千葉氏は源頼朝とも結びつきが強かった!〜千葉城(ちばじょう・下総(千葉))

2024年11月7日

千葉氏の歴史について深く知る。。

こんにちは、シンです。

2023年5月14日(日)。

今回は千葉県千葉市にある千葉城(別名:亥鼻城(いのはなじょう))にお邪魔しました🚙

千葉城(下総・千葉県)

◉城のジャンル

平山城(ひらやまじろ)

◉文化遺産としての見どころ

評価 :2.5/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :2/5。

◉駐車場所

千葉市立郷土博物館前に20台分ほどの駐車スペースあり

JR内房線(外房線)本千葉駅から徒歩約10分

この千葉城の天守は実際にはなかったという説があり、

隣の亥鼻公園に土塁や堀切が存在する程度だったようです。

それでも千葉氏の歴史を深く知る上ではひじょうに勉強になりました。

以下に、その歴史について画像などを交えながら説明させていただきます。

こちらが、千葉市立郷土博物館前の駐車場に車を停めて撮影した写真です。

後から建造したとはいえ、やはり立派な造りの天守を見上げると心が高揚します✨

駐車場の位置からすぐに博物館前に歩いていけます。

なんら道に迷うこともありません。

お察しの通り、

千葉市立郷土博物館とは、この天守の中にあります。

大概の城址ってそうですよね。

天守の中が歴史資料館になってることが多いです。

(入館料は無料です。)

入り口でパンフレットを受け取り、いざ入館!

まず1FではこのようなQ&A形式の掲示があり、

千葉氏の歴史について深く学ぶことができます。

私もここに来るまでは、千葉氏のことなど全く知りませんでした。。

千葉氏はあの平氏の子孫でありながら、源氏の棟梁である源頼朝に力を貸しています。

この経緯はまた後で。。

そして戦国時代には北条氏に味方し、豊臣秀吉の小田原征伐により、北条氏とともに滅ぼされます。

千葉氏の家紋もまた、たいへん興味深いものです。

この「月星紋(つきほしもん)」は本佐倉城を訪れた時に出迎えてくれました😅

のちに千葉氏の居城となった本佐倉城については以下の記事をご覧ください。

千葉氏が信仰した妙見菩薩や妙見に関係するものは、

私も千葉県および茨城県内の下総地域ではよく目にしました。

城址に「妙見曲輪」という名称が見られるほどです。

千葉氏の戦国大名としての来歴です。

関東の戦国大名といえばまず北条氏が有名ですが、

千葉氏も戦国末期にはおよそ7,000騎ほどの兵力を従える大名だったのですね。

このようにみると、

千葉氏は北条氏などと連携して各地の戦国大名、

特に上杉謙信などとも戦火を交えたようです。

こういった歴史はたいへん興味深いです。

こちらが千葉氏の子孫について。

あの幕末の英雄・坂本龍馬が北辰一刀流を会得した千葉道場は、

やはり千葉氏の流れをくんでいたのですね。

豪華な展示品の数々に目を奪われる。。

2Fより上では多くの展示品を目にすることができます。

こういった南蛮伝来の鉄の甲冑など。。

鉄砲の玉も簡単には寄せ付けなかったようです。

火縄銃ですね。

一度実際に撃ってみたい。。😅

こちらは太刀(たち・刀)ですね。

実際に間近でみると、その切先の鋭さなど、ゾッとしますよ。

こちらが源氏の棟梁・源頼朝の肖像画。

皆さんも見慣れていますよね。

平氏の子孫である千葉氏がなぜ、平氏と敵対する源氏の棟梁に力を貸したのか?

それは頼朝が千葉氏などに領土を保証したから、というのが定説のようです。

実際に自分たちの領土を安堵してくれる人に味方する、というのはひじょうに現実的な考え方ですね。

ご恩」に報いるため「奉公」する、というのは歴史の授業で学びましたね。

上杉謙信はたびたび、下総にまで攻め寄せていたようです。

臼井城を守る原氏は上杉勢を撃退!

臼井城については以下の記事をご覧ください。

5F(最上階)にもあった千葉氏の旗。

「源頼朝に父と呼ばれた武将」って、かっこいいですね✨

相当、源氏との結びつきが深かったようです。

そしてこの最上階からは、千葉市内の様子を一望できます。

大体、天守ってこういう造りをしてますよね。

これが、天守の最上階から眺めた図です。

天守に登るたび、城主になれたような気がする、のは私だけではないはず。。

この方向に見下ろせる石垣や土塁の跡。

このあと、行ってみたいと思います。

公園内に残る土塁や遺構。

博物館の展示を見終わったので、

再び外に出てきました。

ここで一度、天守とその周りを動画で撮影しました。

天守のすぐそばには、千葉氏の祖、千葉常胤の像も見えます。

天守のそばに勇ましく立つ銅像。

う〜ん、かっこよく映えてますね〜😊

源頼朝の鎌倉幕府樹立に力を貸した千葉常胤

頼朝に父と呼ばれるほど、大きな貢献をしたのでしょうね。

銅像から少し離れたところに、

このように東屋(休憩所)、そしてわずかながら土塁、石垣の跡も。

このあたりが本来の城址だったのでしょうね。

その城址から天守を眺めた図です。

距離をとって撮影すると、また見え方が違ってきます。

城址の付近から少し奥に進むと、

このような石段が。

猪鼻城跡の石碑もありました。

城址一帯が、猪の鼻のような形状をしていたことから、

このような名が付けられたようです。

なるほど、確かに、

Googleマップで城址を確認すると、

城址一帯(緑色の敷地)が猪の鼻のようです。

千葉城の縄張り図を発見しました!!

やはり先ほどの土塁跡の周りが主郭(本丸)にあたるようですが、

正確には千葉氏の館がどこにあったかは不明。。

主郭のあたりから少し離れて撮影してみました。

手前にも石垣、土塁の痕跡が見られます。

そこからさらに少し歩くと、

「いのはな亭」という茶店がありました。

ここで軽食を味わうことができます。

先ほどの縄張り図でいうと、このあたりがⅡ郭(二の丸?)ではないかと。

その茶店から少し離れて再度、撮影。

この右手が主郭(本丸)にあたります。

これにて帰宅します。

天守の外にはそれほど遺構は多く見られませんでしたが、

少なくとも千葉氏の歴史を深く学ぶことができました。

単純に天守に興味がある方、

もしくは千葉の歴史に興味がある方にとってはおすすめできるスポットかと思います。

ではまた!

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