今はキャンプ場であるが、曲輪や堀切の跡がありありと残る山城〜真里谷城(まりやつじょう・上総(千葉))

2024年11月11日

かつて訪れたことのあるキャンプ場

みなさん、こんにちは、シンです。

2023年6月18日(日)。

千葉県木更津市にある、真里谷城(まりやつじょう・上総)にやってきました😀

この城は戦国時代、上総武田氏の居城として知られ、

小田原征伐で廃城とされるまでは、この地一帯に勢力を保っていたようです。

真里谷城(上総・千葉県)

◉城のジャンル

平山城(ひらやまじろ)

◉文化遺産としての見どころ

評価 :3/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :4/5。

◉駐車場所

キャンプ場の駐車場に30台分ほどの駐車スペースあり

今は木更津市のキャンプ場になっている真里谷城跡

実は私は以前、木更津市に住んでいたことがあり、

子どもたちを連れてここでキャンプをしていたことがありました。

その時は「城跡がある」という程度の認識で、あまり興味がなかったのですが、

今ではその時の記憶も呼び起こしつつ、じっくり城跡を検分します✊✨

キャンプ場の駐車場に車を停め、

まずは真里谷城の縄張り図を目にしました。

主郭(本丸)を中心に、二の郭(二の丸)、三の郭(三の丸)など、

平山城として、けっこう防御が固そうな城です。

城山神社から腰曲輪へ

駐車場からすぐ目の前にある城山神社を、まずは検分します。

城跡には大体、神社があることが多いです。

こちらが城山神社入り口の鳥居です。

山林の中にある神社って、かなり厳かというか、神秘的な感覚に襲われます。。

小さな狛犬(こまいぬ)まであり、当時の名残を味わえます。

キャンプ場のすぐ近くに、このような景観があったとは。。

今さらながら、少し驚いています。

ここが、神社の本殿ですね。

造りは、かなり今風でした。

再建されたのでしょう。

この城山神社の様子を動画でご覧ください。

周りでキャンプを楽しんでいる人たちの声が聞こえますが、

それ以外は小鳥のさえずりが聞こえるのみで、

静かな、そして厳かな雰囲気が漂います。

山城の中の神社というのは、こういう趣があって良いです。

城山神社を検分したのち、裏側にある山道を登っていきます。

地形を見るに、虎口(こぐち)のように思えます。

城山神社の裏側に到達!!

ここが、先ほどの縄張り図で見た、腰曲輪ですね。

腰曲輪とは、、

山の中腹あたりに設けられた防御施設で、

山肌をよじ登ってくる敵兵を迎えうつ場所です。

ここで、この腰曲輪とその周囲の様子を動画でどうぞ。

それなりに広さがあり、

山肌をよじ登ってくる敵兵を撃退するには十分なスペースですね。

真里谷城の本丸跡へ

城山神社から腰曲輪、と検分したところで、

次に主郭(本丸跡)へ行ってみます。

Googleマップを確認し、、

真里谷城本丸跡とある場所へ、近づいていきますよ。

腰曲輪から、山の裏手側の山道を歩いていきます。

このような山道、いかにも”城跡”という感じがして好きです。

おっと!!

物見台を発見しました!

多くの城山では、このような物見(監視)をする場所が、

高いところに設けられる傾向があります。

ほとんど崩れている階段を登り、物見台を確認します。

少し分かりにくいですが、登りやすいようにロープが上から下がっています。

ここが物見台ですね。

戦国の当時には、この高台の場所で、下から攻め上がる敵兵の動きを監視していたのでしょう。

そして、その物見台から少し降りたところに、

開けたスペースを確認できました。

ここが主郭(本丸跡)で間違いなさそうです。

それでは、ここの様子も動画でご覧ください。

ご覧のように、火を起こすための竈(かまど)や、

流しそうめんで使う竹竿などがあります。

これらはキャンプで使う用具たちですね。

私の子供たちも以前、ここで流しそうめんをしました。😅

まさか、その場所が主郭(本丸跡)だったとは、、当時は全く気づきませんでした。。

そしてこのすぐ下はキャンプ場につながっています。

あらためて見ると、

けっこうな広さですよね。。

虎口を通って二ノ郭(二の丸)へ

では次に、二ノ郭(二の丸)へいきます。

こちらから二ノ郭(二の丸)を目指して前進します。

今ひとつ、場所に確信を持てなかったのですが、

おそらく二ノ郭(二の丸)はこの先にあるはず。

であれば、この写真の場所が虎口(こぐち)ではないかと、、。

ちなみに虎口(こぐち)とは、

敵兵が攻め寄せてくるさい、

城内への侵入を防ぐため、道をわざと折れ曲がるように造って敵兵の進軍速度を遅らせ、

その間に道の両側から城兵が弓を射るなどして、撃退する防御施設です。

はい、ここが縄張り図からそれと推測する、二ノ郭(二の丸)です。

ここも割と広めの敷地で、主郭(本丸跡)から少し下がった位置にあります。

それでは、ここの様子も動画でご覧ください。

やはり、明らかに城を防御するための、一定の区画であることが推察できます。

そして、動画の後半で撮影している、武者走りのような小道などがあり、

ここから他の曲輪に向かうためのものであることが分かります。

最後に三ノ郭(三の丸)、そして堀切(ほりきり)へ

二ノ郭(二の丸)と思われる場所も検分できました。

最後に、縄張り図にあった、三ノ郭(三の丸)堀切(ほりきり)を検分に向かいます。

こちらの階段を降り、下に向かいます。

目の前に広がる竹林に、山城の雰囲気をありありと感じます🎋

こちらも、縄張り図から察するに、

おそらく腰曲輪の一つではないかと思います。

右手側が二ノ郭より上部、左手側が、敵兵が登ってくるところですね。

(竹林の間を縫って、攻め上ってくる可能性もあるでしょう。)

そして城兵はこの腰曲輪にて、攻め登る敵兵を迎え撃つ、という図式です。

三ノ郭(三の丸)にたどり着いたところで、

「大堀切」という木柱が。。

おそらく、堀切(ほりきり)の近くに立っていたものが倒れて、ここに置かれたのかもしれませんね。

そしてこの三ノ郭(三の丸)の外側を覆うように、

堀切(ほりきり)が口を開けて敵兵を待ち構えています。

堀切(ほりきり)とは、、

敵兵が歩きやすい山の尾根道を途中でスパッと断ち切ったもので、

城の防御施設の一つです。

それでは、この三ノ郭(三の丸)堀切(ほりきり)の様子も動画でご覧ください。

三ノ郭(三の丸)の中心部にある、「生ごみ置き場」というのが少し悲しい気がしますが、

現在はキャンプ場となっているため、それも致し方ないでしょう。

それより、スパッと断ち切られたような堀切(ほりきり)の様子、いかがでしょうか?

これだけ防御施設の遺構が残っていると、

城マニアとしては城巡りの甲斐もあるというものです。

再度、堀切(ほりきり)の様子を写真で。

右側から左側へ、すなわち、城の中心部に進むには、

この堀を越えなければなりません。

では、この堀切(ほりきり)の中を、堀沿いに手前に進んできたらどうなるか?

そうしたら、おそらく三ノ郭(三の丸)に待ち構える城兵によって、

土塁の上から狙い撃ちにされるでしょう。

以上で、真里谷城の検分を終わります。

腰曲輪を含む複数の曲輪に堀切(ほりきり)虎口(こぐち)などなど、

城の防御施設としてはけっこう見応えがあるところだと思います。

千葉県南部を訪れる機会があれば、一度立ち寄ってみてください。

ではまた!!

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