土塁に空堀、虎口に帯曲輪、武者走りまで!鮮やかに目に飛び込んでくる遺構の数々は見事の一語に尽きる!〜島崎城(しまざきじょう・常陸(茨城))
予想以上の防御施設にびっくり!!
こんにちは、シンです。
2023年5月21日(日)。
この日は二つ目の城巡りとなります、茨城県行方郡の島崎城(しまざきじょう・常陸)へ。🚙
築城者の島崎氏は佐竹義宣に謀殺されて落城。
そういう意味では、同じ日に訪れた鹿島城と同じ運命をたどっています。
鹿島城についての記事はこちら👇
鹿島城と同じく、楽に検分できるかと甘く見ていたのですが、、
◉城のジャンル
平山城(ひらやまじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉駐車場所
専用駐車場におよそ5〜6台分ほどの駐車スペースあり
ホント、甘く見ていました。。
駐車場を見つけ、その近くにあった縄張り図を見た時、、
本丸、二の丸、三の丸までしっかりと存在し、
しかも曲輪の数も多い!
城好きな人間としては本来、泣いて喜ぶほどのしっかりとした造りなのですが、😭
『サクッと回ってさっさと帰ろう。』ぐらいに不謹慎に思っていた自分に天罰が下ったのか、、
『よし!ここまで来たんだ!見てやろうじゃないか!』と逆に火がつきました🔥🔥🔥
ですが、その燃え上がる炎🔥も山を巡っているうちにどんどん弱くなっていきました。😓
その理由についてはのちに詳しく。。。
いきなり本丸から二の丸へ、そして虎口・土塁を検分!
まず驚かされたのが、、
本丸に到達するための急傾斜な石段でした。
この写真だけだと、正直、どれだけ傾斜がやばいか伝わりづらいですが、
油断すると、のけぞって転落しそうなほど。。
こちらが上から見下ろした写真です。
少しは傾斜のキツさが伝わるでしょうか。。
鳥居をくぐって、本丸付近にあった神社跡へ。
こちらが本丸、もとい、一の曲輪です。
本丸の土塁あたりには、このような供養塔まで。
この城山には、このような縄張り図がいたるところにありまして、
ざっくりと位置関係を掴むことができます。
これらの案内板がまったくなかったとしたら、、
『今のこの場所は城でいうところの、どこに該当するのだろう??』
などと、途方に暮れたことでしょう。。
本丸(一の曲輪)の出入り口は、このように虎口(こぐち)になっていて、
左右を土塁に囲まれ、敵兵は容易に侵入できないようになっています。
虎口(こぐち)については、以下の記事も参考にどうぞ。
ここで、虎口(こぐち)付近を撮影した動画をご覧ください。
本丸からこの虎口(こぐち)を出て、
次に向かったのが水の手曲輪です。
ご覧のように曲輪内に井戸の跡もあり、
まさに水の手(水源)を確保していたようです。
そして近くには堀や、また別の虎口(こぐち)もあり、
最終的に二の丸(西二の曲輪)まで。
これだけ防御施設がはっきり残っているのも驚きというか、見ごたえ十分です!!
三の丸を検分、物見台の高さも十分!!
続いて今度は三の丸、物見台へと足を向けます。
ここでも虎口(こぐち)を通過していきます。
虎口(こぐち)とは、このように道が折れ曲がっていて、
敵兵の侵入を容易に寄せ付けない造りをしています。
途中、帯曲輪(おびくるわ)もありました。
帯曲輪(おびくるわ)については、佐倉城が典型的なものを残しています。
またしても虎口(こぐち)!!
これだけでも、この島崎城の防御がいかに固いか、よく分かります。
しかし、まだまだこの先に恐ろしいものが、、。
この、人が一人やっと通れるほど狭い道。
実はこれ、、
なるほど、武者走りだったのですね。
武者走りとは、、城兵が急な連絡を告げるために使った通路のことをいい、
主に山城では裏手側に設けられることが多いようです。
ではこの武者走りから、物見台へ登っていく様子などを動画でご覧ください。
物見台、結構な高さだと思いませんか?
これくらいの高さがあれば、たとえ敵兵が押し寄せても、
周囲の状況は丸わかり。対策も打てそうです。
さ、どんどん次にいきます。
先ほどの物見台を降りて、
この坊主屋敷を通過、右手にある三の曲輪を目指します。
それからほどなく、三の曲輪に到達しました。
ここはご覧のように、今は鉄塔が立っています。
恐怖で帰りたくなるほど深い大堀。。。
この三の曲輪から近くの大堀を覗くことができるのですが、、
ここが少し怖かったのです。。😱
三の曲輪を奥に進んでいくと、
大堀という掲示が。。
三の曲輪を覆うように長々と続く土塁を進んでいくと、、
この位置から大堀を眺めることができるようです。
これがその場所から下を眺めおろした図なのですが、、
いまいち高さは伝わらないと思います。
実際には、けっこう足がすくむほどでした、、。
一度下に降りていき、
下から大堀の中を進んでいきます。
入り口はこのような感じ。
まだまだ序の口ですよ。。
半ばごろまで歩いてきました。。
このあたりで、想像もしていなかった”恐怖”が私を襲いました。
実際にはまだ外は明るかったのですが、
周りを深い(高い)堀というか、竹林に囲まれて薄暗く、、
こんな山の中を歩いているのは自分一人。。
(田舎でしょうし、この山中では誰も見かけませんでした。)
蒸し暑さもあって疲労が蓄積し、言いようのない恐怖が襲ってきたのです。
ところどころに見られる縄張り図がなければ、もっと迷いやすくなっていたでしょう。
『早く帰りたい。。』
純粋にそう思いました。
それでは、この大堀が深いだけでなく、いかに長いか、動画でご覧ください。
どうでしょう?
大堀が深いだけではなく、いかに長いことか、、
こんなところを一人でずっと歩いていると、
ふと寂しさに襲われますよ。。
最後に、東二の曲輪から馬出し曲輪を経て帰投。
大堀を歩き、疲労もかなり増していたので、
最後に東二の曲輪、そして馬出し曲輪を見て帰ることに。
各所にある縄張り図を頼りに、
東二の曲輪に向かいます。
ここがもう一つの二の丸、東二の曲輪です。
ここもそこそこ広い敷地でした。
この東二の曲輪を覆うように続く土塁の上へ。
そして反対側は土橋につながっていて、その先をいくと馬出し曲輪、
さらにその先が、最初に通った一の曲輪(本丸)へとつながります。
ではその道の流れを動画でどうぞ。
これで島崎城の探索を終わります。
山中に縄張り図がなければ、それぞれの曲輪の位置関係も分かりにくかったでしょうし、
とっくに迷って、来たことを後悔していたに違いありません。
それでも、この城の防御施設がいかに優れているか、
思う存分味わうことになりました。
やっぱり、本やWebでの情報ばかりに頼るのではなく、実際に来て、歩いてみるのが一番ですね。
ではまた!!