結晶片岩の石積みを防御施設に利用した急峻な山城〜小倉城(おぐらじょう・武蔵(埼玉))
予想以上の急峻な山城だった!!
城巡りを趣味とする皆さん、こんにちは、シンです。
2024年9月26日(木)。
本日は埼玉県比企郡にある小倉城(おぐらじょう)に攻め寄せました🔥
◉城のジャンル
連郭式山城(れんかくしきやまじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉アクセス
小倉城跡に10台ほどの駐車スペースあり
最寄駅:東部東上線武蔵嵐山駅からタクシー約10分
この小倉城は、戦国時代、北条氏の家臣である遠山氏の居城だったとか。。
築城時、この山から出土した天然の結晶片岩を石塁として巧みに防御施設としているのが特徴です。
アクセスなんですが、、
最寄駅の武蔵嵐山駅からはタクシーで約10分ほどとやや遠く、
可能であればお車かバイクなどで直接、小倉城跡駐車場を目指すのをおすすめします。
ここがその、小倉城跡駐車場になります。
Googleマップなど、ナビを活用すれば難なく到着できるかと。。
駐車場の敷地はご覧の通りです。
少なめに見積もっても、10台ほどは駐車できるかと思われます。
駐車場付近にあった案内板です。
1周約3キロ、だったらまあ余裕だろう、と、甘く考えてたのが、
のちに後悔する要因になります😅
ここを攻める際は、本格的な登山のつもりで服装や装備を準備されますよう。。
乗合タクシーも出てるんですね😳
こういった市町村単位での車利用の整備が進めば、もっと日本の交通事情はよくなるだろうと思います。
さて、駐車場の奥にある平屋建ての建物を右手に進むと、小倉城跡の入り口が見えてきます。
(※手前にはトイレもあります。)
こちらですね。
ここから登って行きます。
さあ、攻めるぞ🔥!!
と、このあたりまでは意気揚々と登っていたのですが、、
『おっ!?』
少し木の根が目立ち歩きにくく、少し登りにくさを感じ始めました。。
見てください。この傾斜、お分かりでしょうか?
普通に勢いよく登っていたら息切れするほど、急勾配な山道です。
ここは慌てず、ゆっくり少しずつ登ることをおすすめします。
本格的に登山する心づもりで。
最初に、山腹を覆う腰曲輪から検分!!
ここまで傾斜のキツイ山城とは夢にも思わず、
全く登山の準備してませんでしたが、
(知っていてもそもそも準備するものがない😅)
せっかく来たからには、めげずに攻め上ります✊
さて、郭1はこちら、という矢印版を発見しました。
こういうのがないと、ホント、こんな山の中では確実に迷子になってしまいます。
ありがたいことです。
最初の郭(防御区画)を目指して前進します。
少し歩くと、、ありました!!
上の城郭構成図で赤く示された箇所、ここは腰曲輪なんですね。
腰曲輪(こしぐるわ)とは、、
山腹を平らに削った防御スペースであり、
山を攻め上ってくる敵兵を上から撃退するための防御施設です。
その腰曲輪がこちらですね。
この写真では分かりにくいですが、
ここに結晶片岩があります。
この山の天然の石材をうまく利用してます。
そしてこの腰曲輪を抜けた先には、、
本郭(郭1)があります。
今見えているのが、虎口(こぐち)ですね。
虎口(こぐち)とは、城兵の曲輪への出入り口であり、
敵兵の侵入を防ぐとともに、迎撃しやすいよう、至る道は細く折れ曲がるように、
しかも山城では傾斜を設け、敵兵の進軍速度を鈍らせるように工夫されています。
その虎口(こぐち)を反対側から撮影してみました。
左奥に、先ほど通ってきた腰曲輪が見えます。
こうみると、腰曲輪が山腹に、山頂部を覆うように造成されているのが分かるかと思います。
虎口など、至る所に見られる結晶片岩!
この小倉城の特徴として、天然に出土する結晶片岩があることはすでに触れました。
ここでは虎口(こぐち)などで、よく目にすることができます。
本郭(郭1)への出入り口です。
典型的な虎口(こぐち)の形をしています。
虎口(こぐち)を形成する土塁に、結晶片岩を見つけました!
