本丸御殿だけではない!裏側には高い櫓台、そして大きな堀跡もアリ!「日本三大夜戦」の一つで知られる”河越夜戦”の地〜川越城(かわごえじょう・武蔵)

2024年6月24日

まずは博物館で川越城を取り巻く歴史について知る。

こんにちは、シンです。

いつも記事を読んでくださる読者の皆さま、ありがとうございます。

2023年7月5日(水)。

前々から気になっていた、埼玉県川越市にある川越城(かわごえじょう・武蔵)を訪れました🚙

この城は日本100名城であり、関東七名城でもあります。

川越城(武蔵・埼玉県)

◉城のジャンル

平山城(ひらやまじろ)

◉文化遺産としての見どころ

評価 :4.5/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :3.5/5。

◉駐車場所

川越城本丸御殿の前に20台分ほどの駐車スペースあり

本丸御殿のすぐ前に駐車場があるのですが、

着くなり、係員の方に、訪れた先の館内でスタンプをもらってください、と。。

博物館・美術館・本丸御殿のいずれかでもらう必要があるとのこと。

どうやら、それらの施設を訪れる人専用の駐車場らしいです。

無断で駐車させないように、との配慮があるのでしょう。

(私は本丸御殿でスタンプを押してもらいました。)

駐車場のすぐ横に石碑がありました。

本丸御殿はこの奥なのですが、まずは縄張り図を確認したいと思います。

これもすぐ近くにありました。

かなりの数の曲輪(くるわ)があるようですが、

現在は周りを家屋等に囲まれ、その面影は確認できませんでした。

まずは、二の丸があった博物館に行ってみます。

道路を挟んで向かい側にある川越市立博物館

入館料は¥200でした。

館内には様々な歴史的遺構、調度品などが展示されています。

なんだか江戸時代の町屋の雰囲気が漂います。

こういう内装にしている博物館、好きですね。。

武将・太田道灌の紹介文です。

一説には、”築城の名手”と言われているようですが、

実際には学問にも優れた軍略家、であったようです。

こちらが、太田道灌の人形です。

思い描いていたイメージとはだいぶ違いました。。

河越合戦(かわごえかっせん)は知る人ぞ知る、有名な戦です。

『河越夜戦』とも言われますね。

川越城は、扇谷上杉氏と北条氏の間で争われました。

こうして、城を取り巻く戦国の歴史を知ることは、いつになっても興味深いものです。

二の丸周辺の遺構を確認!

さて、博物館にて川越城の歴史を学んだところで、

次に二の丸(博物館)周辺の遺構を確認しにいきます。

まずは、このあたりに蓮池門があるらしいので、、

ありました!!

門の跡らしいものは見られず、ただこの石碑があるばかりです。

さて、ここから北の方角に進むと、

武道館の裏側あたりに、虎櫓の跡があるらしいですが、、

おぉ、、ここも石碑だけでしたが、

こういうのを確認できるだけでもありがたいものです。。

虎櫓は、武道館の駐車場の奥にありまして、、

Googleマップなどを頼りに進んで行かないと、

見つけるのは少し難しいかもしれません。。

”小さな京都”を思わせる本丸御殿内部の見事さ!

さて、ではいよいよ、本丸御殿の検分に参ります!!

先ほどの駐車場の位置まで戻り、

そこから奥に進んでいきます。

本丸と二の丸を隔てる土塁がありました!!

「川越城本丸門跡」というのも。。

後ろに、土塁が存在感を放っています。。

少し離れて撮影すると、このような見栄えに。

確かに、ここに門があったと言われれば、納得できそうです。

本丸御殿の向かい側には、立派な構えの休憩所までありました。

さて、ようやく本丸御殿の内部へ潜入します。

入館料は¥100でした。

この入り口の構えだけでも、少し圧倒されてしまいます。

内部も立派な造りで、すべての部屋を思う存分、検分できます。

「使番詰所」です。

本当に、一部屋一部屋が立派で、分かりやすいように動画撮影したかったのですが、

受付にて「動画撮影はダメ」と言われていました。

見てください、この眺め。

これまで見てきた城跡に比べ、これだけ優雅な気持ちを味わえるのは初めてです。

「小京都」という呼び名がふさわしいような。。

渡り廊下みたいなのも確認できました。

風情があっていいですね。。

この写真ではイマイチ伝わりにくいですが、

36畳もの広さを誇る客間です。

いかにも、かつて武士たちが着座していたような雰囲気を味わえます。

奥に進むと、「家老詰所」が見えてきます。

庭の砂利石なども掃き清められ、

これだけでも風情を感じますね。

ホント、関東にいながら”小さな京都”を味わっているかのようです。

関東七名城、というだけはありますね。

「家老詰所」に向かう渡り廊下です。

現代の建物にはない、昔ながらの造りに感動!!

