上杉謙信の帰国後、北条氏照により滅ぼされた三田氏の居城~勝沼城(かつぬまじょう・武蔵(東京))

今では土壁の斜面上に多くのお墓が立ち並ぶ。。

2025年10月6日(月)。

東京都青梅市にある勝沼城(かつぬまじょう)に攻め寄せました🏯

勝沼城(武蔵・東京都)

◉城のジャンル

平山城(ひらやまじろ)

◉文化遺産としての見どころ

評価 :2/5。

◉防御施設としての見どころ

評価 :3/5。

◉アクセス

『吹上しょうぶ公園』に広々とした駐車スペースあり

JR東青梅駅からタクシー約4分、徒歩約10分

勝沼城は、鎌倉時代から続く三田氏によって築かれたようです。

上杉謙信が関東出兵後にその傘下に入りますが、謙信が越後に帰国後、

北条氏照によって滅ぼされ、その後は氏照の家臣、師岡将景が城主となったことから、

別名を師岡城(もろおかじょう)と言います。

豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城となったようです。

勝沼城は比較的アクセスに恵まれています。

JR東青梅駅から徒歩約10分であり、

城跡のすぐそばには『吹上しょうぶ公園』の広々とした駐車場もありますので、

車で訪れながら、しょうぶ園の散策を楽しむこともできます。

この日は車で訪れ、しょうぶ公園の駐車場に車を停めました。

城跡の検分後、しょうぶ園の散策も楽しませていただきます。

この駐車場の背後に見える木々が、勝沼城跡につながっています。

Googleマップで確認いただくと分かりやすいかと思います。

『吹上しょうぶ公園』は勝沼城跡地を利用して併設されたようなもの、

と言っていいでしょう。

上記の地図内に見える「城山通り」をまっすぐ歩き、

城跡の入り口を目指します🚶

Googleマップを頼りに、「城山通り」を歩いていけば迷うことはありません。

勝沼城跡の入り口付近にたどり着きました。

付近には曹洞宗の光明寺というお寺がありました。

どうやら、勝沼城の麓にこの光明寺が建てられたようです。

そしてお寺の背後に多くの墓碑が立ち並んでいますが、

勝沼城跡の土崖が階段状になっていて、そこに立てられたことをあとで知りました。

そして、この光明寺の手前に、この案内板がありました。

勝沼城の歴史、その概要が記されています。

城跡の入り口には、このように鳥居もありました。

時間の都合上、この階段の奥には行きませんでしたが、

ここを参拝するのも良さそうですね。

ひとまず鳥居の位置をスルーし、

その横に伸びるこの道を奥へ進んでいきます。

緩い坂道を上っていくにつれ、多くのお墓が見えてきました。

全て、光明寺を菩提寺とするお墓なのでしょう。

城跡の斜面上にたくさん立ち並んでいます。

平山城(ひらやまじろ)というだけあり、

それなりの高さがあります。

そこそこ、いい運動になります💦

次第に、大きな木が目立つようになってきました。

さらに坂道を上っていくと、、

こちらの案内板に出くわします。

詳しい案内板がなく、遺構の数々を見極めるのは困難。。

この勝沼城を訪れて気付いたのですが、、

歴史やその城跡の構造を示す案内板はあるものの、

空堀や土塁を示す案内板がまったくありません。

そのため、「城跡めぐり初心者」の方にはその点であまりおすすめできないと思います。

これは最初に述べるべきでした。

このように、曲輪や本丸、二の丸など、

城の防御区画をざっと示してはいますが、、

これらがそれぞれ、どこにあるのか、現在の位置から類推するしかない状況です。

私自身、そこまで城跡の検分に長けている訳ではありませんが、

これまでの経験(およそ2年以上)から、

『ここがそうではないか』という目星をつけていきます。

『ここが城跡の入り口だよ』という矢印版すらない状況ですが、

少なくとも案内板があったこの場所が城跡の中心部へ通ずる道と信じ、

奥へ進んで行きます。

幸い、道はある程度、歩きやすくはなっていますので、

入り口さえ間違わなければそこまで迷うことはないはずです。

このように、一本道をまっすぐ進んで行きます。

道の両脇に見える木々が茂った場所。

このあたりももしかしたら、曲輪かもしれない。。

そんな思いを抱きながら、さらに奥へと進んで行きます。

やがて、道が分岐する場所にやってきました。

この右側に折れる道と、、

こちらの、左下に少し下っていく道がありました。

ひとまず、本丸と思われる場所を目指すため、右側の道を進んでいきます。

(城跡の中心部である本丸は、最も高い位置にあるはずですからね。)

念の為、Googleマップで確認してみますが、、

『勝沼城跡』という場所に向いていますので、

方向としては合っているようです。

本丸を目指し、まっすぐこの道を奥へ奥へ。。

ここから、転倒、落下防止のためか、杭や柵が目立っています。

途中、それなりに広い、開けた場所を発見しました。

ここも曲輪(城の防御区画)なのかなぁ、、と疑いを持ちつつ、

さらに道を奥へ。

ようやく、土塁と思われる遺構を発見!

曲輪がどこかもよくわからないまま、

とりあえず、道をひたすら奥へ進んでいくと、一筋の希望が見えてきました。

一本道を奥へ進むと、、

前方が少し明るく、そして少し盛り上がった土塁らしきものが!

間違いありませんね。

この形状は土塁でしょう。

、、ということは、この土塁の奥が本丸だと思われます。

左側に少し傾斜のついた小道がありました。

ここが本丸に至る道、そして、虎口(こぐち)に該当するのでしょう。

虎口(こぐち)とは、、

城の各曲輪(防御スペース)に至る入り口であり、

敵の侵入を防ぐため、そこに至る道をわざと傾斜をつけたり、

折れ曲がるようにして作ったり、さまざまな工夫を施した防御施設です。

あらためてGoogleマップで確認してみると、、

やはりそうでした!!