小倉城は、このように片岩を”石積み”して、石塁を築いていたようです。
近世城郭の石垣に似た防御施設ですね。
ここは北虎口だったようです。
北の方角にある虎口、ということですね。
城跡の中心部にはこのように、複数の虎口(出入り口)を設けることが多く、
各方角に造ったので、このような名称になっています。
その北虎口を内側から見たアングルです。
城兵は、攻め上ってくる敵兵を、左右の土塁上から射撃して迎え撃ったことでしょう。
写真の右側にも少し登れるところがあります。
ここも一段高くなっていて、おそらく土塁だったのだろうと推察します。
ここから、すぐ真下に、先ほど通ってきた腰曲輪を確認できます。
腰曲輪と本曲輪の関係性をお分かりいただけるでしょうか。
そして同じ位置から、遠くの山並みを見渡すこともできます。
ここには城の見張り台が置かれていたのではないでしょうか。
敵兵の侵攻を監視するには絶好のポイントな気がします。
そこから、このように真っ直ぐ土塁が本郭を覆うように続いています。
はい、本郭(郭1)の中心部です。
小倉城跡の石碑も確認できます。
それでは、この本郭(郭1)の全景を確認してもらうべく動画を撮影しましたのでご覧ください。
この本郭の広さがお分かりいただけるでしょうか。
中心部は少しだけ高く造成されています。
石碑のすぐ下に、縄張り図がありました。
これから他の郭を検分するため、位置関係を把握します。
城の搦手にある『枡形虎口』もお見落としのないように!!
さて、本郭(郭1)の検分を終えたところで、
他の郭も見て回ろうと思いましたが、そういえば、
城の搦手側(裏口)がさっき少し見えていたことを思い出しました。
気になってたんですよね。。
もう一度、北虎口を出て、今度は搦手側を見て回ります。
(※特に表記はなかったのですが、各郭の位置関係から、おそらく城の裏側に相当するだろうと考え、勝手にこのように推測しています。)
北虎口を出て左側に(最初に通ってきた腰曲輪と逆方向に)行くと、
すぐに『枡形虎口』の説明板が目に止まりました。
まさしく、枡形のような形状で、右奥に道が折れ曲がっています。
敵兵からすると、角張った区画の中に押し込められそうなイメージを抱いてしまいます。
その折れ曲がった先の道がこのように、、、。。
完全なる虎口ですよね。
敵兵はここまで攻め上ってきても、
四角く折れ曲がっているので、その先の城兵の動きは見えないでしょう。
城兵からしたら、ここを”敵兵必殺のキルゾーン”としていたことでしょう。
今度は逆に、攻める敵兵のアングルから。
こう見ると、やはり『枡形虎口』は直角に二度折れ曲がっているので、
左上の先にいる城兵の動きは全く見えません。
完全に死角になっていますよね。。
城の搦手(裏口であろうと推測)の道はこのように続いています。
先ほど見た縄張り図でもさりげなく表記されていましたが、
この先に二重堀切がありました。
(※この写真ではかなり見づらいですが。。)
堀切とは、、
敵兵が土塁や空堀を避けようと、山腹の側面に回り込もうとするのを防ぐため、
山腹に縦に(垂直に)削り落とした堀で、敵兵の横移動を妨げる役割を果たしていました。
それでは、ここまでの各郭や防御施設の位置関係をおさらいできるために、
動画をまとめてみました。
腰曲輪〜搦手側の枡形虎口〜郭1の北虎口の様子をご覧ください。
各防御施設の位置関係をお分かりいただけるでしょうか?
郭3の先には『堀切』が待ち構えていた!
また郭1にいったん戻り、今度は郭3を検分に行きます。
先ほどの縄張り図を拡大してみると、、
郭1の東虎口から行けるようです。
ここが、郭1の東虎口です。
この先に、郭3があるはず。
東虎口を出てすぐ、このような橋板がありました。
『使用禁止』とありますが、、
すいません!記録を残すため、あえて渡らせていただきます。
(※後日、問い合わせなどございましたら当ブログの『問い合わせ』ページより受け付けます。)
その橋板の上から下を見下ろすと、、
これは!堀切ではないですか!?
敵兵が山の尾根沿いに登ってくるのを防ぐため、
このようにズバッと、深く掘って侵入を断ち切ったものでしょう。
このような橋板がなければ、敵兵はここで立ち往生していたはず。。
下に回り込んでみると、やはり!
思った通り、堀切でした。
にしても、見事にズバッと切り落としてますよね。。
切り落としがあまりに見事だったので、接近して撮影しました。
この岩肌、最前から紹介しています、結晶片岩らしきものが見えます。
ここの堀切の様子は動画でも撮影しています。ご覧ください。
岩肌にそれと分かる結晶片岩。
荒々しい、天然の要害と言いたくなります。
その堀切から少しだけ下ったところに、この郭3がありました!
