奈良・平安期、蝦夷(えみし)支配の最北端基地〜秋田城(あきたじょう・羽後(秋田))
古代の蝦夷との戦いについて知る。
2024年7月21日(日)。
実家の秋田に帰省して2日目、
地元・秋田の城巡りをするチャンスとばかりに、
今回は秋田県秋田市寺内にある秋田城(あきたじょう・羽後)を訪問🚙
◉城のジャンル
古代城柵
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉駐車場所
秋田城跡駐車場に10台ほどの駐車スペースあり(城跡裏側にも数台分のスペース)
最寄駅:JR土崎駅からタクシー約10分
秋田城は当初、奈良時代の大和朝廷が律令体制を東北の地にも推し進めるべく、
建設した列島最北端の城柵でした。
秋田城は当時の中国である渤海との交易にあたり、
また北方でまだ朝廷の支配下にない蝦夷(えみし)と争ったり、交易したり。。
この当時は秋田は出羽(でわ)と呼ばれ、羽後の国名に変わったのは明治に入ってからのようです。
秋田城跡は、秋田市の土崎港からやや離れた位置にあり、
車で訪れた方がアクセスが良いかと。
最寄駅の土崎駅からはかなり離れています。
Googleマップで「秋田城跡」を目指して辿り着いた最初のポイントがここでした。
秋田城跡のちょうど裏側に該当します。
別アングルで撮影した写真です。
一般道の上に陸橋のようなものが架かっていて、のちほど通ります。
ここにも数台分、駐車スペースがあり、私はここに停めました。
ご覧のように、案内図もあり、
城跡巡りをするのにさほど迷うことはありません。
一般道沿いに数十メートル歩くと、『秋田城跡歴史資料館』に行くことができます。
写真の奥に見えるスペースが、先ほど示した駐車場所です。
まずは、資料館を目指して歩くことに。。
傾斜の緩い坂道を数分も歩くと、
このような看板が見えてきます。
資料館はここを左に入ったところです。
こちらが、その資料館ですね。
この手前にも、10台ほどでしょうか、駐車スペースがあります。
こちらが、資料館の入り口です。
中の受付で観覧料(大人310円、高校生以下は無料)を支払います。
館内にて奈良時代の年表を眺め、
古代の秋田城の歴史について学びました。
蝦夷(えみし)との戦いに明け暮れていた様子が伺えます。
蝦夷(えみし)は蛮族のように思われがちですが、
まだ朝廷の律令支配に馴染まなかっただけで、
秋田のこの地に暮らしていた普通の人々でしょう。
秋田城跡は、もともと古代の城柵として存在していたわけで、
ここ以外にも、さまざまな城柵が建てられていたようです。
戦国時代の城跡とは大きな違いですね。
奈良時代の秋田城の復元模型です。
だだっ広い平地に柵を巡らしただけの、いたって簡素な防御施設です。
戦国時代の城とはまるで違いますね。
当時、秋田城に駐屯していた兵士の鎧までありました。
こちらも簡素な造りで、革脅しのようです。
館内はそれほど広くなく、
これから実際に秋田城跡を探訪します。
資料館入り口を出て、すぐ目の前に矢印板がありますので、
迷うことはないでしょう。
戦国の城跡との違いを実感!!
先ほどの資料館内の復元模型でも確認できましたが、
この当時の城というのは城柵にすぎず、戦国時代の土塁や石垣に覆われたお城とはまるで違います。
実際に、それを体感することになりました。
はい、わかりやすい案内板がここにも。
ありがたいです。
案内板に示された通りに、この道を進んで行くと、、
最初に下から見上げていた陸橋に到達しました。
秋田城跡はこの奥にあります。
秋田城の政治の中心である政庁をまずは検分します。
渤海との外交・交易などもここで行われていたのでしょうか。
政庁跡を遠景撮影した写真です。
中央に、政庁の跡地と思われる遺構があります。
予想以上に、だだっ広いです😬
このように、当時の遺構が発見されていたようです。
貴重な遺構ですね。
それでは、この政庁跡の外観、そして広さを知っていただくために動画を撮影しましたのでご覧ください。
政庁跡のおおよその広さ、規模感が伝わりましたでしょうか?