ここが本丸で間違いないようです。

虎口(こぐち)である坂道を登り終えると、、

このように開けた場所が目の前に現れました。

ここが勝沼城の本丸ですね。

ここの広さを実感いただくため、動画に収めましたので、

ご覧ください。

周囲を木々に囲われ、それなりの広さがあることが見て取れます。

そしてこの本丸に至る道、さらに奥へ進む道もあります。

本丸の中央付近には、このような矢印版?のようなものが。。

奥に進むと、「光明寺」!!

ということは、本丸に面した土崖の方向ですね。

行ってみます。

ここであらためて、勝沼城跡の配置図を確認します。

現在いる位置が本丸、そしてこれから進む土壁の方向に光明寺、

だとすれば、本丸を挟み込むようにして、曲輪が二つ存在することになりますね。

曲輪と土壁を確認!

本丸から土壁の位置、そして曲輪の存在を発見するのは難しくありませんでした。

なにしろ、本丸の位置がはっきりしたわけですから、、

そこを起点に場所を一つずつ、見定めていけば良いわけです。

本丸の奥へ進んでいくと、、

何やら鉄塔のようなものが見えてきました。

そして何気に、ここにも勝沼城の案内板がありました。

こういうのは、大体、本丸跡にあることが多いですね。

先ほど見えた鉄塔の奥に進んでみると、、

おそらくここが勝沼城の配置図にあった曲輪(防御スペース)の一つでしょう。

それなりに開けた平坦な場所です。

ここからは眼下に青梅市の市街地を臨むことができます。

そしてすぐ下に、多くのお墓が立ち並ぶ土壁も確認できます。

戦国当時は、ここの崖を敵兵が攻め上っていたかもしれませんね。。

その曲輪の場所からやや左下に、この小道がありました。

ここから土壁に接近できそうです。

思った通りです。

ここの土壁はふもとの道路からも一望できます。

こういった地形を見ると、やはりこの勝沼城が平山城だったことが分かります。

そこから180度反転し、今度はこの奥に続く道を先へ。。

まだ二の丸三の丸を特定できていません。

それらを探しにいきます🚶

二の丸、三の丸と思われる場所を推測。

記事の冒頭でも伝えましたが、、

この勝沼城跡には、各曲輪や防御施設である旨を示す案内板がありませんので、

最初に目にした配置図を頼りに、推測するしかありません。

たかだか城巡り経験2年ほどの凡人ですが、お付き合いください🙇‍♂️

配置図との位置関係からすると、

土壁を背後にし、本丸の脇に続くこの道の先に、三の丸があるはずです。

多くの城跡がそうですが、、

道は一本道であることが多く、この点、迷うことはありません。

やがて道の先に、またお墓が見えてきました。

写真の左側に見えるのは明らかに土塁ですよね。

ということは、土塁に囲まれた左側の区画がおそらく三の丸ではないかと。。

ただ、お墓が見えたその場所は、「関係者以外立ち入り禁止」の表示がありましたので、

内部には入れず。。

ここを一応、三の丸と推測して終わります。

実はこの三の丸に至る道の脇に、もう一つ脇道のようなものがあり、

その先にはご覧のような平坦地が。。

崖を攻め上ってくる敵兵を迎撃するための、腰曲輪(こしぐるわ)のようにも見えます。

その先には竹林が茂り、ここにも土塁らしきものが、、。

うっすらと、土が盛り上がっているのがお分かりでしょうか。

その奥には、先ほど三の丸と推定した墓地があります。

これも推測の域を出ませんが、、

ここから見ると、北条氏の固有築城技術の一つである、

比高二重土塁(ひこうにじゅうどるい)のようにも見えなくもありません。。

軍事能力に秀でた北条氏照の支配地だったことから、

あながち検討はずれでもないと思います。

さて、あとは二の丸を探すべし!

、、ということで、こちらの鉄塔の位置まで戻り、

再度、本丸を突っ切っていきます。

人がやっと一人通れるほどの小道を戻り、、

最初に気になっていた、この平坦地がもしかしたら二の丸ではないかと。。

半島状に崖部分に突き出たような形で、ちと半信半疑なのですが。。

あるいは、その場所から180度振り返ったこの木々のある場所。

ここが二の丸か。。?

もう一度、この配置図を確認すると、、

もうこの辺りしか、該当箇所が見当たらないんですよねぇ。。

結局、ここ以外に適当なスペースを見つけることはできませんでした。

最後に「吹上しょうぶ公園」を散策して帰投。

これでひとまず、検分すべき城跡の遺構は全て網羅したはず(?)ですので、

最後に「吹上しょうぶ公園」を散策して帰ります。

位置関係からすると、、

本丸の手前に見つけた、こちらの分岐道。

この右側の道を進めば、たどり着くはずです。

Googleマップで念のため確認しますが、、

やはり推測は正しいようです。

ここも、分かりやすく一本道が続いています。

道の右下に、しょうぶ園らしきものが見えてきました。

道は曲がりくねりながらも、この『しょうぶ公園』につながりました✨

さまざまな種類の花を確認できます。

今は季節柄、花を愛でることはできませんが、、

こうしてみると、結構な広さがあります。

花が咲き乱れる季節に訪れると、まただいぶ違って見えるでしょうね。

今回の検分はここまでとします。

明確な案内板がなく、どれが各曲輪なのか、土塁すら判別に難しいですが、、

この記事内容が少しでも参考になれば幸いです。

では、、またの記事で会いましょう✨

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