環濠集落の名残も見える?〜木原城(きはらじょう・常陸(茨城))
堀や土塁跡を確認することはできる。。
こんにちは、シンです。
2023年6月5日(月)。
本日は茨城県稲敷郡美浦村にある木原城(きはらじょう・常陸)にやってきました🚙
土岐市の家臣である近藤氏の居城らしいですが、
不明な点が多い城跡です。
◉城のジャンル
平山城(ひらやまじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉駐車場所
城址公園駐車場におよそ10台分ほどの駐車スペースあり
城の区分としては平山城ですが、
ネット上の情報に記載がある通り、
三の丸〜二の丸〜本丸に行くにつれて標高が低くなるという、少し変わった構えの城です。
こちらが城址公園の駐車場です。
車を停めている奥側に少し傾斜があり、おそらく土塁ではないかと。。
車を降りて公園とは反対側の道を歩いていくと、
土塁に囲まれているらしい道に差し掛かります。
やはり、そうでした!
このように、詳細に防御施設について書かれている説明板はありがたいです。
この城の場合、土塁って、防御施設であると同時に、城内の様子を隠す役割もしていたようですね。
本丸に近づくにつれて標高が低くなる城であれば、土塁がそういった役割を果たすことも納得です。
少し離れて撮影しました。
土塁の跡がはっきりと分かります。
説明板のあたりが盛り上がっていますね。
そして土塁といえば、それとセットになるのが堀ですね。
深く掘り、敵兵が城内に侵入するのを防ぎます。
この写真では分かりにくいですが、
手前から奥にかけて、傾斜があり、土が深く落ち込んでいます。
矢倉の上から周囲を見渡す
道を戻り、次に公園内を探索します。
左側から回ってみます。
公園の周りを覆う道です。
左側の土手もおそらく土塁跡でしょう。
途中、このような木の柵のようなものもありました。
あながち、当時の遺構と無関係ではなさそうですね。。
道を進むにつれて、
写真のように、少し盛り上がった箇所も。
これも土塁跡でしょう。
城跡を何箇所も巡っていると、
Googleマップを使いこなすようになってきます😅
道から少し外れ、近くの矢倉風展望台に行ってみます。
ここにも説明板がありました。
矢倉とはまさしく、高所から敵兵の侵入を見つけ、
そこから矢を放つこともできる防御施設ですね。
この展望台は、当時の矢倉のものではないようですが、ひとまず登ってみます。
少し離れてみると、
これだけの高さがあります。
展望台の上に登り、
上から撮影してみました。
手前には、子どもたちが遊ぶための遊具があります。
この広場一帯が本丸跡でしょう。
それなりに高さがあるため、
かなり遠くまで見渡せます。
分かりにくいかもしれませんが、遠くに大きな湖である霞ヶ浦が見えます。
古くは、環濠集落であった!
展望台を降り、
再び公園周囲の道を進んでいきます。
木原城は、本丸内にも堀が巡らされていたようですね。
ただし、堀とはっきり分かるほどの遺構は確認しづらいです。
さらに公園周囲の道を進んでいきます。
なんと、今歩いている道は、環濠集落に沿って造られたものらしいです。
環濠集落といえば、弥生時代に一定数の人々が自分たちの縄張りを確保するために築いた、
柵などで覆った円形状の区画のはず。
ここも、はっきりと分かるような掘の跡は見つけられませんが、
確かに、少しくぼんでいる箇所はありますね。
この公園一帯が集落だったのでしょう。
稲荷神社を検分して帰投。
ここまで歩いてきて、
堀や土塁以外に、目ぼしい防御施設などは見当たらなかったため、
城跡から少し離れた稲荷神社に行くことに。
公園の道から少し外れたところに、
この稲荷神社があります。
神社の石段を登り、
この道を歩いて奥まで。
この写真だけを見ると、山城の中を歩いているような気分になります。
奥まで進むと、祠のようなものがありました。
この写真も分かりにくいですが、
祠のある山道の下は、深い堀になっています。
城跡の歴史も不明なことが多く、
防御施設も少しの堀と土塁しか見当たらないため、
城跡巡りとしては少し物足りない印象でしたが、
環濠集落の跡を確認できただけでも良かったことにします。
思わぬ発見が待っているのも城跡めぐりの醍醐味ですからね。
ではまた!!