井楼矢倉に角馬出、比高二重土塁を備える、土城マニア必見の城跡〜逆井城(さかさいじょう・下総(茨城))
まず目に飛び込むのが、存在感のある二層櫓
みなさん、こんにちは、シンです。
2023年7月9日(日)。
外にいると嫌でも汗が噴き出る真夏日に、”城攻め”しちゃいました
茨城県坂東市にある、逆井城(さかさいじょう・下総)です
近くまで行くと、『逆井城跡公園』の看板が見えたりしますので、
まずそこまで迷うことはないかと思います。

こちらが逆井城跡公園の駐車場です。
この写真の右側に城跡があります。
というか、駐車している時点から、櫓などが見えます

これが城の縄張り図です。
縄張り図というほど、詳細な情報はありませんし、単なるイラストに見えますが、
それでも城跡のおおよその見取り図ということは言えます。
逆井城は当初、逆井氏が築城、
戦国時代には北条氏が支配するところとなり、支配後の別名を飯沼城とも。
北条氏が築城し直したということもあり、ところどころに北条流築城技術が垣間見えます。

さっそく目の前に姿を現した遺構の数々。
手前に見えるのが二層櫓。そして左奥に見えるのが井楼矢倉(せいろうやぐら)です。
それではいきなりですが、このあたりの様子を動画でご覧ください。
手前に見える空堀も結構な深さで、
それだけでも目を奪われます。。
そして堀の上にかかる見事な橋。
ここからまずは、二層櫓を検分にまいります

うん、見事な構え。
戦国時代の櫓は、城によっては半ば以上、天守の代わりともなっていたようです。

これが、門の内側から見た橋の様子です。
すべてしっかりとした木で形作られ、これだけでも見ごたえ十分と思えてしまいます。

正面から見た二層櫓です。
中に入ることもできます。
せっかくなので、靴を脱いでお邪魔します!

二層櫓の中はこのような造りになっています。
ここも動画に収めましたので、ご覧ください。
ご覧のように、中は結構な広さがあります。
割と角度が急な階段が上まで続いていて、気をつけないと足を滑らせそうな。。
最上階まで登ってみましたが、木窓は残念ながら動かせませんでした。

木枠から外の空堀をのぞいてみた写真です。
こういったアングルを楽しむこともできます。
これまた高さのある井楼矢倉(せいろうやぐら)にも登ってみた!!
二層櫓の検分を楽しんだあと、
続いて同じ塀沿いにある井楼矢倉(せいろうやぐら)にまいります

二層櫓から右に、塀沿いに進むと、すぐに井楼矢倉(せいろうやぐら)が見えてきます。

ここもまた、結構な高さですね。。
この上にも登ってみます

この説明板にもあるように、
戦国当時の矢倉は、のちの天守閣の前身とも言えるもので、
高所から敵味方の動静を探るだけでなく、城における象徴的な役割(シンボル)も含まれていたようです。
ここに登る様子も動画でご覧ください。
下から見上げた時もそうでしたが、
上まで登ってから下を見下ろすと、
なおさら高さを感じることと思います。
これなら、敵味方の動きを把握できますね。

一番上に登ったところの写真です。
この板は敵兵の矢から身を守るためのものでしょうか。
本丸ともいうべき主殿に前身!!
ここから城跡の外郭沿いに進んでいき、
ぐるっと回って二層櫓の隣にある主殿に前身します。
城の本丸に該当するところ、ですね。

井楼矢倉(せいろうやぐら)を降りて、
土塁が広がる道を進んでいきます。
この城跡は、本当に土塁がしっかりと周囲に張り巡らされています。
この土塁たちを眺めるだけでも、城マニアにはたまらないと思います。

土塁の上に登ってみた様子です。
外側(写真の左側)から攻め登るには結構な高さがあることが分かります。

土塁を奥まで進んでくると、
このような、虎口(こぐち)のようなものに遭遇。。
虎口(こぐち)とは、、
城兵が城内に入る小さめの出入り口で、敵兵が侵入しにくいように、
道幅を狭くしたり、左右の土塁の上から狙い撃ちしやすく工夫した防御施設です。

そこから、道沿いに少し登ってくると、

道を右に折れたところで、最初の二層櫓の前に出てきます。
主殿は、その手前にあります。

このように立派な構えの城門を通過し、
主殿の中に足を踏み入れていきます。
ここの様子も動画でどうぞ。
二層櫓との位置関係がよく分かるかと思います。
庭の造りも、京都を思わせるような感じがして素晴らしいです
ご覧のように、戸板は開けることはできますが、開けたところで何も見られません。。
北条氏の代表的築城技術である角馬出から二の丸へ!
主殿を検分した後は、
さらに公園の奥の方へ進んでみます。

