少しの土塁・堀跡を残すのみ。徳川家臣・伊奈氏によって築かれた〜赤山城(あかやまじょう・武蔵(埼玉))
縄張り図はあるが、遺構はほとんどなし。
こんにちは、シンです。
2023年5月31日(水)。
本日は、埼玉県川口市にある、赤山城(あかやまじょう・武蔵)にやってきました
赤山城は江戸時代の初期、徳川の家臣、伊奈氏によって築かれた城です。
ここの駐車場ですが、、
車が1台しか通れないほど、細い道を入っていくことになります
ですので、最初は道そのものを見失い、場所を特定するのに時間がかかりました。
車で訪れる場合は、道の見落とし、対向車とのすれ違いなどに十分ご注意ください。

こちらが、その専用駐車場です。
ご覧のように、道幅がかなり狭いです。。

駐車場手前の道路がこんな感じ。
奥に見える道路から、この脇道に入ってくることになります。

その駐車場の向かいに、小さな公園があるのですが、
近くにこの説明板があります。
赤山城は「赤山陣屋」とも呼ばれていたようです。
埼玉県の指定文化財となっています。

また、駐車場から見える位置に、
この「赤山日枝神社」もあります。

この奥に見えるのが、駐車場の向かいの公園です。

それでは今回も、
Googleマップを頼りに、「赤山城跡」を目指して歩いていきます。

奥に歩いていくと、やがてこの説明板を見つけることができます。
この縄張り図を見る限り、城としての区画はもちろん、ちゃんとあったようですが、
残念ながら、少しの堀跡以外は、遺構がほとんどありません。

こちら、その説明板から近い位置にある堀跡。
自然に埋まったものか、意図的なものか、
堀としてはかなり浅めになってますね。

さらに奥に歩いていくと、このような堀跡(?)らしきものもあります。
これが奥までかなり長く続いているのですが、
逆にこういった遺構がなければ、「城跡」と実感するのが難しいのではないでしょうか。

その堀跡らしきものの隣に、
このような道が続いています。
ずっと奥まで歩いていきます。

その道が途切れたところに、
この「赤山城址」の石碑があります。
ホントにこれ以降も、若干の堀跡以外、遺構らしきものはありません。
「赤山陣屋跡」と祠を探索。

Googleマップで調べると、
さらに奥に歩いていったところに「赤山陣屋跡」と祠があるようです。行ってみます。

ありました。「赤山陣屋」の説明板ですね。
堀の跡や、土塁を越える土橋もあるとか。

だいぶ浅めですが、
確かに土塁・堀の跡がうかがえます。。

なるほど。
当時は、自然の低湿地を外堀として利用していたのですね。
今確認できるのは、人工的に造られた内堀なのでしょう。

そしてこれが、「土塁を越える土橋」なのでしょうか。
にしては、あまりに綺麗で整い過ぎている感じもします。
祠は、この橋を渡った先にあるようです。

左側にずっと竹林が続いています。
こういった階段状の細道こそ、「城跡」らしくていいんですけどね。

祠がありました!
赤山城跡として見るべきものは、ここまでになります。
再度まとめると、堀や土塁の跡を除き、城跡の遺構として特徴的なものはありませんでした。
残念ながら、今回はここまでとします。
ではまたの記事で!