そして、その政庁を覆っている柵門です。
なんと、荒々しい土壁造りです😳
接近して別アングルから撮影。
そういえば、戦国の山城は土塁が城の防御をなしていましたが、
この時代は平地にこういった土の壁を形成していたんですね。。
その土壁の最下部を撮影しました。
土肌が崩れています。
ホント、指先でこすると、崩れ落ちてきそうな。。
戦国期の城跡との違いを実感しました。。
外郭には立派な城門があり、古代の水洗トイレまで!
政庁跡を検分し、
続いて秋田城の外郭側に向かいます。
戦国期の城でいえば、外曲輪のようなイメージでしょうか。
政庁の門を抜けると、
このように奥まで続く広い路地が。
”古代の城跡”って、こういうイメージなんでしょうか。
門を抜けたところには、
このように復元模型が複数展示されていました。
こうして復元模型を見ていると、
先ほどの政庁跡も、なんとなく当時の姿をイメージできそうです。
そこからずっと奥に進んでいくと、
一般道を挟んで、奥に外郭が見えてきます。
この横断歩道を渡って奥へ、、。
鵜木(うのき)地区とも呼ばれている、外郭にやってきました。
目の前に見える城門がたいそう立派です。
ここにも復元模型図があり、これを見ると、、
どうやらここにある城門は、秋田城を覆う壁(柵)の出入りを管理していたようです。
『外郭東門』とあります。
これまでの経緯や模型を見ると、この城門内部が外郭、ということでしょうか?
ともあれ、あまりに立派な造りでしたので、ここも動画撮影しました。
ご覧ください。
このあたりも、かなり広いですよね。。
そしてこの朱塗りの門の造りの見事なこと!
『外郭東門』の先には、開けた敷地が!!
今は公園としても利用されているようです。
下に降りていくと、このような休憩所があるかと思えば、、
中には、なんと古代の井戸が。。
水が満々と。。
井戸跡を通過して、
公園内を奥に進むと、ここにも建物群の跡がありました。
『木の実園』??
ひとまず、行っています。
う〜ん、これがそうなんでしょうか。
とりあえず、外郭の端にきたようです。
外郭の端から振り返って眺めてみると、、
建物群の跡がよく見えますね。
ここも動画撮影しました。
ここが一番広いでしょうか。。
全てこの跡地に建物が建っていたとすれば、それなりに壮観だったかと。。
次に、”古代の水洗トイレ”があったと言われる場所へ。。
これがその入り口です。
公園内にある公衆トイレと比較しても全く見劣りしませんね。。
中はちゃんと区切られていて、
どこまで復元したものか不明ですが、、立派ですね。
簡易的な蓋、そして水入れの甕まで置いてます。
さすがに、、この上に被さっているプラスチック製のものは当時のではないでしょうが、、
奥に流れていくように見えますね。
そしてこのトイレの裏側に回ってみると、、
流した先も、しっかり整備されているようです。
いや〜、戦国期のそれがどの程度だったかは知りませんが、
古代でこれだけ水洗トイレを設けていたのはちと驚きでした。。
最後に「護国神社」に詣でて帰路へ。
外郭も含めて、秋田城跡の検分はこれで終わりますが、
実は隣に秋田護国神社もありますので、
合わせて参拝していきます。
もときた道を外郭東門目指して戻り、、
先ほど渡ってきた一般道を横断して、秋田城跡のすぐ右手に、
護国神社があります。
大きな鳥居もありますので、
すぐに分かるかと思います。
いかにも神社の参道といった趣があります。
1分ほども歩くと、石段が見えてきます。
その石段を上ると、奥に神社本殿が。
神社ではまず存在する手水場(ちょうずば)で身を清めます。
龍の口から流れる清水で手を清め、口をすすぎます。
秋田護国神社の本殿です。
壮観ですよね〜。。
しっかり参拝してきました。
城跡を訪れると、いつも口癖のようにいうのですが、、
このアングルがすごく好きです😊
建築美というものを感じます。。✨
参拝を終え、これにて秋田城跡の探訪を終えます。
古代の城柵、そして護国神社、良き思い出になりました。
また、古代の歴史についても大いに勉強になりました。
では、またの記事で!