ここには何も説明板らしきものがなかったのですが、
この形状から考えて、ほぼ間違いなく、
北条氏が得意とする築城技術、角馬出(かくうまだし)でしょう。
角馬出(かくうまだし)とは、、
敵兵が細い道を伝って城内に侵入してくるところを迎撃するため、
城兵がその準備を整えやすくした防御施設のことです。
いやぁ、これだけ形がくっきりと残っていると、見ごたえありますね。。
ここの様子も動画に収めました。ご覧ください。
最初に二層櫓が奥に見えますので、これでおおよその位置関係もお分かりかと思います。
そして角馬出(かくうまだし)の手前に見える細い小道。。
敵兵がここから侵入してくるところを、
この角馬出(かくうまだし)で待ち構えて一気に迎撃しようというところでしょう。
周りを囲む空堀もくっきりと残ってますね。

それでは、先ほど見えたこの小道を通って、さらに奥へ。。

小道を通ってくると、木々に囲まれた、やや広めの場所に着きました。
奥に祠のようなものがありますし、主殿(本丸)との位置関係から推察するに、
ここはおそらく二の丸(二の曲輪)に該当するところでしょう。
ここの様子も動画でご覧ください。
すぐ近くには、またも櫓のようなものが見えます。
その方向に前身してみると、、
橋が渡してあり、割と深めの空堀がありました。

こちらがその橋です。
かなり立派な造りですよね。。
この下に空堀が見えます。

ご覧のように、ここもしっかりと空堀の跡が残ります。
公園の奥に、このように防御施設が見られるとは。。
城跡の”穴場”って、こういうところをいうんですよ。いや面白い!!
三の丸、そして比高二重土塁に感動!!
先ほどの橋を渡り切ったところに、
さらに大きな広場がありました。

ここも特段、説明板らしきものはありませんでしたが、
これまでの主殿、二の丸との位置関係から考え、ここはおそらく三の丸(三の曲輪)と思われます。

そして奥にはまたしても土塁の跡が。。
ここまで防御施設を見せつけてくれるとは、、ありがたいです。

三の丸(三の曲輪)(あくまでも推測)を北側の奥まで進んでくると、、

このように開けたところに。。
目の前にあるのは飯沼でした。
逆井城の北の防衛ラインですね。

そこから南側に歩いていくと、
ここもある程度の広さがあります。
しいて言えば、”外曲輪”とでも言いましょうか。。

少し歩くと、このような説明板を発見しました!!
比高二重土塁!?
初めて目にする防御施設です。
いや驚きました。。
北条氏はまだまだこのような築城技術を持っていたのですね。。
この比高二重土塁の様子も、動画でご覧いただきたいと思います。
確かに、、
手前の外側の土塁に比べて、奥の内側の土塁の方が若干高めです。
最も、戦国の当時はこれよりもっと高さがあったのでしょうが。。
ここもまた、土塁の跡がくっきりと残り、驚きと感動ばかりです!!

さらにさらに!!
横矢掛りという、城兵の防御戦法まで紹介した説明板もありました!
横矢掛りそのものは知っていたのですが、
こうして改めて紹介したものに遭遇すると、やっぱり嬉しくなりますね、城マニアとしては。。

木々に隠れて、奥の橋が見えづらいですが、、
この土塁上に登り、敵兵が橋を渡るところを側面から弓矢で狙い撃ちにするのですね。
次に、この空堀の中を歩いてみました。この様子を動画でご覧ください。
今ではだいぶ土が埋もれているので、そこまで高さはありませんが、
戦国当時は両側の土塁ともにかなりの高さがあったはずです。
まあ、これだけ形が残っているだけでもありがたい話ですが、、。

それでは最後に、この橋を渡って帰ります。
敵兵が順に、本丸を目指して攻め寄せていくイメージですね。

右側に見える三の丸(三の曲輪)と思われる広場を横目に見ながら、、

角馬出のある場所まで戻ってきました。
この角度から眺める馬出もまた見事です。

最後の最後に、二層櫓を見直し、逆井城とはお別れしたいと思います。
いや正直、この手前に目立つ二層櫓や井楼矢倉(せいろうやぐら)に目を奪われていましたが、
さらに奥の方に、とてつもない北条氏の防御施設が隠されていましたね。。
これだから、公園内の城跡は侮れないですし、絶対見落とすべきではありません。
一見、ただの公園の広場のようでいて、実は奥の方に、城跡の遺構が残っていたりします。
他に、似たような”隠れ城跡”としては、千葉県の国府台城(こうのだいじょう)があります。
こちらも一見、ただの公園なのですが、奥側に立派な石垣や土塁が隠れているんです。
ではでは、またの記事でお会いしましょう!!