも珍しいので、
最後にもう一度、馬出し郭から脇下の細道を通って大手口(出郭)に至る様子を動画で。
城マニアからすれば、
どれだけ繰り返し眺めても見飽きません。😎
屏風折になった堀が連なっている、見事な山城です。
最後に、、
一番麓まで降りてきてから、杉山城を見上げてみました。
多くの木々が生い茂っているため、地形はイマイチ判別し難いですが、
十分な高さ、堅固な山城であることはなんとなく伝わってきます。
できれば、これほど草が生い茂ることのない、春先や秋口などに訪れるのが望ましいでしょう。