二重土塁・二重空堀、敵兵を惑わせる二重の枡形虎口を備えた秀逸な構造を持つ平山城~並木城(なみきじょう・下総(千葉))
畑地の奥にひっそりと佇む堅固な平山城。
2026年3月8日(日)。
この日、3つ目の検分先として訪れたのが、
千葉県香取郡にある並木城(なみきじょう)です🏯

◉城のジャンル
平山城(ひらやまじろ)
◉文化遺産としての見どころ
◉防御施設としての見どころ
◉アクセス
近くに専用の駐車場なし
JR総武本線飯倉駅よりタクシー約10分
この並木城には専用の駐車場はありませんので、
おすすめとしては近くにある「道の駅多古あじさい館」に駐車し、
そこから歩いて現地に向かうのが良いかと。
直線距離にすれば、およそ500メートルですが、
平山城のため、城跡のふもとをぐるりと回り込むようにしていかねばなりません。
ですので、体感的には1kmほどはあったでしょうか。。
道の駅にただ車を停めるのは、ちと非常識でしょうから、
何かしらお土産を購入していきましょう。
多古町(たこまち)といえば、ご当地米、「多古米(たこまい)」などが有名ですから、
観光がてら立ち寄るのをおすすめします。

これは、同じく多古町にある志摩城(しまじょう)を訪れた時に確認した案内板なのですが、、
ここで初めて並木城の存在を知ることになったのです。
これを見た瞬間、
「せっかくすぐ近くにあるのだから、行くしかない!」と決意。
城巡りの良さは、現地で思わぬ”新情報”を得られることにあると思います。

Googleマップを頼りに現地に来ると、、
台上の畑地の奥にひっそりと佇んでいました。

マップを見ながら細い農道のようなものを進んでいくと、
いつの間にか眼下に「日蓮宗光明寺」というお寺が見えます。
「道の駅」を起点としたら、このお寺の麓の道をぐるりと回り込むように歩いてくることになります。
この高さからしても、この並木城は平山城(ひらやまじろ)であることが分かります。

その「日蓮宗光明寺」を横目に、畑地の農道らしき道をまっすぐ進んだ先に、
城跡が見えてくるわけです。
城跡の案内板が良き目印になっていますね。

こちらが案内板に記載のあった並木城の説明文です。
南北朝期にすでに、これだけ戦術的な城があったことに驚きました。。
「二重に造られた土塁と空堀」、「枡形虎口を2箇所有する」
これだけでも十分見応えのある城跡と言えるでしょう。
二重の空堀と土塁にしばし目を奪われる。。
この城巡りブログ内では何度も多様している表現ですが、
まず二重の空堀・土塁に目を奪われました。

案内板の右下に「おすすめコース」なるものが記載されていましたので、
まずは素直にこのルートで検分して参ります。
まずは①土塁②空堀からですね。

案内板のすぐ右手に「並木城跡」の標柱があり、
こちらの道から内部に進むことができます。
道のすぐ左側が空堀になっています。

二重空堀の、まず外側の空堀から。
写真の奥に、先ほどまでいた案内板が見えます。
空堀は年月の経過とともに自然と埋まり、だいぶ浅くなっているものと思われます。

この位置から、少し奥の方を見渡すように撮影。
手前に土塁があり、さらにその奥にもう一つ、少しだけ高い土塁があるのがお分かりでしょうか?
これを見て、北条氏の固有築城技術である、「比高二重土塁」(ひこうにじゅうどるい)を思い出しました。
高さの異なる土塁を二重に設け、敵兵の進軍を効果的に阻む防御施設ですね。
おそらく偶然の産物と思われますが、
南北朝時代にすでにこのような戦術的な施設が構築されていたことを考えると、
先人が考えることは自然と合致してくるのかなとも。。
「比高二重土塁」(ひこうにじゅうどるい)については、
以下の逆井城(さかさいじょう・茨城県)の記事もご参照ください。

その二重空堀を横目に、道なりに進むと、
その先に土橋のようなものが見えてきます。

ここで、土塁の前にこのような説明板がありました。
まさしくこの説明の通りで、中世期に、
これだけ空堀・土塁の遺構がはっきり残っているのは珍しいのではないかと。。
それだけ、この城跡は貴重な存在ということです。

こちらが、二重空堀の、奥側(内側)の空堀です。

堀の内部に、「空堀」と標柱が建てられています。
こういう標記が充実している城跡は分かりやすくて助かります。
物見台は城内四周を見渡せる戦略上の要地にあり!
二重空堀・二重土塁を一通り検分したところで、
次に物見台を検分に行こうと思います。

