徳川将軍の日光社参時に常宿としていた本丸御殿〜壬生城(みぶじょう・下野(栃木))
まずは三の丸土塁跡から検分。
皆さんこんにちは、シンです。
2024年10月4日(金)。
この日は栃木県下都賀郡にある壬生城(みぶじょう)を訪れました🏯
◉城のジャンル
平城(ひらじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉アクセス
壬生町城址公園駐車場に50台ほどの駐車スペースあり
最寄駅:東武宇都宮線壬生駅からタクシー約5分(徒歩約15分)
この壬生城は壬生氏による築城。
1590年の小田原征伐後は結城秀康の所領となり、その後、
1600年代に入ってからは阿部、三浦、松平など徳川家臣が治め、
最終的には鳥居氏が入って明治を迎えたようです。
この壬生城跡は比較的アクセスが良いです✨
東武宇都宮線の壬生駅からタクシー約5分(徒歩でも15分)と近く、
城址公園駐車場も広々としたスペースがあり、車でも鉄道でも行きやすいです😀
こちらが駐車場の様子です。
ご覧のようにかなりのスペースがあります。
その駐車場のすぐそばには、二の丸表門を確認することができます。
さっそくここから中に入って城跡を検分したい気持ちになりそうですが、、
実はこの周囲にも遺構が存在します。
まずはそちらから。
Googleマップを確認してみると、、
城跡の北側に三の丸土塁跡があります。
ここから検分していきます。
マップを頼りに現地に行ってみると、、
ありました!!これが三の丸土塁ですね。
特に説明板のようなものはありませんが、見た目で土塁と分かります。
別アングルから撮影。
小さい鳥居もあります。
周囲が民家なので物寂しい気持ちになりますが、、
平城(ひらじろ)の宿命と言えるでしょう。
歴史民俗資料館で壬生城の歴史について学ぶ。
三の丸土塁を検分した後は、
北側から歴史民俗資料館に向かいます。
ここが少し分かりづらいですが、、
駐車場の間をすり抜けていくことができます。
分からなくなったら、正面の二の丸表門から入った方が確実かもしれません。
北側から公園内に入りました。
中は結構な広さがあります。
この右手前にあるのが歴史民俗資料館でして、、
右奥に見えるのが図書館、左側にあるのが文化会館です。
民俗資料館は2階が展示室になっています。
入館料は無料です。
中には鎧甲冑なども展示されていました。
1/400の壬生城模型を確認しました。
現在、実際に確認できるのは中央にある二の丸から内部だけですね。
当時三の丸だったところは全て住宅地や学校になっています。
壬生城の本丸御殿も模型で確認することができました。
なぜ本丸御殿までわざわざ詳細な模型があるかというと、、
徳川家康の逝去後、
代々徳川将軍が日光東照宮に参拝に行くのが慣わしだったようで、
壬生城の本丸御殿はその際の宿泊場所となっていたようです。
ひじょうに文化的価値が高いですね✨🤩
大手門の復元模型までありました!
今では残っていませんが、当時は丸型の馬出しがあったみたいですね。
関東では北条氏による角馬出しがメジャーですので、これは珍しいです。
壬生城の歴史などについて学んだのち、
いよいよ本丸の検分にいきます。
圧巻の大手門土塁、そして水堀!
資料館前を出て公園の中央付近へ。
広いです。
特に説明板らしきものもなかったのですが、、本丸があったのでしょうか。
公園の縁に沿って歩いていくと、、
櫓(見晴台)のようなものを見つけました!!
登って上から見下ろしてみると、
下に川が流れています。
後から気づいたのですが、これが大手門の土塁で、下に見えたのは水堀跡ですね。
水堀に沿って、このように道が奥まで続いています。
大手門の正面まで出てきました。
水堀は広く、中に鯉もいました。
再度中に入り、土塁へ。
このように登れる階段があります。
登ってみると、、
いや〜見事ですね✨
土塁の上から大手門の橋と水堀を眺めた図です。
このアングルもまた絶景かな。
橋を挟んで反対側にも、土塁があります。
こちらには複数の標柱や石碑がありました。
こちらも、土塁上から撮影。
その土塁の近くには、このような、古墳の石室部材というのもありました。
玄門石(げんもんいし)というようです。
それでは、ここまでの大手門土塁とその周囲の様子を動画にしましたので、ご覧ください。
これだけくっきりと土塁が残っているのは、ホントにありがたいことです。
公園内の全体図もなんとなくお分かり頂けたかと思います。
壬生城本丸跡を検分して帰投。
結局、本丸跡はどこだったの?と思ってたんですが、、
実は大手門の外側に説明板を発見しました。
大手門の橋を渡り、振り返り様に再度土塁を撮影後、、
二の丸表門に向かう途中で、この説明板を見つけました。
この周囲は駐車場などになっていて、今ではそれと分かる遺構のようなものありません。
そしてすぐそばには、こちらの『大手門の礎石』なるものもありました。
こちらが、移設された現物のようです。
中央にそれぞれ、柱を通すための穴が空いていますね。
最後に、こちらの二の丸表門を通って帰投します。
壬生城の遺構として確認できたのは、三の丸土塁、大手門の土塁と水堀、橋などでした。
予想以上に貴重な文化的遺産を確認でき、満足です。
皆様も、付近に立ち寄る機会がありましたらぜひ足を運んでみてください。
では、またの記事で!!