二重土塁に出枡形土塁。北条氏が改修したであろう、堅固な土塁の城跡〜菅谷城(すがやじょう・武蔵(埼玉))

2024年11月13日

いきなり二重土塁が出迎えてくれる!

城巡り好きな皆さん、こんにちは、シンです。

2024年4月26日(金)。

今回紹介するのは、埼玉県比企郡嵐山町にある菅谷城(すがやじょう)です。

菅谷城(武蔵・埼玉県)

◉城のジャンル

平城

◉文化遺産としての見どころ

評価 :3.5/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :4.5/5。

◉駐車場所

「埼玉県立嵐山史跡の博物館」前に10台ほどの駐車スペースあり

東武東上線武蔵嵐山駅から徒歩約30分(タクシー約5分)

菅谷城は「続日本100名城」に指定されている平城で、

源頼朝の挙兵に力を貸した畠山重忠の館(別名:菅谷館)として知られています。

戦国時代には、この付近に進出した後北条氏が利用しています。

城跡は国道254号線沿いにあり、「博物館」前に駐車場もあります。

最寄りの東武東上線・武蔵嵐山駅からですと、徒歩約30分(タクシー5分)という距離感です。

国道254号線を車で走っていると、上の写真のような標識がありますし、

それほど迷うこともないでしょう。

国道に面した、菅谷城跡への入り口です。

旗指物が立ってましたので、わかりやすかったです✨

入り口は、実は城の搦手(裏側)に相当し、

しかも堅固な二重土塁(にじゅうどるい)が待ち構えています。

二重土塁(にじゅうどるい)といえば、北条氏の築城技術の一つです。

これはやはり、戦国期になってから、北条氏の手によって築かれたものでしょう。

この写真では分かりにくいとは思いますが、

手前の隆起した部分、それから奥に見える少し高めの土塁、

というように二重の防御線を張っています。

横から撮影した奥の土塁です。

北条氏が築いた二重土塁については、以下の記事でも紹介しています。

博物館内にはそれなりに展示物が充実!

二重土塁によって守られた搦手口を通過し、

次に博物館内の様子を紹介いたします。

真っ直ぐ進むと、手前に駐車場があり、

奥に博物館があります。

こちらが『埼玉県立嵐山史跡の博物館』入り口です。

休館日や入館料金はご覧の通りです。

結構、中は広々としています。

こちらは畠山重忠です。

平家討伐のため挙兵した源頼朝に加勢すべく参陣している様子。

古代から近世にかけての出土物なども展示しています。

御城印の押印体験なんてのもありました。

御城印コレクターにとっては嬉しい趣向かもしれませんね。

こちらは期間限定かもしれませんが、

別室にご覧のような甲冑も展示されていました。

博物館内はじっくりかけて見るならば、10〜20分は費やすでしょうか。

曲輪全体を覆う堅固な土塁

博物館の展示物を見終えたのち、

再び外に出て、菅谷城跡を検分します。

博物館前の駐車場近くに、

「見学路はこちらですよ〜」と言わんばかりに、案内板がありますのでありがたいです。

こちらが、菅谷城の配置図です。

まずは郭(さんのくるわ)から見て回ります。

この三ノ郭(さんのくるわ)に入るには、

説明板に記載されている、食い違い虎口(くいちがいこぐち)を通過しなければなりません。

三ノ郭(さんのくるわ)の手前にあるこの道がそうですね。

菅谷城は鎌倉時代に一般的だった武士の居住場所、

すなわち館(やかた)を改修したものですから、

造りとしては平城(ひらじろ)になります。

山城に比べて敵兵の侵入を防ぐには高さが武器とはなりません。

そこで、先ほど紹介したように土塁を二重にしたり

このように道の入り口を大きく曲げて敵兵の進軍速度を遅らせたり、と、

防御に工夫を凝らす必要が生じるのですね。

この三ノ郭(さんのくるわ)と、

それを囲む土塁の様子を以下の動画でご覧ください。

三ノ郭(さんのくるわ)の入り口付近にある土塁です。

その土塁の上から撮影した画像です。

後で気づいたのですが、他の郭では、『土塁の上に登らないでください』という注意書きがありました。

土城(山城)をしっかり検分するには、土塁上からの眺めを確認するのも必要とは思うのですが、

遺構の保護というのも必要ですよね。。

なるべく損なわないように注意します。

すいません。

三ノ郭(さんのくるわ)を奥まで進んでいくと、

さらに前方に新たな土塁を発見!!

蔀土塁(しとみどるい)という、初めて目にする防御施設。

平安時代ではこのように呼び習わされていたのでしょうね。

戦国期とはまた少し、防御施設に対する捉え方も違うのかもしれません。

こちらが、その蔀土塁(しとみどるい)なのでしょう。

奥に虎口(こぐち)らしきものが見え、

外側からはこちらの様子を覗くことはできません。

虎口(こぐち):城兵の曲輪への出入り口であり、敵兵の侵入を許さないため、

その入り口を狭くしたり、折れ曲がるように設けた防御施設。

”キルゾーン”と呼ばれることも多い。

その虎口(こぐち)を抜けたところです。

空堀に橋がかかっています。

ではここで、逆にこの虎口(こぐち)から中に侵入し、橋に至るまでを動画でご覧ください。

その木橋の説明板です。

敵兵の侵入に備え、細かな工夫を凝らした様子が伺えますね。

復元された木橋を正面から。

この奥に西ノ郭があります。

木橋を渡ったこちらが西ノ郭です。

写真をご覧になってお分かりのように、ここも結構な広さがあります。

西ノ郭の検分を終え、

もときた道を引き返し、今度は二ノ郭、そして本郭を目指します。

圧倒的な迫力を見せてくれる出枡形土塁(でますがたどるい)!!