これを見るだけでも、行ってみたくなりますよね?

実際、この日も外国人観光客が複数名、来ていました。

畳の部屋に腰を下ろしてしばし、雰囲気を味わっているようでした。

最奥まで進むと、

家老たちの人形が置かれてあります。

う〜ん、かなりリアルですよね。。

ちゃんと、厠(かわや:便所)までありました!!

「家老詰所」から見たアングルもまた良いですね。

北関東でこんな名所を眺めることができるとは、、。

ここでいったん、本丸御殿の外に出て、動画を撮影しました。ご覧ください。

いかがでしょうか?

本丸御殿の雰囲気が伝わりますでしょうか?

気になった方は、ぜひ一度、足を運んでみてください。

本丸御殿のすぐそばには荘厳な神社もアリ!!

本丸御殿だけでも、かなり満足させられましたが、

周辺の遺構もしっかり確認して帰らなければ、”城マニア”としては気が済みません。

というわけで、本丸御殿のすぐ近くにある三芳野神社も訪れてみました。

「とうりゃんせの唄発祥の地」という文言が、

人の心をくすぐりそうです。

私はそこまで興味は抱きませんでしたが、、😅

朱塗りの、かなり立派な造りの神社です。

この日は平日にもかかわらず、多くの参拝客がいました。

正面から撮影した写真です。

手前に賽銭箱があります。

神社の近くには、『川越城の七不思議』という、少し興味深いものもありました。

別名を「霧隠城」という由来まで。。

『富士見櫓』もまた必見なり!

最初に縄張り図で確認したときは、

曲輪の数が多い印象でしたので、

Googleマップで探すだけ探し、残らず見て回ろうと思います。

まず、田曲輪門富士見櫓です。

マップを頼りに歩いてくると、ありました!!

富士見櫓跡が。

周りは完全に住宅街なのですが、

このあたりだけ、少し名残が残っています。

ここだけ開発せずに残したのでしょうか。素晴らしい!!

田曲輪門の跡も、同じ敷地内にありました。

奥に階段が見えます。

あれが、富士見櫓に上る階段です。

この富士見櫓が、川越城では一番高いところにあったため、

天守の役割をしていたそうです。

それでは、実際に登っている様子を動画でご覧ください。

これを見るだけでも、

かなりの高台にあったことが伝わると思います。

このすぐ隣には川越高校があり、部活動の練習でしょうか、

生徒たちの掛け声がしきりに聞こえてきました。😅

もちろん、見晴らしにも優れています。

この富士見櫓の裏側(すぐ下)には鳥居もありました。

城跡を巡ると、大概、このような光景を目にしますね。

どれだけ鳥居(神社)があるんだ、と言いたくなるくらいの数。

神社の本殿を間近で撮影しました。

光の度合いにもよるでしょうが、、

荘厳な雰囲気が伝わってきます。

ここから再度、下に降りて、

残りの遺構を確認しにいきます。

まだあった!見どころある大きな堀跡!

再度、Googleマップにて残りの遺構を確認しにいきます。

中ノ門堀跡がありますね。。

移動の前にもう一度、田曲輪門の跡を。

この写真だけ見ると分からないですが、

この周りはすべて住宅地ですよ!!

よくぞ、この地だけ残したものだ。。

中ノ門堀跡に向かう途中、目にした「郭町(くるわまち?)」という町名。

城跡を巡ると、少なからず、こういった地名に出くわします。

これまた、城巡りの醍醐味です。

そして、ありました!

ここが中ノ門堀跡ですね。

これまた、住宅が建ち並ぶ真ん中にポツンとありました。

立派な門構えですね。

そして大きな堀がこの奥に。。

中ノ門堀がどれだけ防御の要をなしていたかということが、

詳細に書かれています。

見てください、この深く大きな堀跡!!

両側は住宅地です。

よくぞ残っていたものだ。。

川越城というと、ついつい本丸御殿に目を奪われがちですが、

奥には富士見櫓があり、この中ノ門堀跡もあります。

これら顕著な防御施設があることが、関東七名城たる所以でしょう。

いかがでしょうか?

”小さな京都”を思わせる本丸御殿の見事さは言うに及ばず、

これらの遺構の数々もまた見ごたえ十分かと思います。

興味が湧いたら、一度立ち寄ってみてください。

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