敵兵からしたら、この郭3を仮に攻略できたとしても、
そのすぐ先に、先ほどの堀切が待ち構えているので、そこで進軍速度がまた鈍ることになります。
郭3の検分を終え、
また郭1の東虎口まで戻ってくると、、
この東虎口にも、はっきりと分かるほど、結晶片岩を石塁として利用していました。
ホント、至る所にこういった天然の石材を見ることができるのが、この小倉城の特徴です。
次に、郭2〜郭4と見て行きます。
郭2はこちらの方角になります。
先ほど通過した東虎口の反対側、今度は南虎口から向かいます。
ここ、郭1の土塁にも石積みの遺構を確認できるようなのですが、、
近づいて目を凝らしてみても、
それとはっきり分かるところは見当たりませんでした。
草が生い茂っているから、というのもあるでしょう。
その土塁の上に登って郭2の方角を見下ろしてみると、
下に通る道がはっきり見えます。
ここも視界が良好なので、敵兵の侵攻を監視するには良いポイントだったことでしょう。
それでは、この南虎口を通って、郭2に向かいます。
この南虎口を出たところも、このように、
道が下に折れ曲がっていて、防御に工夫が見られます。
南虎口のすぐ先に、郭2がありました。
ここもそれなりに広いです。
郭2は、右奥に折れ曲がるように続いています。
その奥まで来てから振り返り、あらためて郭2を撮影。
L字型に折れ曲がるような造りになっています。
目を見張るほどの『大堀切』が現れる!
郭2まで検分を終えましたので、
その先というか、下にある郭4を検分に行こうと思います。
さっき、郭1から見下ろしていた、この道を通って郭4へ向かいます。
この写真の右側が郭2になります。
この箇所の造りも、何やら腰曲輪のようにも見えます。
その先を歩いて行くと、いきなり目の前に、こんな大きな堀切が姿を現しました!!
なんと深く長い!
この説明板によると、
なるほど、これは大堀切と呼ばれていて、
左下のイラスト図のように、郭2と郭4を隔てる横堀からクランク状に続く形で、
この堀切が敵兵の横移動を妨げているわけですね。
再び、その大堀切を。
これは、この小倉城では最大と言っていいほどの防御施設なので、
動画でもご覧ください。
いかがでしょうか?
大堀切から上側は、郭2の手前の横堀につながっています。
少し引いて撮影。
写真の左側に大堀切が下に伸び、真ん中の通路を挟んで右側に、
クランク状に今度は写真の奥側に横堀が伸びていることになります。
そしてこの道を真っ直ぐ奥に進むと、郭4につながります。
その道を挟むように、上下に少し斜めに郭4が展開しています。
さらに道を奥へ進めば、郭5にもいけるかと思ったのですが、、
その先に歩いて行くと、
どうやら麓付近まで降りてしまうようです。
郭2から郭5の方角へ道が伸びていた!
実はここでかなり迷走してしまうのですが、、
郭5にはどういけば?と郭4の付近を行ったり来たりを繰り返してました。。
ここで再度、縄張り図を拡大して確認すると、、
郭2の下に細い道が伸びていて、その先が郭5につながっているようです。
というわけで、一旦郭2に戻ります。
郭2の下側の道まで戻ってきました。
どうやら、縄張り図で見る限り、この辺りに道があるはず。。
ありました!!
道が下に細く伸びています。
おそらく、郭5はこの下にあるのでしょう。
『郭5はこちら』のような表記や矢印版などが全くないため、
正直、歩きながらかなり不安でした。
なんか、とんでもないところに行ってしまうのでは。。と、、。
少し下に降りて行くと、
奥に何やら表示板らしきものが見えます。
かなり開けた区画だし、ここがもしや?と思い進んでみると、、
やはり、そうでした!!
ありました、郭5が。
平たくならされた区画。
ここも城兵にとって敵兵から城を守る防御スペースだったのでしょう。
今度は逆に、下から上へ見上げるように撮影。
少し区画が階段状になっていますね。
にしても、、もう少し分かりやすく表記して頂かないと、
おそらくほとんどの登山者は、ここに辿り着けないのではないでしょうか。。
さて、みるべき郭は全て検分を終えたので、
またもときた道を引き返して郭2に戻ってもよかったのですが、、
せっかくここまで降りてきたので、いっそ麓まで降りてやろうと思い、さらに下へ下へ。。
そして激しく後悔することになります。
まずは、本当に最初の駐車場に辿り着けるのかという不安。。
その不安も、進むにつれて陽の光が差し込んできたので解消されたのですが、
その先には大きな蜘蛛の巣がいくつも立ち塞がり、私の心を容赦なくへし折っていきました😭
いや、登山の当初から、木と木の間を通るたびに、蜘蛛の巣が身体にまとわりついてたんですよね。。
ここにきていい加減、『もう勘弁してくれ〜』と心で泣きそうになってました。。
それでも最後だからと腹を括り、、
そしてようやく、一般道まで出てくることができました。
出たところは、最初の駐車場からは少し離れた場所でしたが、
このような表記もありましたので、無事に戻ることができました。
いや〜今回の登山は最初に急勾配の坂道で息を切らし、
途中、何度も蜘蛛の巣を振り払い、それなりに大変でしたが、
得るものも多かった印象です。
他の城跡では見られない結晶片岩を利用した石塁、枡形虎口、そして大堀切。
戦国期の山城らしい、工夫を凝らした防御施設をたっぷり検分させてもらいました。
この埼玉県比企郡とその周辺には、他にも名城がたくさんあります。
以下の各リンクからご確認ください。
では、またの記事で!!