二重土塁の奥側にさらに土塁があり、その土塁の上が歩けるようになっていますので、
この土塁上を奥に進んでいきます。

ここでいったん振り返り、奥側の空堀を別アングルから撮影📸

物見台に到達しました。
今歩いてきた土塁の先端部にあります。
この説明文の言葉を拝借するならば、かつてはここに井楼櫓が建てられ、
ある程度の高所から、それこそ城内全方位を見渡すことができ、
いかなる方面からの敵兵に対しても射撃が可能だったことが伺えます。

ここが、土塁上の先端部です。
確かに、ここからであれば、東西南北どこに対しても視界がある程度確保できそうです。
それでは、この物見台からの様子を動画に収めましたので、ご覧ください。

そして、今度はこの物見台から、さらに土塁上を奥に進んでいきます。
「二重の枡形虎口」の全容、その真意に触れる!
最初にこの城跡を訪れ、説明板を見たときには、
実はそこまで「枡形虎口(ますがたこぐち)」について把握していませんでした。
この先で、その内容について詳しく知ることになります。
「枡形虎口(ますがたこぐち)」の説明については、
文字で表現するより、城郭・戦国史研究家、西股先生の著書にあるイラスト図が分かりやすいかと思います。

このイラスト図のように、敵兵が侵入した先が真四角の”キルゾーン”になっていて、
そこに突入してしまった敵兵は土塁上に位置する城兵から囲まれ殲滅されてしまうという構造です。

土塁上を奥に進んでいくと、
実はこの空堀の先も「枡形虎口(ますがたこぐち)」になっているのですが、
この時は気付きませんでした。。
さらに、土塁の上を右奥へ歩いていきます。

この説明を読むだけだと、少し分かりにくかと思います。
今さっき目にした空堀の先にある「枡形虎口(ますがたこぐち)」というのが、
当時の敵兵からしたら上り口になっていて、自然とその登り道がこの空堀に通じているのでしょう。
つまり、敵兵が上りやすい道を上ってくると、実はそれは空堀内部を進んでいることになり、
自然と土塁上からの城兵に狙い撃ちされるという構造です。
実はこの右側にも本当の「枡形虎口(ますがたこぐち)」があるのですが、、、。。

土塁の上を、さらに右奥に進むと、、
ありました!!
年月の経過でだいぶ埋まっていますが、、
ここが本来の「枡形虎口(ますがたこぐち)」なのでしょう。
(写真左側の少し窪んだところです)

その「枡形虎口(ますがたこぐち)」を、城内(城兵側の視点)正面から見下ろしたアングルです。
この窪地(周囲の土塁上からはそう見える)に入り込んでしまった敵兵は、
土塁上に待ち構える城兵から囲まれ、狙い撃ちにされてしまうわけです。

攻め上ってきた敵兵は、写真の右奥に見える登り道から、
この「枡形虎口(ますがたこぐち)」に突き当たってしまう、というか、
この”キルゾーン”に自然と誘いこまれてしまうのですね。

その「枡形虎口(ますがたこぐち)」の入り口の様子です。
残念ながらロープで覆われ、その先には進めませんが、、
前方は腰曲輪(こしぐるわ)のように見えます。

今度は、攻め登る敵兵の視点で眺めた「枡形虎口(ますがたこぐち)」の全容です。
この前方の土塁上、そして左右にも城兵が待ち構えていると想像すると、ゾッとしますね。。

再度、城兵側の視点で斜め上から撮影📸
登り道が奥からぐいっと折れ曲がるようにして造られているのがお分かりでしょうか。
敵兵を細い道で自然とキルゾーンに誘導する虎口(こぐち)の特徴がはっきり見て取れます。

そして、もう一つの「枡形虎口(ますがたこぐち)」がこちらです。
手前にあった空堀の内部を先に進むと、ここに行き着きます。
ここもロープが張られ、先には進めません(というか、かなり危ない崖です💦)
こちらの急峻な崖道を敵兵が登ってこれたとしても、この空堀内部で殲滅されてしまいます。
それでは、このダミーな「枡形虎口(ますがたこぐち)」から、空堀内部に潜入した様子、
そして隣にある本来の「枡形虎口(ますがたこぐち)」との位置関係について、
以下に動画でまとめましたのでご覧ください。
二つの「枡形虎口(ますがたこぐち)」の位置関係について、
確認できましたでしょうか。
これで並木城の検分は終えたいと思いますが、最後に、
二重空堀・土塁についても動画に収めましたので、そちらもご覧ください。
二重空堀・土塁、そして二つの「枡形虎口(ますがたこぐち)」、
これだけの防御施設を備えた中世期の城跡というのは本当に珍しいと思います。
千葉県香取郡多古町を訪れる機会がありましたら、ぜひ一度、
検分に立ち寄ってみてください。
成田空港からほど近い位置にありますので、アクセスは悪くないと思います。
同じく多古町にある以下の志摩城、多古城も合わせてご覧いただければ幸いです✨
➡️ 『各地の城一覧』ページ