三ノ郭(さんのくるわ)に広がる土塁も結構見どころがあったのですが、

それを上回る土塁をこのあと、目にすることに。。

三ノ郭(さんのくるわ)から道を戻り、

博物館の右側を道沿いに進むと、こちらの案内板に到達します。

二ノ郭は博物館のすぐ裏手にあります。

はい、こちらが二ノ郭の説明板です。

二ノ郭の広さがお分かりでしょうか。

そのすぐ近くには、

初期の菅谷館に住んでいた畠山重忠の銅像が。

ここも迷うほどの道ではありません。

こちらの石段を登った先に、その銅像があります。

はい、こちらが畠山重忠像です。

思った以上に立派な造りで、少し感動しました✨

ここは、石段を登ったくらいの高さで、割と見晴らしがききます。

戦時には櫓台が置かれていたのではないかと思うほどの高さがありましたので、

動画撮影してみました。

ご覧ください。

畠山重忠公の銅像もさることながら、

周囲に見える土塁や堀跡など、視界は良好です。

戦国期には櫓台(見張り台)があったと考えたくなります。

そして同じく、二ノ郭の近くにある菅谷城の石碑と、

城内の配置図です。

所々にこのような分かりやすい案内板があるので、それほど迷うことはありません。

こういう施設は城巡り初心者にとっても歩きやすいです🙂

こちらの道を奥に進めば、本郭方面に到達します。

右手が、先ほどの銅像があった場所になります。

同じ位置から左手に視線を転じると、、

手前にそれとわかる空堀に土塁、奥には本郭に通じる虎口(こぐち)も見えます。

虎口(こぐち)とは、

各曲輪(城兵の守備するスペース)に至る出入り口を細く、道を折れ曲がるように造り、

敵兵が容易に侵入できないように工夫を凝らした防御施設です。

そして、、道を先に進むと、その姿を現す出枡形土塁(でますがたどるい)です!!

左側手前にある土塁が少し右側に突き出すように造られているため、

手前と奥の空堀に侵入した敵兵に側面射撃を仕掛けやすくなっています。

見事な防御施設です!

その出枡形土塁(でますがたどるい)を左にみながら、

さらに道を奥に進んでいきます。

このあたり一帯もまた、二ノ郭になります。

先ほどの博物館裏手にあったスペースと合わせ、

二ノ郭はかなり広い防御区画だったことが分かります。

出枡形土塁(でますがたどるい)についての、説明板も見られます。

『横矢懸かり』という戦法ですね。

今度は、出枡形土塁(でますがたどるい)を奥側から撮影した写真を。

現地で確認すると、なおいっそう、一箇所だけ土塁が突き出た様子が分かります。

二ノ郭をそのまままっすぐ奥まで進むと、

このように道が狭くなり、

郭のはしっこまで来たことが分かります。

この小道をさらに奥に進むと、

南郭に行き着くようです。

防御の用途は分かっていないようですが、、行ってみます。

ご覧のように道が細く、

林の中に突入することになります。

下り坂になり、ますます草木が生い茂っています。

南郭はこの下ですね。

少し開けた平地に出ました!

そこまで確認はしませんでしたが、

この前方には都幾川が面し、この菅谷城の防衛ラインになっていたと推察します。

先ほどの、南郭の説明板の位置まで戻ってきました。

この左にある小道を辿ると、本郭に行けるようです。

もちろん、行ってみます。

写真の右側に見える小道をたどり、

少しずつ坂道を登っていくことになります。

左手には本郭を防御する土塁が見えます。

坂道が少しだけ険しくなり、本郭に至る虎口と思えるところを通過します。

本郭に到達しました!!

奥にはそれとはっきりわかる土塁が姿を見せています。

ここもそれなりに広いスペースがあります。

本郭の説明板です。

空堀や土塁以外に、目立つような遺構は見当たりません。

その本郭を奥に進み、

虎口を通過して、奥の二ノ郭へ。

奥には博物館が見えます。

この菅谷城の郭の位置関係がお分かりでしょうか。

本郭を出たところで、あらためて出枡形土塁の様子を。

緑地があると、土塁の形がくっきり見えて分かりやすいですね。

二ノ郭の手前まで戻ってきました。

最後に、左側、博物館の裏手を検分します。

この菅谷城の配置図がありました。

やはり、南郭に面するように、都幾川が南の防衛ラインとなっていることがよく分かります。

博物館の真裏に、三ノ郭の建物群、そして井戸があったようですね。

ここが、その建物群があった場所、

そしてここに井戸があったということになります。

これで菅谷城の探訪を終わります。

いや、本郭を防御する出枡形土塁は圧巻でした!

埼玉県比企郡を訪れる機会がありましたら、一度立ち寄ってみてください。

それでは、またの記事で!

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